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海水飲む住民も…ガザの半数が飢饉危機 やまぬイスラエルの侵攻

TBSラジオ

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パレスチナ子どものキャンペーン

パレスチナ自治区ガザで続くイスラエル軍の侵攻によって死者が5万人を超える中、一時的に停止した軍事作戦が再開され、さらに状況は悪化しています。

ガザ地区では、民間組織による食料の配給が続いていますが、地元の保健当局によると3日、配給場所の近くでイスラエル軍による銃撃が相次ぎ、これまで100人以上が死亡し、500人を超えるけが人がでているということです。

なぜ停戦交渉が進まないのか、イスラエルはなぜ強硬姿勢を貫くのか、そして現地の人道状況はどうなっているのか。

中東政治が専門の東京大学中東地域研究センターの鈴木啓之・特任准教授と、現地で支援を続ける認定NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」エルサレム事務所代表の手島正之さんに、その実態をうかがいました。

(TBSラジオ「荻上チキ・Session」で2025年5月20日放送、構成=野口太陽)

人道状況は悪化の一途 「飢餓は危機的なレベル」

「飢饉の可能性が人口の半数にまで広がっている。爆弾ではなく飢えで亡くなる人がいる深刻な状況」

長年パレスチナとイスラエルを研究してきた鈴木特任准教授はこう指摘します。特に深刻なのが食糧危機。「メディアがガザに十分な注目をしない中で、人道危機がより深刻になっている。今まで以上に危惧すべき状態が起きている」と強調します。

ガザへ搬入する支援物資の量について、イスラエル側は「必要最低限」と方針を発表しています。鈴木特任准教授は「イスラエルは、人道支援を含めてガザ地区に関わる全てのものを管理しようとしている」と語ります。

現地で支援を続ける手島さんによると、5月後半時点の支援物資について「一日でわずかトラック9台分しか入ってこない」と語ります。さらに物資が届くのはガザ南部の地域に限定され、人道危機にある人々に十分な物資が行きわたっていないと訴えます。2023年10月の戦闘が始まる前のガザでは1日でトラック500台分以上の支援物資が入っていましたが、それでも不十分でした。手島さんも「食料や飲料水、医薬品が足りず、命を繋ぐ物資全てが必要な状況」と語ります。

ネタニヤフ首相の思惑 「地位維持のための戦闘再開」

ガザでは今年1月から停戦合意が続いていましたが、なぜイスラエルのネタニヤフ首相は3月18日に戦闘を再開したのでしょうか。鈴木特任准教授はイスラエル側、特にネタニヤフ政権の政治的な事情が大きな理由だと分析します。

戦闘再開前のネタニヤフ政権からは、ガザでの停戦維持に反対する政党が連立から離反した状態でした。そのままではネタニヤフ氏にとって政権維持の命綱となる年度予算の成立が危ぶまれました。

しかし戦闘再開によって連立復帰が実現し、ネタニヤフ氏は予算を成立させることができました。鈴木特任准教授は「ガザでの戦闘再開が連立復帰の条件になっていたと当然考えるべき」と指摘し、「ガザが連立のパートナーを引き留めるための道具になり、過去に例のない人道危機がひたすら悪化を続けている」と批判します。

さらに、ネタニヤフ氏が自らの汚職疑惑の裁判を抱えているという事情もあります。鈴木特任准教授によれば、ネタニヤフ氏は首相のポストを失った場合には収監される恐れもあり、「ネタニヤフ氏には首相の立場に残りたいという利害がある」と指摘します。

こうしたネタニヤフ氏の姿勢に対し、イスラエル国民の中からも「戦闘を継続することで政権の危機を乗り切ろうとしている」という批判が出ていると鈴木特任准教授は指摘します。

交渉の行方は 「ハマスの反撃力、著しく低下」

イスラム組織ハマスは交渉にどう臨むのか。鈴木特任准教授によれば、ハマスはイスラエルの人質がガザ地区に60人近くいると主張しています。ハマスは人質の解放と引き換えにガザ地区での停戦、そしてイスラエル軍の撤退を求めている状態です。

一方で、「戦闘という観点でいえば、特にこの3月以降のこの2ヶ月ほど、ハマスから有効な反撃はほとんどなかった」と鈴木さんは分析します。戦闘再開後、イスラエル軍兵士の死者数が、戦闘再開以降わずか7名であることから、「戦闘という形になっていない」と指摘します。

「ナクバ」から続くパレスチナの悲劇

パレスチナ問題の背景では1948年のイスラエル建国時に起きた「ナクバ」と呼ばれる出来事が特に重要です。

1948年、イスラエルが建国されました。これと前後して、パレスチナに住んでいた人々の多くが、戦闘と追放によって家を追われ、難民となります。鈴木特任准教授によると、パレスチナの当時の人口140万人のうち、半数に上る70万人が難民化しました。パレスチナの人々はこの出来事を「ナクバ」(アラビア語で「大惨事」)と呼んでいます。

「1948年のナクバはパレスチナに暮らしていた人々が故郷を失い、自らの土地や家族とのつながりを失ってしまう体験でした」と鈴木特任准教授。「自分たちのことを『パレスチナ人』と認識する原体験になって、『あの時失われた故郷を取り戻したい。取り戻せないのであれば、それに見合った補償をしてほしい』というパレスチナの人々の願いの根源を作り出しました」

1967年には第三次中東戦争で、イスラエルが東エルサレムを含むヨルダン川西岸、ガザ地区などを占領。国際社会はこれらの地域を「占領地」とし、イスラエルに撤退を求めてきました。

1993年には「オスロ合意」と呼ばれる和平の枠組みが作られました。将来的な二国家共存が期待されましたが、和平は進みませんでした。

2006年には、パレスチナ立法評議会選挙でイスラム組織ハマスが勝利。翌年、イスラエルとエジプトはガザを封鎖し、人や物資の出入りを厳しく制限します。現在まで続く、ガザの「封鎖状態」の始まりです。

失望に終わったオスロ合意 二国家共存の行き詰まり

1993年のオスロ合意は和平への期待を高めました。オスロ合意にもとづき、パレスチナでは5年間の予定で「暫定自治政府」が樹立。当初、この5年間の間にパレスチナ問題の解決を目指すことになっていました。

しかし、和平は実現しませんでした。鈴木特任准教授は「いつの間にかパレスチナは『暫定自治』と呼ばれなくなり、今では『自治区』または『パレスチナ自治政府』と呼ばれます。5年間続くだけだったものが、30年以上にわたって続いている」と指摘。「和平への期待が膨らんだ分、実現されなかったことの失望も大きかった」と振り返ります。

二国家共存の理念も行き詰まっています。オスロ合意では、イスラエルに並んでパレスチナ人が国家を作り、戦争ではなく話し合いで問題を解決していく方向が目指されました。

「いま研究者の間では『一国家状態』という言い方が使われます。イスラエルという国家が全てを管理している。パレスチナ自治政府の主権というものも、イスラエルの意向によってほぼ制限されるという状態になってしまっている。今回のガザの戦闘を見て、『二国家共存は無理かもしれない』という考えが広まっている」と鈴木特任准教授は説明します。

現地の窮状—食料、水や医薬品が不足

ガザの飢餓は極めて深刻です。

国連人道問題調整事務所(OCHA)が5月28日に発表したまとめでは、 ガザに住む約210万人の全員が、何らかの食料不足に直面しています。このうち47万人は、食料の状況を示す国際的な指標で、5段階で最悪の「壊滅的飢餓」に直面し、さらに100万人が2番目に悪い「人道的危機」にあるとされています。

「パレスチナ子どものキャンペーン」の手島正之さんは「食事を一日一食しか取れない状態。その一食はお米やパスタなど、簡単なものです野菜や肉は滅多に手に入らない状態」と現状を説明します。

空爆で家を失い、避難する人たちは、過酷な移動を強いられています。手島さんは「ほとんど徒歩で何十キロも歩かなければいけないという状況が続いています」と語ります。また「多くの人たちが、ロバが引く荷台に乗って移動することも今では一般的になっている」ということです。

現地で給水支援を行う手島さんは「『支援が来なければ海水を飲もうとしていた』と言う人もいますし、実際に飲んだことがあるという話もどんどん聞こえてくる」と、現地の深刻な状況を伝えています。

日本からできること 情報を知り、支援を続ける

ガザの人道危機への日本政府の支援について、鈴木特任准教授は「あまり国際的に目立っていない」と評価します。「特に3月以降、じわじわと物資が止められて人々が飢え、餓死も起きかねない状況に対し、日本政府から十分な声明が出ているのかといえば心もとない」と指摘しています。

また、日本での報道の量についても「事態が深刻さを増す中で、むしろ反比例的に少なくなってしまっているような印象」と懸念を示します。

ガザでの悲劇は政治的思惑によって長引き、人々の命が脅かされ続けています。私たちにできることは、この現実を知り続け、可能な支援を行うことなのかもしれません。

(TBSラジオ『荻上チキ・ Session』より抜粋)

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