大橋純子の最新ベスト「1974-1984」元祖シティポップ・クイーン!せめぎあう洋楽と歌謡曲
名プロデューサー本城和治が選曲した「THE BEST OF 大橋純子 1974-1984」
2024年は大橋純子の歌手デビュー50周年にあたる。このタイミングにあわせて彼女が所属したレコード会社3社(フィリップス、EPIC RECORDS、VAP)の音源を網羅した2セットのベストアルバムがリリースされた。
『THE BEST OF 大橋純子 1974-1984』(ユニバーサル)は、彼女がデビュー時に所属していたフィリップス・レコードに残された音源からのセレクトで、CD2枚に33曲が収録されている。そしてこちらのアイテムは、フィリップス時代の大橋純子の最初のディレクターであった、本城和治が選曲を行っている。
本城和治は1960年に洋楽ディレクターとしてポール&ポーラの「ヘイ・ポーラ」(1962年)、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」(1965年)など多くのヒット曲を生み出す一方、邦楽でもスパイダースなどのグループサウンズを手掛け、森山良子、尾崎紀世彦といったそれまでの歌謡曲とは一味違う感覚の日本の歌手をデビューさせ、新たな日本の音楽の流れを導いていった名プロデューサーである。
『THE BEST OF 大橋純子 1974-1984』にはデビュー曲の「鍵はかえして!」(1974年)から大ヒット曲の「たそがれマイ・ラブ」(1978年)、「シルエット・ロマンス」(1981年)、さらにはフィリップスからの最後のリリースとなった「恋はマジック」(1984年)までのシングル曲が収められている。さらに、4枚目のアルバム『CRYSTAL CITY』(1977年)からの「落日風景」、9枚目のアルバム『Tea For Tears』(1981年)からの「テレフォンナンバー」といった、ファンに人気の高いアルバム曲も選曲されている。
さらにセカンドアルバム『ペイパー・ムーン』(1976年)に収められていた「愛の祈り(Still a Boy)」も収められているが、英語詞で歌われていたオリジナルバージョンに対して、今回は日本語による未発表テイクが収められている。
アダルティなポップス・シンガーのイメージを託された大橋純子
『THE BEST OF 大橋純子 1974-1984』をトータルで聴くと、大橋純子というシンガーのスタイルが構築されていくステップ、およびその表現の幅の広さを追体験することができる。
たとえばデビュー曲の「鍵はかえして!」を手掛けているのは、作詞:なかにし礼、作曲:井上忠夫(大輔)だ。同じ年、井上忠夫はフィンガー5の「恋のダイヤル6700」「学園天国」などをヒットさせており、洋楽的センスを持った作曲家としても注目されていたし、なかにし礼はあらゆるタイプの曲をこなせるヒットメーカーとして押しも押さされもせぬ存在だった。
大橋純子がこうした曲でデビューしたということは、当時アメリカで注目を浴びていたAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック=大人感覚のロック)テイストを吸収した洋楽感覚のアダルティなポップスシンガーのイメージが彼女に託されていたということなのだろう。
コンテンポラリーなソウルテイストを持った音楽を指向
そして、こうしたアーティストとしての方向性の設定には、洋楽を主体としながらも幅広い音楽に接してきた大橋純子自身にも異論はなかったのだろう。けれど、具体的な表現スタイルのアプローチを行っていく過程で、彼女自身とスタッフの意識に次第にズレが生まれていったのではないか。
このベストアルバムには収録されていないけれど、ファーストアルバム『フィーリング・ナウ』に収められていた曲の多くはスタイリスティックス、カーペンターズ、グレン・キャンベル、ロバータ・フラックなどのカバーだった。このような彼女自身が好きな洋楽曲をベースに、日本のAORとしてどんな作品をつくりあげるのか。その試行錯誤の過程において、大橋純子自身はよりコンテンポラリーなソウルテイストを持った音楽を指向したし、日本のマーケットをより重視せざるを得ないスタッフサイドは歌謡曲的匂いの強い作品を望んでいったという気がする。
「ペイパー・ムーン」「キャシーの噂」「坂の上の家」といった初期のシングル曲からは、ペドロ&カプリシャスや岩崎宏美などにも通じる歌謡ポップスのニュアンスと、吉田美奈子のようなより本格的な洋楽的表現をしたい意欲とがせめぎ合っているような気配を感じるのだ。
美乃家セントラル・ステイションと自らのイメージに沿った音楽性を追求
そうした葛藤から一歩を踏み出したのが、「シンプル・ラブ」(1977年)で初めてクレジットされた “大橋純子&美乃家セントラル・ステイション” としての活動だった。佐藤健(キーボード)、土屋昌巳(ギター)ら、名うてのプレイヤーによる “美乃家セントラル・ステイション” というパーソナルバンドを持つことで、大橋純子はより自らのイメージに沿った音楽性を追求していく。
『THE BEST OF 大橋純子 1974-1984』には大橋純子&美乃家セントラル・ステイション名義の最初のアルバム『RAINBOW』(1977年)から、「シンプル・ラブ」「フィール・ソー・バッド」「レイニー・サタデイ&コーヒー・ブレイク」「ラストナンバー」。続く『CRYSTAL CITY』(1977年)から、「クリスタル・シティー」「落日風景」「FUNKY LITTLE QUEENIE」が収録されていて、一気にファンク・ソウル色を強めていった様子をうかがうことができる。
しかし、1978年に美乃家セントラル・ステイションとではなく、筒美京平の作・編曲によるシングル「たそがれマイ・ラブ」を発表し、これが大ヒットしたことによって、大橋純子の路線はやや軌道修正された。これ以降、アルバムは大橋純子&美乃家セントラル・ステイションとしてリリースしていくが、シングルに関しては大橋純子&美乃家セントラル・ステイションとしての楽曲と、大橋純子単体の楽曲を両立させることになる。
ちなみに、「たそがれマイ・ラブ」に続くシングル「サファリ・ナイト」(1978年)、「あなたにはわからない」(1979年)、「燃え尽きて」(1980年)が大橋純子名義。「ビューティフル・ミー」(1979年)、「カナディアン・ララバイ」「OOH BOY」、(1980年)が大橋純子&美乃家セントラル・ステイション名義のシングルとなる。これらを聴き比べてみるのも『THE BEST OF 大橋純子 1974-1984』の楽しみ方のひとつだろう。
大橋純子の代表作代表曲「シルエット・ロマンス」
美乃家セントラル・ステイションは1980年に解散し、「ファンタジック・ウーマン」(1981年)以降のシングルは大橋純子名義となるが、美乃家時代に本格的なコンテンポラリー・ファンクミュージックに取り組んだことは、大橋純子の音楽性の幅を大きく広げるいえで大きな意味を持ったはずだ。そして、こうした経験を経て、彼女は改めて日本的なアダルティ・ポップスというテーマに取り組んでいく。そのなかで生まれたのが彼女の代表曲「シルエット・ロマンス」(1981年)だった。
『THE BEST OF 大橋純子 1974-1984』は、大橋純子がデビューしてからその表現スタイルを完成させていくまでの道のりを振り返ることができるアルバムだ。
アルバムの末尾を飾る「夏女ソニア」(1983年)も聴き応えがある楽曲。これはコーセー化粧品の夏のキャンペーンソングとして発表された、もんたよしのりと大橋純子のデュエット曲だ。本格的ボーカリストである大橋と、極めて個性的なシンガーであるもんたよしのりとの顔合わせは異色と言っていいと思うが、どちらも極めて濃いソウルスピリットの持ち主であり、みごとにシンクロしたハーモニーを聴かせている。
ちなみに、『THE BEST OF 大橋純子 1974-1984』には、「夏女ソニア」のカップリング曲だった「A LOVE AFFAIR」(大橋純子のソロ歌唱)。そしてもんたよしのりとの2曲目のデュエット曲で、大橋純子のフィリップス・レコードでの最後のリリースとなった「恋はマジック」(1984年)も収録されている。