【台湾“廃”めぐり】台中駅前編。日本統治時代の駅舎とホームには車両も「停車」して保存されている
台湾の廃線跡は遊歩道となるケースが多いです。縦貫線の台中(Taichung)駅は高架化されましたが、日本統治時代の駅舎とホーム一部が文化財として保存されています。先日、その旧台中駅と地上区間の旧線跡遊歩道を訪ねました。台中駅の現在の様子を前後編でお伝えしましょう。
台中駅は高架ホームとなった
台湾を訪問したことがある人からは、よく「古い建物を大事にしている」という話を耳にします。私も訪台するたびに同じ感覚を抱いています。日本統治時代の建物をリノベーションした店舗がいたるところに存在し、廃線跡も遊歩道化されて憩いの場となり、ときには廃工場や炭鉱も、操業当時の状態を伝える見学施設となっています。
台湾ではいくつか旧駅舎が保存されていますが、今回訪れたのは台湾西部の都市・台中の玄関口、台中駅の旧駅舎とその周辺です。台中駅は日本統治時代に開業。2代目駅舎は大正6年(1917)に竣工しました。2016年に高架化が完了すると、3代目となる高架駅舎が使用開始となりました。使命を終えた2代目駅舎は解体の運命をたどるところですが、駅舎はレンガ壁面が華麗なネオルネッサンス様式であり、台湾の文化遺産へ指定されて保存されています。
台湾は清朝統治時代に基隆〜新竹間の鉄道が整備されて、日本統治となったあと、新竹〜高雄間の台湾西部を結ぶ幹線が整備されました。南北の線路が延伸開業していくさなか、台中駅は明治38年(1905)に開業。そして明治41年(1908)に線路は結ばれて、台中で全通式という式典が挙行されました。
縦貫線は台湾の南北を結ぶ大動脈であり電化も早く、複線化と線形変更も数カ所で行われました。都市部は踏切での渋滞も酷く、線路が都市を分断している状態を打開するため、地下化と高架化が実施されてきました。台中駅前後の高架化もその一環で、豊原(Fengyuan)駅〜大慶(Daqing)駅間が高架化となり、台中駅は大型屋根が特徴の高架駅へと生まれ変わっています。
旧ホームの一部と華麗なる赤レンガの旧駅舎が出迎える
台中駅へのアクセスですが、台北から縦貫線の特急「自強(Tze-Chiang)号」などで約2時間です。ただし縦貫線は途中で海側の海線と、台中駅を通る山線へと分かれているので注意。新幹線「高鉄(High Speed Rail)」を使用する場合も、高鉄台中駅はかなり離れた場所にあって、隣接する縦貫線新鳥日(Xinwuri)駅で乗り換えます。
高架ホームへと降りると、駅全体を覆う大屋根が目に入ります。目的の旧駅舎は改札口から2階部分のペデストリアンデッキへと出ると、すぐ左手に見えてきます。高架駅に沿って地上ホームの屋根と線路が2線、その先に駅舎があって、線路には車両の姿もあります。一帯は「台中駅鉄道文化園区」となって保存されているのです。さっそくデッキを降りましょう。
駅舎の前にちらっと見えるのは、警戒塗装の黄色い顔をした東急車輛製のディーゼル車「DR2700」です。かつては「光華(Kuang-Hua)号」という優等列車に使用され、2014年まで活躍していました。旧ホームも高架切り替え時そのままの姿で残されており、あたかも停車しているような錯覚を覚えます。
旧駅舎はそのすぐ隣です。平屋と2階建て構造で、正面中心部に台湾鉄路公司「台鉄」印を掲げた尖塔を配し、赤レンガと花崗岩(と思う)の壁面には彫刻の装飾を施しています。駅舎はネオルネッサンス様式と言いましょうか。中心部は明かり取りを意識した大きな窓が特徴で、暗くなりがちな駅舎内に自然光が降り注ぐデザインです。
この駅舎のたたずまいは、台湾に現存する日本統治時代の駅舎の中でも、群を抜いて華麗だと感じます。鉄道ファンでなくとも足をとめて見入ってしまうほどのたたずまいで、役目を終えた現在でも輝いています。しばし見つめていると、あの駅舎……そう東京駅丸の内口の「赤れんが駅舎」と重なってきます。
旧台中駅舎を紹介する書物やWEBでは、「辰野式」と称されています。この駅舎が建設された当時は、辰野金吾事務所が設計した赤れんが駅舎が竣工した直後で、その影響を多分に受けていても不思議ではありません。
現役当時の雰囲気をそのまま残しながら憩いの場となった
では駅舎へ入りましょう。切符窓口は使用中止となった2016年当時の状態です。時刻表も掲示されたまま。改札口も撤去されていません。駅舎内は日本アニメなどのイベントスペースとショップになっていますが、約10年前の雰囲気がそのままです。私は過去に台中駅を訪れなかったことが悔やまれますが、訪れたことがある方ならば、一歩なかに入っただけで“あのとき”を思い出すはずです。
続いて、台湾では「月台」と呼称するホームへ。保存されているのは2面のホームと線路で、目の前には初代自強号EMU100電車が2両、線路に載せられた状態で保存されています。
長大編成を誇ったEMU100が2両というのはかわいらしいですが、画角によっては停車する寸前のような光景に見えます。
ホームの柱は鉄製です。鋳鉄製かなと思いました。根拠はないのですが、東京駅山手線ホームにあった鋳鉄製の柱と酷似しているのです。違っていたらゴメンナサイなのですが、台中駅の柱も鉄製の梁との接合部に装飾が施され、東京駅と同時期と考えたら鋳鉄製なのかなと。鉄製の柱と梁がずらっと並ぶ相は壮観で、日本統治時代の姿を色濃く残したまま保存してくれたことに、感謝の気持ちが込み上げてきます。
ホームに“停車”保存されている車両は、DR2700、EMU100とR111柴油機関車と呼ぶディーゼル機関車です。エンジンは掛かっていませんが、録音したエンジン音を流す演出がにくいですね。
反対側のホームへは数カ所の通路で渡ります。EMU100とDR2700はただ保存されているのではなく、ショップとカフェとなっており、鉄道や“廃もの”に興味がない人と一緒でも楽しめます。台中駅鉄道文化園区として整備されたこの空間は、小舞台で演奏があったり、ホーム上でフリーマーケットが開催されたりと、市民の憩いの場として大変にぎわう空間となりました。
なお保存車両のショップには台湾鉄道グッズの店舗があり、自らが散財してしまう…… という危険がはらんでいます。台湾製Nゲージキットを片手にEMU100を下車して振り返ると、駅舎の尖塔が眩しく輝いていました。
後半はR111機関車の先へと続く廃線跡「緑空鉄道1908」を歩きます。
<台中駅点描>
取材・文・撮影=吉永陽一
吉永陽一
写真家・フォトグラファー
鉄道の空撮「空鉄(そらてつ)」を日々発表しているが、実は学生時代から廃墟や廃線跡などの「廃もの」を愛し、廃墟が最大級の人生の癒やしである。廃鉱の大判写真を寝床の傍らに飾り、廃墟で寝起きする疑似体験を20数年間行なっている。部屋に荷物が多すぎ、だんだんと部屋が廃墟になりつつあり、居心地が良い。