伊藤銀次 × GOOD BYE APRIL 倉品翔【スペシャル対談】後編 〜 ヒットソングの極意とは?
“流行りのシティポップ” の遥か先を行く本物のバンド、GOOD BYE APRILが、1970年代から音楽シーンの第一線で活躍するレジェンド、伊藤銀次を迎え、東京・丸の内のコットンクラブで一夜限りのスペシャルライブを行った(2025年6月24日)。
2011年に結成され、2023年に日本クラウンのPANAMレーベルからメジャーデビューを果たしたGOOD BYE APRILは、この7月2日に配信シングル「リ・メイク」を、さらに7月7日には「Velvet Motel」と「ピンク・シャドウ」のカップリングを8cmCDでリリースするなど、精力的に活動を続けている。
ライブでの共演を経て、互いの楽曲や演奏について、またシティポップの名曲カバーの極意など、伊藤銀次とGOOD BYE APRILのリーダー・倉品翔が縦横無尽に語るスペシャル対談。後編はバンドを継続する秘訣、音楽性の変化、そしてバンドにとってヒット曲とは何か?までを語り尽くしています。
この4人になったのは神様の巡り合わせ
―― ここで、GOOD BYE APRILの他のメンバー3人の音楽的な指向を伺っておきたいと思うのですが。
倉品翔(以下:倉品):ドラムの “つのけん” は、元々LUNA SEAとかも好きで、学生時代はビジュアル系ロックにハマっていて、TOTOとか、1980年代のAORを聴いていたみたいです。彼は出会った頃から歌も大好きで、めっちゃ歌いやすい、歌心のあるドラムを叩くんです。
ベースの延本(文音)は、もともと絵描きを目指していた人で、ワールズ・エンド・ガールフレンドとかサブカルっぽいロックも好き。バンドの中で一番エッジが効いてるんですが、小さい頃に親の影響でユーミンも聞いていたそうです。
ギターの吉田(卓史)は、Hi-STANDARDとかが大好きなギターロックキッズで、バンドを組んだ当初は一番ロックのカラーでした。ただ、彼も親の影響でイーグルスやニューミュージックも通過しています。
キーボードの “はらかなこ” さんは、ここ2年ぐらいサポートメンバーとして参加してもらっています。元はクラシックっぽいピアノを弾く方ですが、近年、シティポップにチャレンジするようになったタイミングでお願いしたんです。ステージの表情も華やかで、ニコニコしながら弾いてくれるし、音楽でのコミュニケーションがすごく柔軟な方です。
伊藤銀次(以下:伊藤):それにしても、10年以上同じメンバーで続いているバンドも少ないので、これって運命の出会いなのでは? よく長い期間、喧嘩もせずやっているよね。
倉品:多少の喧嘩はありました。
伊藤:でも根本的なところで、向いている方向は一緒でしょ? それって作れるものではないから、この4人になったのは神様の巡り合わせですよ。僕はそういうバンドに恵まれなかったから羨ましいし、大事にして欲しい。それに倉品くんって、あまりフロントマンっぽくない。我を出さないというか。前のバンドでよっぽど苦労したんじゃないかな?(笑)。メンバーと上手くいかなかったとか、もうついていけない!って言われたとか。
倉品:僕はGOOD BYE APRILの前に、ギターロック系のバンドをやっていたんです。でもそのバンドでは音楽的な共有感があまり得られず、一方的に僕が “こうしたい、ああしたい" といっているだけで終わってしまった、苦い経験があるんです。自分の思ったように弾いてくれないメンバーをクビにしたり。そういうことを平気でやっていたんです。無我夢中だったけど、振り返ったら結構酷いことをしてきたなあと思います。でも、最初のバンドが終わった後、自分ひとりで音楽をやっていく絵が浮かばなくて、もう1回バンドをやるなら、バンドとして機能できる集合体にしたい。ひとりの言いなりになっているんだったらバンドである意味はないと思いました。
伊藤:大人だねえ(笑)。いや、なかなかできることじゃないよ。でも、メンバーをクビにしたぐらいだから、音楽家としての “我” やビジョンはあるんだよね? それでそこまで考えられるのはすごい。だって、みんなバンドのせいにするからね。“こいつらじゃ歌えない” とかさ(笑)。僕もそうだった。自分で思い描いている音楽があり、それを相手に期待しても出てこない。でもGOOD BYE APRILはメンバーが互いにそこをわかっているよね? 歌がこう来るならベースはこうなるとか。
倉品:4人とも性格が控えめというか、協調性を大事にするタイプで、"俺が、俺が" というメンバーはいないんです。
伊藤:主張しないだけだったりして(笑)。ただ、“全体の中で自分がどう動くか” というのは、プロデュースの感覚なんです。普通は誰でもそうだけど、ギタリストならギターのことしか考えない。でも、全体を考えるようになると、根もとの方向性も変わってくる。ユーミンが荒井由実の頃、彼女のバックをやっていたキャラメル・ママは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆と、全員プロデュースの才能があるんですよ。自分の楽器のことだけしか考えてない、というミュージシャンではない。全員が、 相手が何をやるか考える感覚があるんです。GOOD BYE APRILもそれに近いと思った。そういう人たちが4人集まるってなかなかないよ。
倉品:そういう話し合いはずっとバンド内でやっていて、5年目ぐらいから “曲に尽くそう” をモットーにしてきたんです。曲を作っている僕も、互いのパートに干渉し合って、曲が求めるものならなんでもOK、というつもりでやってきたんです。
伊藤:そう、曲が一番偉いんだよね。
“ニューミュージックやります!" と宣言
―― GOOD BYE APRILが今のようなシティポップ的なサウンドになった時期はいつぐらいからでしょうか。
伊藤:初期の作品はイギリスのネオアコのような、おしゃれな音だったよね。
倉品:そうなんです。僕はオアシスとか好きでしたから、最初の4年はギターロックをやっていましたが、自分の声にひずんだギターが2本入ると声が立たない感じがしたんです。そのタイミングで、子どもの頃に親の車で聴いていたニューミュージック系の音楽を思い出して、自分の声にこの音楽性は合うかな? と聴き返してみたら、そっちの方が音楽的に面白くなってしまいました。
それで、2016年のファーストアルバム『ニューフォークロア』の時に、みんなを説得して “ニューミュージックやります!" と宣言したんです。同時に、このタイミングで “曲に尽くそう” って話もしました。アルバムの1曲目はストリングスと歌だけの曲で、今までのバンドスタイルからしたらあり得ないことですが、そういうグループになります、という決意表明なんです。楽曲が求める音を奏でるために集まった4人組になろう!と。
伊藤:音楽性が変わるって結構あることで、例えばスタイル・カウンシルだって、元はパンク的なバンドだったけど、途中で方法論が古いと思って、カーティス・メイフィールドを聴き、かっこいいからこういうのをやろうぜ、って変わっていったんだから。GOOD BYE APRILも、元はとんがっていたわけだ。
倉品:そうですね。根っこにあるマインドはロックンロールです。
伊藤:元々とんがっている人がポップスをやるのは面白いんですよ。僕も最初はハードロックをやっていたから、ギターを弾くと全然ポップスにならない。でも中学生の頃はポップスが好きだったし、当時はビートルズやビーチボーイズとか、シャウターじゃない声の人が主流だった。その後1966年頃から、プロコル・ハルムとかジョー・コッカーとか、黒人みたいな歌い方をする白人が出てきて、真似してみたけど全然だめだった。僕のボーカルの時代は終わった!と本気で思ったよ。優しい声は流行らない、これからはロックの声だ、となって歌うのをやめたんです。それで最初に結成した “ごまのはえ” で、大滝さんにプロデュースを任せたら “君が曲を書いてるんだから、君が歌え" と言われて、サウンドの方向性ももっとポップな方がいいとなって、自分で歌うようになったんです。
GOOD BYE APRILのキラーチューンは必ず出てくる
伊藤:今回、一緒にライブをやって思ったことだけれど、この1年ぐらいの間に、GOOD BYE APRILのキラーチューンは必ず出てくると思うよ。僕はプロデューサーではないけれど、相談があればいつでも受けるよ。
倉品:本当ですか!
伊藤:うん、だってウルフルズの時も大滝さんに相談したもん。大滝さんは1円にもならないけど、いろいろなアドバイスをくれたよ。やっぱりこの界隈が賑やかになってくることが大事なんだよ。それが結果的に自分の得にもなっていくわけだから。
―― 銀次さんはそれこそ、ウルフルズではプロデューサーとしても「ガッツだぜ!」の大ヒットを出していますから。
伊藤:あの曲も、本当は彼らが作りたかった曲ではなかったんだ。“ウルフルズ流のディスコをやろう!” と言うことで、僕が作らせちゃった曲。KC&ザ・サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」をもじって作ったんだから。でも結果的に大ヒットして彼らの代表曲になった。楽曲というのは、アーティスト自身が心に秘めている曲もあれば、お客さんと一緒に乗って走っていく、乗り物のような曲も必要だからね。その曲でGOOD BYE APRILのことを知ってライブを観に来て、他の曲もいいな、と思ってくれればいい。
倉品:確かにそうですね! 今、乗り物がすごく欲しいです!(笑)。聴き手とバンドが共有できる1曲って大切ですよね。
伊藤:ただ、そのバンドの良さは失わないようにしないといけない。日本の音楽シーンで、洋楽っぽい事をやっていくのは、なかなか楽じゃないんです。時代の空気との兼ね合いも考えなきゃいけない。でもそればかり考えていると、肝心の曲の面白さが無くなっていく。最初、GOOD BYE APRILの初期の演奏を聴いた時、倉品くん固有の主張を感じたんです。それで、“あの頃のやつ、真っ直ぐ歌っていて良かったよ” と伝えたんです。シティポップの昔っぽい部分はやらない方がいいよとも。今の時代はもっとビートを感じる曲の方がピンとくるから、シティポップの良いとこだけ取って今のビート感でやったら? ってアドバイスしたの。
倉品:はい。そのアドバイス、すごくありがたかったです。
伊藤:この関係性はやっぱり音楽仲間、僕が大学の音楽サークルのOBで、倉品くんが今の部長という感じだよね。音楽って、誰か1人のアーティストのことが好きだと、その周辺のアーティストやバンドも含めて好きになっていくじゃない? 大滝さんが好きなら、山下達郎や伊藤銀次、杉真理、佐野元春、その他ナイアガラ関係のアーティストのことを好きになる。そこでみんながコミュニケーションをとって、共通に好きになっていくという傾向があるよね。“この辺の人たちのやっているポップス、いいよね” っていう感覚。そういう形で全体を底上げしていった方が、僕は絶対にいいと思います。
倉品:本当にそうですね。まだ僕らも過渡期というか、いろいろとトライアル中なので、今回も大きなヒントをたくさんいただきました。今までもだいぶ、いろいろなことを教えていただいていますが、今後もよろしくお願いします!
伊藤:いやいや、そこはこれからも楽しんでやりましょう。
Live Photo by Shun Fujita(ARIGATO MUSIC)