誰にも見えなかった“世界の壁”を、スタイルと根性で飛び越えた男。布施忠という原点
コンテストで勝つことではなく、ムービーシーンでの表現に賭け、世界を魅了した日本人スノーボーダーの先駆け。それが布施忠だった。
90年代後半、日本のスノーボードシーンと世界レベルとの隔たりが大きかった時代。忠はそれを肌で感じ、カナダ・ウィスラーに拠点を移す。仲間とのつながりを断ち切る覚悟で、スノーモービルを駆使しながらバックカントリーでのフリースタイルスノーボーディングに没頭していった。
その姿勢が、当時バックカントリーフリースタイルの中心にいたWILDCATSクルーとの深い関係性を築き、忠を“日本から来たひとりの異端”ではなく、“世界トップレベルと並ぶ表現者”へと押し上げた。コンテストだけでは越えられなかった壁を、彼はスタイルで飛び越えた。
フランスのスノーボードメディア「BangingBees」が、Instagramで彼の滑りを紹介したことに端を発して、本コラムを綴っている。テイクオフが難しいダウン系のヒットポイントで繰り出した超絶美しいハーフキャブに並び、木と木の間、わずかなY字の隙間をすり抜ける名シーン。このカットは当時、海外スノーボード誌の表紙を飾り、日本でも話題を呼んだ。
この投稿をInstagramで見る
Bangingbees(@bangingbees)がシェアした投稿
この写真を撮影したのは、現在「BACKSIDE CREW」の撮影も手がけているフォトグラファー・ZIZO。彼のアーカイブにこの一枚が刻まれていることは、スノーボードという表現の時間軸を感じさせる。弊誌ISSUE 4「STYLE IS EVERYTHING」にも掲載しているので、バックナンバーをお持ちの方は、改めて30ページを覗いてほしい。
この投稿をInstagramで見る
ZIZO(ジゾー)北山/アクションスポーツカメラマン(@zizophoto)がシェアした投稿
いまや日本のバックカントリーシーンは、世界レベルと肩を並べるまでに成長した。だが、その出発点には必ず忠の姿がある。その事実を、今を滑るすべてのスノーボーダーに改めて伝えたい。
text:Daisuke Nogami(Chief Editor)