北千住・大橋眼科が解体の危機から移築再建へ。動き始めたプロジェクトを聞いた
そもそも、大橋眼科とは?
大橋眼科は江戸時代から日光街道、奥州街道の宿場町として栄え、現在も交通の要衝として賑わう千住(駅としては北千住だが、宿場町としては千住。地元では千住の言い方のほうが一般的)の駅前通り商店街の一角に立っている。2022年11月に取り壊し予定の洋館は二代目。初代・大橋眼科は1917(大正6)年に竣工した。当時から三角屋根が特徴で、老朽化のために取り壊された後、1980(昭和55)年にそのイメージを引き継ぐ形で再建された。ぱっと見て明治、大正期のものでは? と思う人もいたようだが、実際には築42年、意外にお若かったのである。
それなのにレトロ感たっぷり、歴史を感じさせる佇まいだったのには理由がある。建築にあたった所有者が建物好きで、建替え以前から明治・大正期の建物のパーツを取り壊されるときに譲り受けて収集していた。建物にはそれらがふんだんにあしらわれ、個々のパーツの歴史が渾然一体となって建物全体に風格を与えていたのだ。
たとえば入り口の右側にある4本のガス灯(!)は、もともと銀座の昭和通りにあったものを前回の東京五輪前の1960年に譲り受けてきたもの。長さを短くして据えられていた。また、2階右側の欄干は東大赤門前のたばこ店にあったもので、外側に取り付けられた丸い壁面飾りは浅草の映画館・大勝館のものとか。これらは約30年をかけて集められたものだそうで、その熱意は驚くばかり。
最近は古い建物が取り壊されるときに部材だけでも残そうという動きが出てくるようになったが、それを昭和の早い時期から始めていたと考えると本当に建物が好きな人だったのだろう。解体工事中には本人が書いたと思われる図面などが出てきており、現場でこれをああして、こうしてと細かく指示を出していたそうだ。
「大橋眼科の竣工当時の建築関係者に図面が残っていないか問合せたところ、現場で変更、変更を重ねてできたこともあり、図面は残っていないと言われました」と、大橋眼科移築再建プロジェクト実行委員会(以下実行委員会)メンバーの一人で、移築復元プロジェクトをマネジメントするARCO architectsの青木公隆氏。
昭和の頃まではこうした、家を建てることを楽しむ人たちがおり、「旦那普請ですね」と、やはりメンバーの一人であり、移築工事、復元工事を担当する大工店 賽の佐野智啓氏。今では考えられない建て方で楽しみながら作られた建築なのである。
地元の人たちの愛着が事態を動かした
長らく眼科として診療を続けてきた大橋眼科だが、2021年に閉院。建物自体はしばらくそのままの状態だったものの、地元では解体を懸念する声があった。実際、時を同じくしてスタートしていた隣地でのマンション建築計画を進めていたデベロッパーと大橋眼科オーナーとの協議を経て、同眼科の敷地も計画地の一部になっていたのである。
そして2022年7月初旬、トラックで建物内からモノを運び出す様子がSNSで拡散されて話題になった。その情報の広がりが、のちにひとつになる2つの動きにつながった。
ひとつは前述の実行委員会の発起人になった株式会社ノルデステの阿部朋孝氏の「あの建物は残すべきだ、移築しよう」という決断である。足立区に生まれ育ち、現在は北千住で会社を経営している阿部氏はこの建物に愛着があり、このまま解体され、失われてしまうのはまずいと思ったという。
そこでマンションのデベロッパーを探して連絡。電話で建物を移築再生したいと申し入れた。すぐに答えが出るような問題ではなく、後日連絡という話になった。
もうひとつは同建物が地域で長年愛されてきたことを知ったデベロッパーのスタッフが、何もしないままで取り壊すのではなく、内覧会をする、部材を地域に残すなどの手がないかと模索を始めたこと。
少しずつ減っているとはいえ、千住界隈には蔵や古い建物などが残されており、地元にはそれを残し、活用しようという活動をしている「千住いえまち」(以降いえまち)という団体がある。阿部氏が移築したいと申し出たすぐ後にデベロッパーのスタッフといえまちスタッフ、千住地域のまちづくりに関わる面々が顔を合わせることになり、そこで2つの流れがひとつになる。阿部氏と千住の面々が一緒に実行委員会を組織し、移築再建に向けて活動をスタートすることになったのである。
課題のひとつは移築先の土地問題
2022年11月1日に解体が決まっていることから事態は急を要する。移築というが、実際には建物を新築、そこに保存しておいた部材を戻していくことになるため、まずは設計図が必要だが、残されていないことは前述の通り。実寸して図面を起こすためには時間がかかる。そこで青木氏は3Dスキャンができる会社を探して依頼。普通なら1ヶ月かかる実測作業が3日で終わったという。現在はその3Dデータをもとに図面を復元中である。
部材を確認、残すものを選定して取り外して保存する作業もすぐに始まり、9月の取材時には佐野氏が黙々と取り外し作業をしていた。外に取り付けられていたレリーフのうちには鍛鉄に見えていながら、実はモルタルに塗装という壊れやすいものもあり、慎重に行っても割れてしまうことがあるとか。現時点では正確な個数の判断は難しく、現地で作業をするたびに増えている状態とか。それを考えると解体までにすべてを取り外して保存するのはなかなかに大変そうである。
それ以上に大変なのは土地の確保。移築再建は決まっているものの、どこに建てるかが決まっていないのだ。
「地域に愛された建物であることから千住圏内で探したいと考えており、今、多方面に声をかけるなどして探しています。基本的には土地は借りたいと思っていますが、将来のことを考えると所有者が誰かが重要。個人所有の場合、相続があって土地が売却されるような事態が起きると、またまた行先探しをしなくてはいけないことになるからです」と阿部氏。
それを考えると企業あるいは寺社など相続とは無縁の団体の所有地が安心だろう。実際、千住ではキングオブ銭湯といわれた大黒湯の唐破風が地元・千住5丁目の安養院に移築されており、台東区浅草で関東大震災、第二次世界大戦の空襲を生き抜いた蔵が調布の深大寺に移築されることになっている。地域に寄与したいと考える法人、寺社その他の皆さんにはぜひ、移築場所に手を挙げていただきたいものである。
現在の土地の広さは約268m2(80坪)。現状では土地ぎりぎりに建てられているが、移築後はもう少しコンパクトになるかもしれない。個人的には建物周辺に多少の余裕がある、建物全体が眺められる広さだと良いなあと勝手に妄想している。
千住の魅力を体現する建物
土地ではもうひとつ、取り外した部材を置く場所も必要だ。現時点では取り外した場所に置かれているが、解体が始まる前にはどこか外に保存する場所が必要。後日の移築を考えるとこれも千住圏内が望ましい。期間限定で使う場所でもあり、足立区の所有する倉庫その他どこか使えるところはないのだろうかと、これまた妄想している。足立区さん、いかがでしょうか。
そして、土地以外の大問題が費用である。プロジェクトがスタートしてすぐ、青木氏が試算したところ、1億2,000~3,000万円ほどはかかるという結果になった。青木氏が驚いたことに阿部氏はそれに対して躊躇なく、やるという決断をしたそうだが、当然、安からぬ額である。そこで2022年9月14日からクラウドファンディングがスタート。2,000万円を目標に11月12日まで支援を求めている。
クラウドファンディングが始まってすぐの取材だったが、地元の、あの建物がある風景を愛していた人たちを中心にすでに支援が集まり始めている。文化財のようなお墨付きのある建物と違い、地元の趣味人がブリコラージュ(さまざまなものを寄せ集めて作ること)で作った建物がこれだけ地域で愛されているのは、この建物の存在自体が千住の街と重なるからだろう。
千住は古い宿場町でありながら、近年は大学が増えて若い表情を見せるようになっており、新旧がうまく入り交じっている。そもそもが街道の宿場町、交通の要衝で人が交差、混ざり合う場所でもある。大橋眼科も同じように新旧さまざまな要素が混ぜ合わされることでこの建物にしかない風景になっていた。そう考えると見た目だけでなく、存在としても大橋眼科は千住のランドマークというにふさわしい建物だったのである。
では、移築後はどう使われるのか。阿部氏は地域で楽しんでもらえるような、開かれた場所にしたいと考えている。
「たとえば大橋眼科の洋館のイメージにあった洋菓子が食べられるカフェ、スイーツをお土産に買えるような施設はどうだろうなどと構想中です」
これまでは患者さん以外見られなかった内部の様子も見られるようになるわけである。現在の予定では候補先の土地が決定してから移築再建まで1年半ほどを見込んでいるとか。復活の日が待ち遠しいものである。
北千住のランドマーク、大橋眼科を後世に遺し、開かれた場所を作りたい!
https://readyfor.jp/projects/ohashiganka