新しさと古さの混じったタイの風景に、急激すぎる発展の歪みを見た
皆さんは海外旅行などはお好きでしょうか?
最近私は、日本について知るためにタイに出かけてきました。
熱帯観光リゾートとしてのタイ
とはいえ、せっかくの旅行ですからリゾートしない手はありません。
タイは日本よりずっと南、気候区分ではサバナ気候に相当し、街路樹などの植生もトロピカルな感じです。なおかつ、ASEANの有力国のひとつとして経済成長したこと、昔から観光地として開発されてきたこともあり、リゾート滞在地としても魅力的です。
今回私はバンコクとその少し南のリゾートエリアに滞在しましたが、どちらも外国人が多く、タイ語がわからなくてもあまり問題になりませんでした。日本企業もたくさん進出しているので、日本食にも不自由しません。たとえば私の好きな「8番らーめん」のラーメンや餃子の味は国道8号線沿いのオリジナルとほとんど変わらず、日本の半分ぐらいの値段で食べられます。タイの物価は上昇傾向にあるそうですが、ファーストフード店はまだまだ日本より割安で、フードコートのテイクアウトなら一食300円ほどで済んでしまいます。
だからといって、何もかもが安いわけでもなく。こうしたドレスコードを意識しなければならないレストランや五つ星ホテル、観光客相手のアクティビティとなると、金額の相場は東京と変わりません。ワット・ポーやワット・プラケオといった有名寺院の拝観料に至っては、京都よりも高いかもしれません。外国人観光客だけから拝観料を取っている寺院もあり、そうした点も含めてインバウンド慣れしているなぁと思いました。
そしてバンコクには現代的なビルディングが林立し、タワーマンションも建設されています。先日、ミャンマーを震源地とする地震が起こった際、現地のタワーマンションが大丈夫だったのか気になりますが、とにかく、生活空間の現代化が進んでいるとは言えるでしょう。
それからIT 。インターネットはどこでも利用可能で、QRコードがあちこちに貼り付けられています。上掲のgrabは神アプリです! これは、タクシーなどを呼び出せるアプリで、現地国に到着してからクレジットカード情報を登録する必要がある (その際にちょっとだけ手数料を取られます) のが一手間ですが、現地語はもちろん、英語すらわからなくても移動できる優れモノです。
こうした諸々のおかげで、今回の旅路は国内旅行とあまり難易度が違わず、アクティビティもリゾートも肩ひじ張らずに楽しめました。朝市や夜市の活気も素晴らしく、観光客として安全そうなエリアに留まるぶんには、身の危険を感じることはないんじゃないかと思います。
タイの人の健康観や命に対する感覚はどうなっているのか
でも、観光スポット以外もなるべく見てまわりたいわけです。たとえばテレビ。旅先のホテルでテレビをつけっぱなしにしていると、現地語がわからなくても日本との感覚の違いが目につくことって結構ありますよね。たとえばヨーロッパのニュース番組では、死体が放送されたり天気予報のキャスターが天気図の前を平気で横切ったりして文化の違いを感じます。
タイのテレビ番組では、ダーク・ユズル・オトナシさんというLINEアカウントのポストを見かけました。青くスプレーしたところには著作権侵害なアニメアイコンがうつっています。夜市でポケモンやサンリオキャラクターの怪しい商品をたくさん見かけたので、著作権についてはおおらかなお国柄なのかもしれません。
でもって、インターネットやSNSがもたらすメンタルヘルスの問題は、タイでも起こっているようです。
テレビ番組でタイの若者のSNS依存について特集していたので、私はじっと見てしまいました。今ではgoogleレンズという文明の利器があるので、ある程度までは番組内容を読み取ることができます。
番組によれば、タイでもSNS依存やネット依存が問題視されており、うつ病などの精神疾患との関連、さらに社会活動への妨げといった問題を起こしているそうです。ところで同業者って国をまたいでもわかるものですね。私は、この画面にうつっている眼鏡の男性を見た瞬間、「この人はきっと精神科医かカウンセラーだ!」と確信しました。
で、実際、タイの街では誰もがスマホを持っていました。お客さん待ちのマッサージ店員さんも鉄道の乗客も、みんなスマホを眺めたりいじったりしています。日本とちょっと違うのは、お客さんがいる店内でも店員さんが遠慮なくスマホをいじっている点でしょうか。
さまざまなことがオンラインを介してできる・できなければならない国において、そりゃSNS依存やネット依存も増えるよね、と私は思いました。だけど、タイ人にせよ日本人にせよ、そういう社会の変化についていかなければならない。
もちろん身体的な健康も問題です。タイでは2017年から砂糖税が導入され、清涼飲料水に含まれる糖分が多ければ多いほど課税される制度が施行されています。塩分の摂りすぎも良くないとのことで、これからは塩分税がかけられるとのことでした。アルコールについては健康振興基金負担金や付加価値税がかけられ、外国製アルコールには高い関税までかかっているので、リゾート気分でシャンパンを開けると値段にびっくりさせられます。アルコールを提供してはいけない時間帯や日にちも設定されているので、アルコールについては節制しやすい国かもしれません。
じゃあ、タイの人々は健康を、ひいては命を大切にしているでしょうか?
私の目には、タイの人々は日本人ほど自分自身の命や健康に用心深くないようでした。
たとえば街で見かけるバイクの多くはノーヘルです。バイクを運転するひとりひとりの技量は素晴らしく、渋滞する道路の合間をぬうように進んでいくバイクには頼もしさすら感じられるのですが、逆に言うとタイの路上はドライバーやライダーの技量に依存していて、信号機や法令に(日本と比べて)依存していないんですよね。
ベトナムなどと同じく、三人乗りとか、絶対に重量過多なバイクもあちこちで見かけました。タイの都市部のバイクをみていると、運転の下手なライダーは生きていけない、それか、運転の下手なライダーは淘汰されてしまっているように見えてなりません。
自動車のドライバーやその乗客についても同様です。私はあちこちで色々な車に乗りましたが運転手の多くはシートベルトをしておらず、対向車や追い越し車線を走ってゆく車も同様でした。
でもって、こんな脆弱な乗り物が公共交通機関としてあてにされているのです! この、ピックアップトラックの荷台を改造してつくられた乗り物はソンテウといい、安価な交通機関としてそこらじゅうを走り回っていますが、安全・安心を重視する日本ではこのような乗り物は許容されないでしょう。
ところがタイでは、これが高速道路でも人を満載して走っていました。ノーヘルのバイクが幅をきかせている国なので、こんな車両が人が満載して高速道路をぶっ飛ばしていても、現地感覚としては大したことないのでしょう。
ですが、まさにこの「現地感覚では大したことない」こそが日本とタイの命に対する感覚の違いを象徴しているよう思われます。つまりタイでは、命の安全のプライオリティの感覚は日本ほど高くないし、高くないからこそ、制度としても実態としてもタイの人々はノーヘルでバイクを走らせ、ソンテウを利用しているのでしょう。
そうした現状の背景には経済的理由ももちろんあるでしょうが、自動車のドライバーがシートベルトをしない様子を見るに、経済的理由によるだけでなく、命に対する感覚がまだまだ旧来のままであるさまを示唆しているよう思います。これでもタイ人の死因に占める交通事故パーセンテージはマシになっていると言いますから、ほんの少し前まで、タイの路上はまさに交通戦争状態だったのでしょう。
THAIBIZというウェブサイトに掲載されているタイ人の死亡原因についての統計をみると、タイにおける健康観や命に対する感覚がいっそう浮き彫りになります。2019年になってもなお、タイの死亡原因のかなり上位を脳卒中や虚血性心疾患が占めているということは、高血圧症をはじめとする生活習慣病に対してタイの人々はまだまだ無頓着・無防備なのだと思われます。当該ウェブサイトによれば、タイ人の砂糖摂取量はWHOの推奨の4倍だとも言います。
進んだ資本主義とテクノロジー、遅れた慣習のギャップ
こうしたわけで、タイにいる間、「この国は、日本と比べて異様に古いところと新しいところがモザイクみたいに組み合わさって、なんだか妙ちくりんだな」と私は感じていました。こうした感覚は台北で意識したものよりも甚だしく、西ヨーロッパでは意識することのないものです。タイという国の発展具合は、一体全体どうなっているのでしょう?
そもそも、さっきのタイ人の死亡原因の表には驚きが詰まっています。2019年になってもなお脳卒中や虚血性心疾患が死因として大きいのも驚きですが、1990年のタイ人の死亡原因が上から順番に1.交通事故2.脳卒中3.肝硬変4.暴力ってのは信じられません。
この統計、いくらなんでもおかしいのではないかと思い、他の資料も眺めてみましたが、これと全く同じ結果ではないにせよ、交通事故や(寄生虫も含めた)感染症や脳卒中が大きな割合を占めている点や、日本と違ってメタボリック症候群が現在も増加していることなどが見てとれました。
ですから健康観や命に対する感覚という点では、タイの人はまだまだ昭和時代の日本人に近い意識で生きていて、1990年代のタイの人はもっともっと昔の日本人に比肩される意識で生きていたのでしょう。にもかかわらず交通手段が急激に発達すれば、テクノロジーの進歩にふさわしい命の取り扱いができずに交通事故死が増えるでしょうし、にもかかわらず食糧事情が向上すれば、メタボリックな疾患にやられる人も増えるでしょう。
こうした開発途上国にありがちな健康問題に加えて、ここ20年ほどの間にインターネット関連技術が急激に普及し、最も富裕な人々から最も貧しい人までインターネットに繋がるようになり、インターネット依存やSNS依存が論議されているのです。
資本主義、という観点でもタイは急激に変わってきています。昭和時代っぽい業態があちこちに残っている一方で、東京と同じようなオフィスビルもあちこちに建てられています。
それからみんな似たような顔立ちのタイの美人女性たち。美人女性、ひょっとしたら美人男性もそうかもしれませんが、タイには「美人」という職業が存在するんじゃないかと思いたくなったのです。
つまり、スタイリッシュな美人女性たちは商業施設や最新オフィスの受付嬢をやっているか、なんらか男性と行動を共にしているか、これから男性に会いに行くようないで立ちをして歩いていたのでした。今回の滞在中に、私はそうした美人女性に(うだつのあがらない)白人がきついことを言っている場面を2度見かけましたが、ああいう場面を私は長らく忘れていました。それとも、東京でも行くところに行けば、ああいう場面を見かけるのでしょうか?
対照的に、職業として美人性を求められない職種では、女性たちは化粧こそすれスタイリッシュな美人女性からかけ離れていて、しっかり日焼けしていたり体重過多の様子だったりしていました。地方のホテルのルームキーパーや清掃員のお姉さんはあどけない顔をしている人が多く、飲食店の女性たちも大半が同様でした。
例外はバンコク中心部、たとえばチュラロンコン大学などのあるエリアでしょうか。大学の教員女性も女生徒たちも日本女性と同じように着飾り、オシャレに気を配っていました。チュラロンコン大学の教員や生徒はタイではエリート中のエリートですから、そうした階級では個人的なオシャレは日本女性と同じく行われているのでしょう。しかしバンコクの他の領域、さらに地方都市ではこの限りではないのです。
バンコクの上~中流階級はいざ知らず、そうでないどこかで美人に生まれてしまったタイ人は、その美貌を資本主義的生産手段として用いることが自然で、そのようにあるべきという圧力が存在したりするのかと勘繰ったりもしました。
実際、通学で学生たちが利用しているソンテウには、ナイトクラブの従業員を募集する掲示物がびっしりと貼られていたりするのです。そんな社会で生まれ育てば、美人として生まれ育った人がその美を職業的に・資本主義の生産手段として用いることに違和感は少ないでしょうし、用いなければならないとする社会的圧力は強いでしょう。
そのタイでは現在、少子高齢化が日本よりもはるかに速いスピードで進行しています。以前、台湾の話でも書きましたが、資本主義の意識は人々に急速に定着する一方で、たとえば健康観や命に対する感覚、家族観、さらに宗教観といったものは簡単には変えられず、そうした感覚のギャップはしばしば少子化を加速させるといわれています。
私はタイのうちに、日本より後から・急激に発展してしまった国ならではの悩みを見た気がしました。タイに限らず、こうした新興アジア諸国はこれからどうなるんでしょう?
最新の統計によれば、バンコクの合計特殊出生率は0.8まで低下し、農村部では高齢化が進行しているのだそうです。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
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