新そばの季節。『小木曽製粉所』へ行けば、男は作務衣を着はじめる
日本シリーズが終わると、新そばの季節だ。なんてことを急に言い出したのも理由がある。どうも、そばに目覚めてしまったようなのだ。夏前だったか。お土産にもらったとある地方の田舎そば。強烈なコシと風味のアレを食べてから、急にそばへの感度が増してしまったようで、何かしらのチャクラが開いたかのように、鼻腔が香りを捕らえ、ノドがそばの肌触りにうっとりとしはじめたのだ。
以前バリバリ働いていた知り合いの社長さんが、ある日急にそば屋へ転職した時に「おっさんが一定の年を重ねると作務衣(さむえ)に手ぬぐいを巻き出したくなる」と独白されたことがあったが、なるほどこれか。今はそばだ。とんこつラーメンやうどんより美味(うま)いそばが食べたい。これまではそばなんてどれも同じ味で、この連載でもエラそうにうんちく垂れる知識人を“ソバ用人”とクサしたこともありました。今はなんて無知無味無教養だったのかと過去の己を湯がいております。
そして、食い改めるようにこの半年の間、神田・浅草・深大寺の老舗名店を巡り、ニューウェーブな話題店にも登りつつ、全国有名処のそばを取り寄せては、近所の立ち食いそばにも挨拶し直していたのです。気がつくと、私の心はそばきりの発祥の地とも言われる我が国最大のソバ爆心地、信州は長野県へと飛んでおりました。
『小木曽製粉所』。この頃、頭角を現してきた安曇野発のそばチェーン店である。製麺所じゃなく製粉だ。コナからである。元々は長野で寿司屋をやっていた王滝というグループで「海なし県に鮮度を」という泣ける合言葉で人気を得てきた寿司同様、鮮度にこだわった新形態の信州そば店として2014年に誕生。自社製粉した出来たてのそば粉で、打ち立てゆでたてのそばが実に美味くて安いと評判に。ここ数年でFC展開もはじめエライ勢いで各地のフードコートなどに進出をはじめている。東京近郊だと北戸田や越谷のイオンに入っているそうだ。
季節はちょうど11月。これから約1カ月の間はすべてのそばが新そばになるらしいので、どうせなら本場信州の路面店でソーバーイーツしたいと、たどり着いたはアルプスの城下町・松本。こちらには『虎ノ門ヒルズ』にもある同じ王滝系列の本格派そば店『そばきりみよ田』があったので「とうじ(投汁)そば」なる、そばのしゃぶしゃぶみたいなご当地そばをおいしくいただいたのち、国道19号線を南へ行った村井の『小木曽製粉所』へと向かったのです。
うまい!やすい!エモい! やっててよかったオギソ式
だだっぴろい敷地の村井店には「小木曽製粉製麺工場」の看板。なるほど、製麺工場が併設されているようで、ガラス張りの向こうには石臼らと共に店員さんがせっせとソバを作っている。
そこから出てくる打ち立ての信州そばは、もりそば、並・中・大すべてが590円の同値段。つけ麺屋とかでは見たことあるがそば屋では珍しい。開店当時の500円均一からは値上げしているとはいえ、まだまだリーズナブルの粋。特徴的なのは食券ではなく、ずらりと並べられたメニュー札を取っていく方式だ。千と千尋に出てきた薬湯札みたいで悪くない。
主役のそばは“看板商品”を謳(うた)う、もりそばのほかに、かけそば、きつねそば、山芋ぶっかけそば、季節のきのこそばなど。サイドメニューには松本名物「山賊焼き」。駒ケ根の名物「ソースカツ丼」に「信州山形村産とろろ」「山菜」なんて小鉢までもが長野名産欲を絶妙にくすぐってくる。
札を取ったら、今度は天ぷらや山賊焼き、コロッケなどが並ぶホットコーナーを経由し、丸亀製麺的セルフ方式でレジへ行ってお会計。目の前でゆでて、きっちり水で〆(しめ)てくれる。信州まで来た甲斐のある「そば」的ロケーションが非常にエモーショナルだ。
で、やっぱりそばは長野だね。つやつやのもりそばは、のどごし抜群、新そばらしく香り強めでずるずると永遠にやっていられる。袋わさびも地元の安曇野本わさび。山形村のとろろに山菜。山賊丼と山が連なる小木曽連峰最高。そばの中心地で、心のサマランチ会長が「ナガーノ」と叫ぶ。ここなら毎日でも通いたい。だけどあなたは信州のソバ。毎日会えないオギソとジュリエット。まもなく東京などの大都市にも出てくる予感はするが、どっこいそばの命、鮮度と水の問題をどう乗り越えてくるのでしょう。楽しみに待っております。
文=村瀬秀信
※本稿は月刊『散歩の達人』2022年12月号の記事に加筆修正したものです。