現役の製糖鉄道の先にある遊歩道は少々スリリングな“廃”鉄橋【台湾“廃”めぐり】
台湾中部の虎尾という場所には、現役の製糖鉄道があります。現在活躍する線路以外にも廃線が多く、大河を渡る廃鉄橋は遊歩道となっています。撮影は全て2025年3月です。
台湾中部の虎尾には現役の製糖鉄道がある
台湾の西側、中部に位置する雲林(Yunlin)県虎尾。日本語読みで「とらお」、中国語では「Huwei」と読むその街は、台湾鉄道「台鉄」の縦貫線から離れ、鉄道のアクセスは新幹線「台湾高鉄」雲林駅のみ。あとはバスか車でアクセスするしかありません。国内外に知れ渡る観光地はとくになさそうなのですが、毎年冬場となると日本人鉄道ファンや台湾人鉄道ファンが多数集結します。目的は製糖鉄道です。
虎尾は台湾で最後と言われる製糖鉄道が活躍する街です。サトウキビの収穫と輸送は冬季に行われ、台湾海峡へ向かって西へと延びる線路を、小さなディーゼル機関車と貨車が走ります。線路は762mmの軽便規格で、農道脇に埋もれるようにして敷設されており、廃線跡と思えてしまいますが、これでも現役なのです。私はそのロケーションに惚(ほ)れ、2016年から通い続けています。
なお台湾では、こうした軽便規格を「五分車(ごーふんちゃ)」「五分仔車(ごーふんなちゃ)」と呼びます。軌間1435mm(標準軌)の約半分だからそうした呼び名になったそうです。
かつて製糖鉄道は、台湾の西側に線路が張り巡らされていました。とくに高雄(Kaohsiung)、台南(Tainan)、嘉儀(Chiayi)、雲林など各県は精糖産業が盛んだった歴史を持ち、日本が統治していた明治時代より、サトウキビ畑と製糖工場を線路で結ぶ製糖鉄道のネットワークが広がりました。1945年の終戦後も精糖産業は台湾の主軸のひとつで、製糖鉄道はサトウキビ輸送だけでなく、線路沿いの街を結ぶ生活の足となり、台鉄の駅と街を結ぶ旅客列車も運行されていました。
虎尾は現在こそ台鉄の駅から離れていますが、斗南(Dounan)駅から虎尾の製糖工場「虎尾糖廠」まで製糖鉄道「斗南線」がありました。1950年代の台湾の地図を見ると、虎尾糖廠を中心として四方に製糖鉄道の線路が延び、街と街を結んでいたことがわかります。
それらの足跡を辿(たど)ってみたいのですが、あまりにも広範囲に線路網が構築されていたため、廃線跡を巡るには場所を絞らねばなりません。製糖鉄道の走行撮影はひと段落して、あとは帰るだけなので、虎尾糖廠の南側に位置する大河、虎尾渓を渡る廃鉄橋へ訪れました。
製糖工場から現れた線路は埋もれかけた3線軌条
虎尾渓に架かる廃鉄橋は「虎尾鐡橋」と呼ばれています。ここでは「虎尾橋梁」と呼びましょうか。虎尾糖廠は日本統治時代の1909年に操業開始し、やがて斗南線が敷設されました。
台鉄は1067mm軌間で、製糖鉄道は762mm軌間です。斗南線はデュアルゲージ、3線軌条でした。他の地域の製糖鉄道でも、台鉄の貨車が乗り入れる線路は3線軌条でした。台湾は精糖産業の歴史を伝えるため、製糖工場や鉄道を保存する施設が点在します。そういった場所へ訪れると、3線軌条が張り巡らされているのに気がつきます。いかに台鉄と製糖鉄道が相互に行き来していたか分かります。
私は線路そのものが大好きで、3線軌条と分岐器(ポイント)の複雑な構造を見るとしびれてしまいます。毎年訪台する度に製糖鉄道の3線軌条を眺めて、一人癒やされているのです。海外旅は人それぞれ過ごす癒やしがあり、私にとっては3線軌条がそのひとつなのです。
そして、廃線となった3線軌条は気分がもう最高潮に達します。虎尾糖廠の敷地南側からは斗南線の廃線が現れます。廃線には2種類の蒸気機関車が保存されており、その足元をしげしげと眺めると、機関車の車輪よりも3線軌条に目がいってしまいます。
3線軌条は機関車の先で、土とアスファルトに埋もれかけています。この姿を間近に眺め、ただただうっとりするのでした。周りを走る自動車のドライバーが、「何やってるんだ?」と怪訝な顔でチラ見してきます。顔をほころばせながら、道路脇に消えかかる3線軌条を眺める人。ちょっと怪しい。
ダブルワーレントラスの足元は粗い網目の遊歩道
散策はこれからが本番です。斗南線の3線軌条は交差点でプツっと途切れてしまいますが、その先にはトラス橋の姿が見えました。虎尾橋梁です。橋の両サイドは工事用の高い防音壁で覆われ、虎尾渓の大河が望めません。川を目隠しする理由はないし、高い壁を設けるほど大掛かりな護岸工事を行っているのでしょうね。
トラス橋は壁によって少々窮屈に感じ、橋梁の全景も拝めないのは残念です。というのも、虎尾橋梁は台湾各地からトラス橋とプレートガーダ―橋を寄せ集め、種種雑多な橋梁の姿であるからです。気を取り直して進みましょう。私は虎尾の街の中心で、「MOOVO」と呼ぶ雲林県を中心として展開するシェアサイクルを借りています。一般的なシェアサイクルと同じで、違う場所へ返却してもOKだから行動が楽です。自転車で巡りました。
と、学生と思しきカップルが橋を渡ってきました。橋は単線幅で広いとはいえないので2人を待ちます。足元を見ると、線路好きにとっては喜ばしいことに、3線軌条を残した状態で網目状に通路を整備しています。これは楽しみだ。
トラス橋はずんぐりむっくりとしています。トラス橋の斜めの端柱が太いからでしょうか。構造はダブルワーレントラスです。虎尾橋梁は1910年頃に木橋で架橋され、1931年に鉄橋へと架け替えられました。ずいぶんと古いトラスに見え、はたして1931年の製造だろうかと謎が湧きます。なぜなら、日本の明治期によくあった輸入トラスのように、斜材と垂直材、上下の弦材との接点がピン結合なのです。一見して古風な出で立ちです。
頭を垂れ、足元の3線軌条をじっくりと見ながら進みます。線路を歩けるなんてちょっと幸せだなと感じつつ、しかし足元を凝視せざるを得ないのです。網目の板はレールを覆う状態から、やがて枕木の間を埋めるだけの簡易的な構造となり、網目も粗くなりました。
足元は虎尾渓の河川敷と川面が、思う存分覗(のぞ)けるのです。スマホや鍵、小物を落としてしまったら一巻の終わり。橋梁は中途半端な高さがあるから、川面が生々しく目に入ってきます。手摺りは増設されているので、ふらついても落下することはなさそうですが……。
「これは高所恐怖症の人には難しいなぁ……」。幸い、私は高いところが好きです(ヘリのドアを開けて空撮するくらいですから)。吊り橋の上で横になれるタイプなので、物の落下に注意して撮影できますが、高いところが苦手だと、正直停止するのはよしたほうがいいかもしれない。
まことにスリリングな遊歩道です。現役時の状態を残したまま遊歩道化する姿に好感が持てるとともに、渡る人を選ぶ道に仕上がっています。
清朝時代から日本統治時代のものまで種種雑多な構造の橋梁
3線軌条のレールの合間で自転車を押し、網目に注意しながらトラス橋を観察します。あ、対向自転車がやってきた。軌道内で器用に待避し、対向の自転車のお兄さんと“列車交換”ならぬ“自転車交換”をします。
トラス橋の次は、なんとポニートラス橋が2連続です。しかも、2つのポニートラス橋は形状も違う。いかにも寄せ集め橋梁です。
2番目はポニーワーレントラスでピン結合です。銘板が残っており、「WESTWOOD BAILLIE & Co」と、イギリス製の橋だと分かりますね。3番目はポニープラットトラス。端柱が垂直という一風変わった姿で、こちらには銘板がありません。私が日本国内で出会ってきたなかでは、古写真も含めて見かけたことのない種類のポニートラスであり、そういえばイギリスにこういうポニートラスがあったような……。
ダブルワーレントラス、ポニーワーレン、ポニープラットと続き、4~7番目は下部プレートガーダー、それ以降は上部プレートガーダー(デッキガーダー)が続きます。下部プレートガーダーも幅がいろいろあるために統一感がなく、ほんとにあちこちから寄せ集めてきたんだなと感心します。なんとなく橋梁好きから研究者クラスまで、虎尾橋梁はじっくり観察できて楽しいです。
トラス橋とポニートラス橋は、やけに古そうだと感じたとおり、日本統治時代以前の清朝台湾鉄路が架橋し、後年に改良のため架け替えられたものを移設しました。
2つのポニートラスは、台北駅から台鉄で東へ2駅、南港(Nangang)駅の東側を流れる川、大杭渓に架かっていたもので、1891年ごろの架橋。ダブルワーレントラスは縦貫線新竹(Hsinchu)駅の北を流れる大河、頭前渓に架かっていたもので、これは1893年頃の架橋。下部プレートガーダ―のうち1径間には「汽車製造株式会社 大正2年 1915年」の銘板があります。
これらの出自が判明したのは、帰国後蔵書の『台灣舊鐡道散歩地圖』(古庭維・鄧志忠共著)を参照したからですが、現地には虎尾橋梁の経緯が簡単に記されています。斗南線は1998年に廃止後、橋は解体されそうになりましたが、地域の保存運動によって残されたとのこと。現役時から橋梁脇に人道橋を増設する構造で、廃止後も人々が利用していました。
ただし補強や郷土の問題で、人道橋を廃止する代わりに軌道部分を遊歩道化したようです。2012年には台風によって虎尾渓が氾濫して、橋梁は一部の桁が落橋してしまったものの、桁を補修して再架橋。虎尾橋梁は復活しました。その痕跡はいまも残っています。
周囲には渡河する橋が少なく、虎尾橋梁は地域の橋としても役立っていると感じました。災害から復活させたのも、単に保存橋梁の修復ではなく人々に必要だったからだと思います。
それにしても、この橋はよく下が見えますね。雨の後は水位が増すでしょうから、よりスリリングなこと間違いなしです。渡り終えて日も傾き、そろそろ台鉄の駅へ向かう時間となりました。MOOVOを斗南駅の返却ステーションへ向かうべく、このまま斗南線跡の遊歩道を疾走します。30分もかからないで駅へ到着。製糖鉄道跡の遊歩道は楽ですね。いたるところに3線軌条の痕跡があってドキドキします(笑)。
取材・文・撮影=吉永陽一
吉永陽一
写真家・フォトグラファー
鉄道の空撮「空鉄(そらてつ)」を日々発表しているが、実は学生時代から廃墟や廃線跡などの「廃もの」を愛し、廃墟が最大級の人生の癒やしである。廃鉱の大判写真を寝床の傍らに飾り、廃墟で寝起きする疑似体験を20数年間行なっている。部屋に荷物が多すぎ、だんだんと部屋が廃墟になりつつあり、居心地が良い。