エリザベス宮地とJ小川が語る、現代の東京で生きる独身男性のリアルを描いた映画『献呈』
取材&文:西澤裕郎
映像作家・エリザベス宮地ことKei Miyajiが監督を務めた完全自主制作の短編映画『献呈』が、世界四大映画祭の一つであったモスクワ国際映画祭で、日本人として初めて短編コンペティション部門で上映される。
本作は、39歳、独身、職業・プログラマーで、宮地の大学の先輩であるJ小川を主人公にしたフィクション映画。フィクションとは言っても、J小川へのインタビューを元に彼の生活をリアルに描いており、ドキュメンタリー的目線も強い。
この作品を通して宮地が描きたかったのは、孤独のように感じられる生活に対し、全くそんなことを感じていない小川の生活と、それにも関わらず婚活を続けているという、ある種矛盾したような日々を送る彼の姿だ。かつて小津安二郎が『東京物語』で戦後日本における家族関係の変化を描いたように、宮地は現代社会でひとりで生きる独身男性のリアルを浮き彫りにする。
もともとJ小川は、宮地と同じ大学の先輩。大学の放送研究部にて、小川が宮地にカメラの使い方や編集方法など映像制作のいろはを教えた仲でもある。さらに2人でクリエイティブチーム「ドビュッシー」を組み映像作品を制作したり、宮地が世界チャンピオンになるまでを追った処女作のドキュメンタリー映画『みんな夢でありました』でも小川は撮影と編集を担当している。そんな旧知の2人が、殆どのシーンをほぼ2人だけで作り上げた、現代の東京で生きる独身男性のリアル。
現状、日本での公開は決まっていないが、本作が完成したタイミングで2人にインタビューを行なった。この作品が日本で凱旋上映されることを今から願っている。
承認欲求に流されずに、自分のことを自分で満たしている生活を描きたかった
──このタイミングで、どうして大学の先輩であるJ小川さん主演の映画を撮ろうと思ったんでしょう?
宮地:去年の7月に、予定していた仕事がなくなってしまい、急に2週間ポンと時間が空いた時があったんです。特に何をするわけでもなくダラダラしていたら、奥さんに「せっかく時間ができたんだから、自分が本当にやりたいことをやったら?」「短編映画なら2週間あれば撮れるんじゃない?」って言われて。確かに、短編映画なら2週間あれば撮れるかもしれないと思って、アイデアを考え始めました。ちょうどその1ヶ月前、僕の結婚式の余興をJさんにやってもらっていたので、そのお礼も兼ねてご飯を食べながら相談したんです。最初のアイデアは、オムニバス形式でいろんな普通の人々の暮らしを描く映画にしようと思っていたので、そこでそれを伝えました。
──最初はオムニバスの予定だったのが、どうしてJさんが主役に?
宮地:僕が今まで撮ってきたドキュメンタリーは、ミュージシャンとか俳優とか、すごくカリスマ性のある人たちー世間から特別視されているような人が多かったんです。だけど、自分がフィクションをやるのであれば、真逆の人達を撮りたいと思いました。世間から注目もされない、気付いてさえももらえないような人達の生活に、映画の力で光を当てられるんじゃないかと思って。ご飯を食べながら参考にJさんの普段の暮らしを聞いているうちに、「自分が撮るべきなのは、まさにこのような生活なのでは?」と思ったんです。多摩ニュータウンに家を買って、コロナ以降は完全リモートワーク。プログラマーで、家からほぼ出ない。でも、婚活はしていて、週末になると新宿に出てデートする。そういう生活を聞いて、「これだ!」と直感的に思いました。
──Jさん自身は、宮地さんから「映画に出ない?」って言われたとき、どう思いました?
小川:最初は「なんで僕?」って思いましたよね(笑)。でも、話を聞いていくうちに、確かに自分の生活って、今の東京で生きる独身男性のリアルな姿なのかなって思うようになりました。
宮地:僕は最初、Jさんが婚活している理由って「寂しいから」だと思い込んでいたんですよ。だから「やっぱり寂しいから婚活してるんですよね?」って聞いたら……。
小川:実際は全然そんなことなくて。今の暮らしで寂しさを感じたことはほぼないんです。
宮地:そこで、僕の中でJさんへの勝手なイメージがガラッと変わったんです。表層的な情報で「寂しいから婚活してるんだろう」と決めつけてたけど、実際はそうじゃなかった。それがすごく興味深くて、もっと掘り下げたいと思ったんです。
左から、Kei Miyaji、J小川
小川:でも、「映画の主役にならない?」って言われたときは、え、僕が?って思いました(笑)。だって僕、基本的にパソコンに向かって仕事してるだけで、あとはYouTubeを見たり、ピアノの練習したり、たまに友達と麻雀するくらい。本当に映画になるのかなって。
宮地:それで言うと、Jさんが「寂しくない」って言ったのが作品の肝になるなと思いました。現在のSNSの時代って、承認欲求がベースになっていて、幸せの判断基準が他者になりがちだと思うんです。自分の感情や思考よりも、他者からの「いいね」が先立つというか。でも、Jさんってそういう承認欲求がほぼないんですよ。
──承認欲求がない?
宮地:全くないわけじゃないかもしれないけど、「他人からの評価に左右されない」っていうか。自分の幸せを自分で担保できてる感じがするんですよね。
小川:いやいや、単に僕が目立たないだけですよ(笑)。noteとかに文章を書いたりするけど、別に誰かに読んでもらうことが目的じゃないし、たまに「いいね」がついたらちょっと嬉しいくらい。
──それを増やしたいとかは思わない?
小川:そうですね。別に「いいね」をもらうために書いてるわけじゃないし、自己満足できればそれでいいかなって。
宮地:そこなんですよ。僕が『WILL』以降ずっと考えていたことの一つが、「野生動物と人間の違い」っていうテーマで。他の動物って、生存や繁殖に直結する狭い範囲での承認欲求はあったとしても、人間みたいにSNS、職場や学校、家族間などあらゆる分野に渡る過剰な承認欲求は殆どない気がしていて。その違いが、人生の苦しみを生む大きな原因の一つだと思っています。Jさんの生き方を見て、婚活がうまくいかない不器用な面はあるけど、承認欲求に流されずに、自分のことを自分で満たして生活をしているのはすごく素敵なことだし大切なことだと思ったんです。そういうところに惹かれてJさんで映画を作ろうと思いました。
完璧じゃなくても、そこにある「夢中さ」が大事だった
──手法的にはドキュメンタリーという選択肢もあったと思うんですが、なぜJさんがJさんを「演じる」形にしたんでしょう?
宮地:理由は大きく二つあって。一つは、当初は2週間という縛りがあったので、単純にドキュメンタリーだと時間が全く足りないと思いました。二つ目は、ドキュメンタリーでJさんの生活を撮るって考えると、主題が「婚活」になってしまうと思ったんです。そこ以外の生活は、もう殆ど変化がないので。でも、僕が描きたかったのは、Jさんの「自分で自分を満たしている生活」そのものだったんです。婚活をメインにはしたくなかった。
小川:それに、正直、ドキュメンタリーを撮りたいって依頼だったら断ってたと思います(笑)。カメラが入る悪影響もあるし。
宮地:絶対にありますね。
小川:もしデート相手に「撮影させてもらえますか?」って聞いて「いいですよ」って言われたとしても、後から「これ、ネタにされてる?」って思われる可能性もあるし。
宮地:まず3日間で初稿を書いて、そこから何度も話し合いながら脚本をブラッシュアップしていったんですけど、最初はJさんのほうから「もっと僕が婚活でいろんな女性と出会うシーンを入れたらどうか?」ってアイデアももらいました。だけど、それをやるとやっぱり婚活がメインになってしまうので、あくまでリアルからはみ出さないようにしました。
──Jさん的には、結構リアルな部分も反映されてるんですよね?
小川:もちろん細かいところで違う部分はあるけど、大枠はほぼ自分の生活そのままですね。
──本映画のタイトルでもあり、劇中でJさんがピアノ演奏をする曲として、《献呈》を選んだ理由は?
小川:単純に、そのとき一番弾きたかった曲。それだけです(笑)。元々、シューマンが奥さんに贈った曲で、テーマ的にも映画に合ってるっちゃ合ってるんですけど、正直、そういうことはあまり考えてなくて。ただ、昔から好きな曲だったのに、めちゃめちゃ難しい曲というのもあり、ちゃんと練習したことがなかったんですよ。でも、映画で使うって決まれば、頑張って練習するし、ちゃんと弾けるようになるだろうなと思って(笑)。
宮地:ちなみに、途中で「曲を変えたい」って話にもなったんですよ。《献呈》を弾くのが難しくて。当初2週間で撮影予定だったのも《献呈》が難しいので1ヶ月くらいずらして、季節設定が夏だったので遅くても9月中旬にピアノシーンを撮り終えるはずだったんですけど、それでも全然間に合わなくて。そのときJさんから「坂本龍一のシンプルな曲に変えるのどう?」っていう提案もあったんですけど、それをやると、「うまく弾くこと」がゴールになっちゃう。上手に弾くことが目的じゃなくて、「自分が本当に弾きたい曲を、自分のために無我夢中で弾くこと」に意味があると思ってたんです。それを言葉ではなく演奏で見せるには、自分のレベルよりも難しい曲の方がいいと思いました。
──技術的にうまく弾くことよりも、挑戦していることが重要だった。
宮地:そう。だから、時間がかかってもいいから、《献呈》で行こうって決めました。他にJさんが提案してくれた曲は、もうちょっとシンプルでゆっくりな曲だったんですけど、それだと「一生懸命弾いてる」感じが伝わりづらい。やっぱり、挑戦してるほうが観てる人にも響くと思って。最終的にピアノのシーンを撮ったのは12月末です。
──すごく情熱的な演奏になってましたよね。
小川:ありがとうございます。でも、自分で見ると、やっぱり反省点もありますね。もう少しうまく弾けたんじゃないかって。でも、あれがその時点での僕の全力だったし、あの瞬間のリアルな演奏だったから、それはそれで良かったのかなって。
宮地:完璧じゃなくても、そこにある「夢中さ」が大事だったんですよね。
小川:まあ、いち会社員の僕が弾いた限界っていう感じですね(笑)。でも、それがこの映画の一つの真実でもあるのかなって思います。
──そもそも、Jさんがピアノを始めたきっかけって何だったんですか?
小川:職場の同僚が「30歳過ぎてからピアノを始めた」って話をしてて、それを聞いて「じゃあ僕もできるかも」と思ったんです。それで31歳のころ始めました。最初は難しかったですけど、続けていると、少しずつ確実に上達するんですよね。それがすごく実感できるのが、楽器の面白いところだと思います。
──それこそ、承認欲求のテーマとも関わってきますね。
小川:まさにそうなんですよ。楽器って、誰かに認められるためにやるんじゃなくて、ただ続けているだけで、自分自身で成長を実感できるんですよね。SNSだったら、「いいね」がつかないと評価されてるのかどうか分からない。でも、ピアノは違って、ただ毎日練習しているだけで「昨日より弾けるようになってる!」って、自分で分かる。それがすごく大きい。だから、もっと楽器をやる人が増えたらいいのにって思いますね。
今回の作品は「物語というある種の作り手の都合が、出演者のリアルを超えちゃダメ」だった
──本作を見て、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』を想起しました。独身中年主人公の丁寧な生活を悲観せずに描くという点で共通しているんですけど、一つ違うのは、『PERFECT DAYS』では、それを美しく描くような演出が入ってくる部分がある。一方で、『献呈』にはそうした部分がドライなくらいない。
小川:『PERFECT DAYS』は僕も観ていて、すごくいい作品だと思っているんですけど、たとえば、朝起きて、外に出て、太陽の光を浴びながら微笑むシーン。僕はあれは、日常ではしないなと(笑)。
宮地:観客としては、ああいうシーンがあると安心して観れますよね。それはすごくフレンドリーな演出だし、僕も『PERFECT DAYS』自体はすごく好きなんですけど、「果たしてそれがリアルなのか?」って視点で考えると、ちょっと違うなと思って。
──だからこそ、今回「普段やらないことはやめよう」と。
宮地:僕自身、最初の脚本ではもっといろんな要素を入れてたんですよ。初稿にはJさんの隣人の存在があったり、もっといろんな出来事が起こったりしていた。でも、Jさんに読んでもらったら「僕の生活とは全然違う」って言われて(笑)。
小川:最初の脚本は、ちょっと作られすぎてた感じがありましたね。
宮地:それで改めてJさんに3時間くらいインタビューして、もう一度書き直したんです。そのときに思ったのが、今回の作品は「物語というある種の作り手の都合が、出演者のリアルを超えちゃダメだな」ってこと。エンターテイメントとしては、ある程度ドラマチックな展開のほうが観やすいとは思うんですけど、今回はそれをあえてやめてみようと。
──それこそ、ドキュメンタリー的なアプローチに近いですよね。
宮地:そうですね。僕が今まで作ってきたミュージックビデオとかドキュメンタリーって、「エモさ」的なシーンに頼ってる部分があったんです。でも、Jさんのインタビューを経て今回はそれも一切やめようと思いました。ただただ、「普段の生活でやってないことは一切やらない」ことを課したんです。
この映画は、ある種、上映したら終わりじゃない
──Jさんは婚活を3年以上続けてるわけですよね。そこまで続ける理由というか、根本にある気持ちって何なんでしょう?
小川:一番大きいのは、友達が子供を持ち始めたことですね。それがすごく大きい。中には子供がそんなに好きってイメージがなかった友達なんかもいるんですがみんな幸せそうだし、なんか考えてることも変わったりしてるんですよね。自分と子供の関係性が将来どうなっていくのかとか、社会の未来についてだとか。そういう変化を見て、「ああ、こういうふうに視野が広がっていくんだな」って思うようになったんですよ。
──それが、Jさん自身の価値観にも影響を与えたんですね。
小川:昔は「結婚したら夢を諦めて、普通の人生になっちゃう」みたいなイメージがあって、結婚することがすごく残念に思えていたんですよ。でも、今はちょっと逆で。普通の人生を歩むことも、すごく素敵なことなんじゃないかって思うようになった。「それが幸せに近づくルートなんじゃないかな?」って。
──それって、歳を重ねてからだと、なかなか気づけないことですよね。
小川:40歳になるまで、学生時代からの知り合いの人生がどんどん分岐していくのを見てきたんです。でも、子育てに関しては、いろんな分岐した道を歩んできた人たちが、また同じような話題に収束していく。「子供がこうでさ」とか「こんなおもちゃ買ったんだよ」とか。そういうのを見てると、「あれ? これはもしかして王道なのか?」って思うようになりました。別に「結婚しなかったら不幸」だとは全然思わないですし、僕自身がその王道に乗るかどうかも、まだ分からない。ただ、今の時点では「まだその選択肢がある」っていう状況なんです。それを逃すと、もう選択肢がなくなる可能性が高い。
──だから、今やるしかないと。
小川:そう。だから、消極的選択ではあるんですよね。「これが絶対に自分の幸せの形だ!」というより、「今やらなかったら、もうできなくなるかもしれない」という気持ちのほうが強いのかもしれないです。
──それが、この映画の「今しかない」というテーマとも重なってきますね。
小川:そうですね。そういう意味では、婚活も、ピアノも、全部「今しかできないこと」なのかもしれないです。
──結婚相談所の担当者のセリフが、すごく刺さりました。「ちゃんと相手の女性のこと見てるの?」って。あのセリフは、Jさんが実際に言われたことに近いものだった?
宮地:あれは監督である僕からのメッセージなんです。Jさんの考えもすごく分かるんですけど、ピアノを弾く趣味とは違って、結婚や子育てって、相手がいないと成立しないじゃないですか。自分の今の「ある程度完成された生活」と、どうバランスを取っていくのかっていう問いを投げかけたかったんですよね。それを、結婚相談所の担当者・岸本のセリフを通して伝えた感じです。
──本作がきっかけになって、小川さんの婚活がうまくいくこともあるかもしれないですよね。
宮地:この映画は、ある種、上映したら終わりじゃないんですよね。Jさんの婚活がうまくいってほしいって気持ちもあるんです。実際、Jさんは婚活の場では、自分のことをプレゼンしてると思うんですけど、この映画のほうが、むしろJさんをより深く伝えてる気がする。良いところも悪いところも全部含めて、この映画を観てもらったほうが、誤解なく伝わるかもしれない(笑)。
小川:しかも、すごく誇張してるわけでもなく、割とリアルな僕が映っていますし。
宮地:そうそう。だから、映画としてもだけど、「Jさんのプレゼン映像」としても、めちゃくちゃいい作品になったんじゃないかなと思います。
──まずはモスクワで上映されて、その反響次第で日本での公開が決まるんですか?
宮地:一旦モスクワで上映して、他にも海外の映画祭に30か所くらい応募してるので、その結果を待つ感じですね。
──早く国内で上映してほしいです。
宮地:短編なので国内での単独上映が難しいと思うのと、好き勝手やったが故にかなりマニアックな作品であることは事実なので、まずは海外の反応を見てから考えたいと思っています。今回は僕がプロデューサーもやっているので、普通の映画配給の流れじゃない形で進めていけるんですよ。だから、ちょっと実験的な方法でやってみようかなと思ってます。
実はめちゃくちゃ映画として王道な作品なんじゃないかと思う
──Jさんご自身の生活についてなんですけど、今の暮らしには満足されてますか?
小川:うん、満足してますね。でも、それもここ数年で、ですけどね。今やってるプロジェクトは、自分のやりたいように進められてて、ストレスもほとんどないし、楽しくやってるので、今はすごく充実してます。
──じゃあ、もうこのままの生活がずっと続いてもいいなという部分もある?
小川:それは、宮地にも最初のインタビューで聞かれたんですよ。「これが20年続いたらどうですか?」って。そのとき「うーん、20年はキツいかもな」って思いましたね。別に今のままでも幸せに生きていけるとは思うんですけど、やっぱり家族を持つとか、そういう話も含めると、今とは違うルートも考えたいなとは思ってますね。
──宮地さんが切り取ったのは、Jさんの人生の「転換期」なのかもしれないですね。作品を作り終えた今、宮地さん自身は『献呈』を振り返ってどんなことを感じますか?
宮地:僕自身、ドキュメンタリーに関しては『WILL』が一つの節目になって、少し燃え尽きてた部分があったんです。これからも映像を作りたいし、ドキュメンタリーも続けていくつもりではいたんですけど、今までのやり方は一度やり尽くした感があって。それで、去年の春くらいから「もう一度映像を勉強し直そう」と思って、小津安二郎、溝口健二、黒澤明、あとはヒッチコックやフェリーニとかの古典映画を見直したんです。大学時代に観た時はあまりピンとこなかった作品も、今観るとめちゃくちゃ面白くて。やっぱり「人間とは何か」という普遍的な問いをしっかり描いているんですよね。人間のいい部分も悪い部分も。それがすごく新鮮で、「こういう映画を撮りたいな」と改めて思うようになったんです。今回、10日間の撮影日数のうち9日間をJさんと2人だけで撮影したんですけど、とにかく時間だけはあったので「その日撮影した素材を翌日繋いで確認して、それに合わせてシナリオを調整して、また次の撮影」というプロセスもはじめて経験できて、徐々に映画が出来上がっていく喜びをとても感じることができました。
小川:僕も、最終的に完成した映画を見て「これはすごくいい映画ができた」と思えました。
宮地:今回の撮影を通して、「自分がフィクションを撮るなら、こういう方向でやりたい」というビジョンがすごく明確になったんです。それが一番大きな収穫ですね。『WILL』が終わって燃え尽き気味だったのが、今回の作品を通してまた新しい方向性が見えてきた。
──そもそも、宮地さんとJさんで、クリエイティブチーム「ドビュッシー」を組んでいますよね。その初期作品『みんな夢でありました』は、宮地さんが被写体で、小川さんが撮影や編集を行なっていたわけで、ある種、本作は原点回帰とも言える作品とも言えますよね。
宮地:言われてみたら、そうですね。『みんな夢』がドキュメントの「礎」になったように、今度は『献呈』がフィクションの「礎」になるかもしれないです。Jさんと一緒に作品を作ったのは『みんな夢』以来、約17年ぶりだったんですけど、懐かしさとかは一切感じなくて。それよりもワクワク感の方が圧倒的に強かったので、それが何より嬉しかったです。
──Jさんは今回主演として映画に出演されたわけですが、本作をどう観てほしいですか?
小川:やっぱり「観てほしい」としか言えないんですけど(笑)、これは本当に映画という媒体でしか成立しない作品だなと思ってます。たとえば、これを小説にしたら、ただ「一人の男がどうこう」みたいな話になっちゃうと思うんですよ。でも、映画として観ると、全然違うものになる。セリフもほとんどないけど、そのぶん、画で感じ取れるようになってるというか。これはまさに「映画の映画」っていう。なんか、ひねってるように見えて、実はめちゃくちゃ映画として王道な作品なんじゃないかと思うんですよね。
宮地:めっちゃ分かる。やってることが、本当に映画じゃないと無理なんですよね。
小川:日常のシーンがただ淡々と並んでいくんですけど、それを観ながら「これってどういう話なんだろう?」って思ったりする。でも、その感覚こそが映画でしかできないことなんですよね。だから、すごく面白いと思います。
宮地:うん。すごい面白いか、すごいつまらないか、どっちかですね(笑)。
小川:怖いですよね(笑)。こうやってインタビューで自分で「めっちゃ面白いです!」って言っておいて、実際観た人に「全然面白くねえよ」って言われたら、へこみますけど……。
──いや、でも僕はめちゃくちゃ面白かったですよ、本当に。
宮地:ありがとうございます(笑)。先程の国内上映の話にも繋がるんですけど、『献呈』は今の日本の映画市場で好まれるテーマや座組みを一切無視して作ったので、正直、このまま上映しても人が入るとは思えないんです。でも、僕はやっぱり「映画の魅力」ってそういうことだけじゃないと思ってて。たとえば、Jさんみたいな「世間的に特別じゃない人」にも焦点を当てられること。たとえ有名な俳優じゃなくても、その存在を映画というエンターテイメントとして成立させられること。そして、それが日本を超えて海外の観客にも伝わること。人間の本質をしっかり描けていれば、時代だって越えられること。そういうのも含めて、映画の持つ可能性をほんの少しかもしれないですけど体現できたんじゃないかなと思ってます。
──そういう意味でも、この映画の反応が楽しみですね。
宮地:どんなふうに受け取られるのか、すごく楽しみです。
献呈 OFFISIAL SITEhttp://debussynetwork.com/kentei/
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