荻野目洋子「影響を受けた人物は父と母」
今月のゲストは、歌手の荻野目洋子さん。
今週は、デビュー40周年となる荻野目さんに、印象に残っているお仕事の話などを伺っていきます!
体力キープのために行っている事とは?
荻野目さんは、今年デビュー40周年ということで、春からずっとライブを行っています!「年齢と共に落ちていく体力を、とにかくキープするだけで大変!」とのこと。体力キープのために腹式トレーニングの教室に通っているそうです。
要・近藤:腹式トレーニング??
荻野目:とにかく走ったり、息が荒くなった状態で腹筋や背筋などを鍛えるという。そういうトレーニングをセットで行っていて、来ている方も学校の先生やオペラ歌手、役者さんだったり。
近藤:心拍数を上げた状態で追い込むってことですね?
荻野目:そうです!これが意外とやりがいがあるんです!
学生時代は卓球部だったという荻野目さん。部活ではとにかく走らされた記憶があるそう。その時の経験から、走るのは苦じゃないとおっしゃっていました。
荻野目:要さんは、走るのお好きですか?
要:僕は、小中高と陸上部で…もうね、2度と走りたくないんですけど(笑)
近藤:人生の分走り切った!(笑)
荻野目:すごい!!えー!そんなに走る人の前で“走るの好き”なんて言うんじゃなかったー!(笑)
要:いやいや!全然!もう僕は走ってる人を見ると本当に尊敬しますね!
荻野目:私は“走り”をちゃんとやっている人って、フォームが綺麗じゃないですか。それに憧れます!
要:今でもたまに、演技とかで走ってみましょうといわれたりすると、フォームを気にしちゃって、全然進んでないんです…
荻野目:あははは(笑)やっぱり、気にしちゃうんですか?
要:こんな風に走ってたなと思っているのに、当時と比べると全然進んでないんです!(笑)
近藤:これから要さんが走っているシーンチェックしちゃいますね(笑)
荻野目:ちょっと注目したいですね!(笑)
「歓声が忘れられず、今でも印象に残っています」
40年間お仕事をしてきて、特に思い出に残っているお仕事1つ目は、日本の代表として16歳の時に参加した『日中友好の祭典』。当時、山口百恵さんのドラマが放映されており、その主題歌が大人気だったそう。中国語で山口百恵さんのメドレーを覚えて行き、歌った瞬間に会場中が喜んでくれたことに、とても感動した!と仰っていました。
荻野目:あと、台湾のヒット曲も、歌ってくださいと言われて急遽覚えて(笑)歌詞が全部中国語で、それを覚えるのが鼻血が出るぐらい大変で…!でも、それを披露した時の歓声が忘れられなくて…今でも印象に残っています。
忘れられないお仕事2つ目は、19歳の時。アメリカの音楽プロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンさんと『ヴァージ・オブ・ラブ』というアルバムを制作した事。
ウォルデン氏は、1993年に映画『ボディガード』のサウンドトラックで、グラミー最優秀サウンドトラック賞を受賞。ほかにも、プロデューサーとして華々しく活躍されていて、72歳の今も、ブラックミュージックのプロデューサーとして活動されています。
要:日本のレコーディングとは違いましたか?
荻野目:全く違いました!日本で録音していた時は、スタッフさん達が眉間にしわを寄せて(笑)現場でもギリギリまで突き詰めていく!という感じだったんですけど…アメリカでのレコーディングの時は、期間などが決まっていたので。全編英語のデモテープを1週間で覚えて、、、
要:英語はできたんですか?
荻野目:いやいや!学校で習った程度です!(笑)あとは自分が洋楽を聴いて育ったので…耳では英語を聴いていたくらいでした。
要:いやー!もう、過酷!
荻野目:そこだけ聞くとだからもうめちゃくちゃハードなんですけど(笑)でも、チャンスを与えてくれたというのが、財産だったなと思っていて。ものすごく印象に残っています!
要:なるほど!
荻野目:そして、ナラダさんとにかく温かくて優しい人で。レコーディングの時もスタジオの中が照明じゃ無くてろうそくを焚いて、ムーディーな感じで、、、。
要:へえーー!
荻野目:リラックスして、楽しんでね~!というような。ハッピーオーラ満載でした!
要:それは、日本ではなかなか無い、、、
荻野目:無かったですね!今まで一度も無かったので、目から鱗でした!緊張はしているんですけど、通訳さんを入れず対等に一対一でお話しして。19の自分にとっては、これはもうやるしかないと、そんな感じで挑みましたね!
賑やかで笑いの絶えない荻野目家
4人きょうだいの、末っ子だった荻野目さん。影響を受けた人は、お父様とお母様だそう。ILO(国際労働事務局)に勤めていらっしゃったお父様とは、釣りや自然が好きという点で、趣味が一緒で、気が合っていたとお話ししてくださいました。
要:お父様に言われて印象的だった言葉やエピソードありますか?
荻野目:アジアの人が来日されたとき、日本の一般家庭を見せたい!ってことで急に家に連れてきちゃうんです(笑)なんか、お客さんに対しても「かっこつけなくていいんだよ、人間なんてどんな環境でもみんな平等なんだから」と。普段の子育ての中で“こうしなさい”と言われた覚えはあまりないんですけど、父からはこういった振舞い方を学んでいた気がしますね。
近藤:お母さまはどんな方だったんですか?
荻野目:母は、ユニークで、、、今考えると、言えることと言えないことがあって(笑)例えば、父の勤め先はずっと東京なのに、引っ越しをしようと切り出すのが母親だったりして。
要・近藤:へえ!
要:アクティブなんですね!
荻野目:子どもたちからすると、仲のいい友達と別れるの嫌だし、特に理由もないのになんで!といつも泣きながら(笑)でも、そういう風に振り回されることで、ポジティブになるしかないみたいな感じの母親でしたね(笑)でも反面、愛情深くて手作りの料理を振舞ってくれて。デザートとか、市販のケーキを買ったことが一度もなかったです!
要:お家で作っていたんですか!素敵ですね…!
要:荻野目家には、何かルールみたいなものはありましたか?
荻野目:笑いの絶えないお家でしたね。
要:にぎやかなんですね!
荻野目:それなりに、喧嘩とかもしましたけど。姉、姉、兄、自分だったので、姉の服も兄の服も借りていたので…デビューしてからもボーイッシュだねって言われることはありましたね。そういう影響もあったと思います。サイズが合わなくても自分なりに着こなしちゃおうとか、好きでした!
お父様に教わったことを込めた歌『宝石~愛のうた』
荻野目さんのお父様は、ILO(国際労働機関)に勤めており、世界の労働環境について取り扱っていました。そんなお父様の意思を継いで、荻野目さんも現在活動を行っています。
荻野目:数年前から、児童労働を無くしていこうという、音楽的なアンバサダーを務めさせてもらっていて。中学や高校で授業として歌を歌ったり、児童労働について伝えるような役目をしています。
近藤:このキャンペーンのために作詞作曲もなさったんですよね?
荻野目:はい、『宝石~愛のうた』というんですけど。まさに父に教わったことを歌に込めました。“生まれた時から、みんなの心の中には輝きがあるんだよ“っていうのを、宝石に例えて作りました。
(TBSラジオ『要 潤のMagic Hour』より抜粋)