JUN SKY WALKER(S)、初の海外公演のオフィシャルレポート到着 ライブ&ドキュメンタリーの映像作品を配信
今年1月にオーストラリア・シドニーで開催されたJUN SKY WALKER(S)初の海外公演『JUN SKY WALKER(S) Live in AUSTRALIA 2025』のオフィシャルレポートが到着した。
さらに、『JUN SKY WALKER(S) Live in AUSTRALIA 2025』の配信LIVEが明日・3月14日(金)12:00よりStreaming+にて期間限定で配信される。開催直前にギターの森純太が気管支喘息発作および肺炎のため参加断念となったが、宮田和弥(Vo&AG)・小林雅之(Dr)・市川勝也(Ba)の3人体制でのLIVEパフォーマンスに現地でのメンバー密着やインタビューなどオーストラリア公演の全貌を伝えるドキュメンタリーを加えた2時間にわたる映像作品となっている。配信期間は3月14日(金)12:00から3月21日(金)23:59まで。配信チケットの購入はイープラスにて本日より受付開始。1週間限定の配信となっているのでお見逃しなく。
オフィシャルレポート
JUN SKY WALKER(S) Live in AUSTRALIA 2025
2025.1.11 WAYWARDS(324 King St Newtown NSW 2042)
2025年1月11日(土)JUN SKY WALKER(S)の初の海外公演「JUN SKY WALKER(S) Live in AUSTRALIA 2025」が、シドニーのライブハウスWAYWARDSで行われた。本公演は、現地でのチケット販売は勿論のこと、日本からのツアー参加やチケット購入も可能であり、事前に応援のクラウドファンディングも行われるなど、JUN SKY WALKER(S)にとって初の試みと言えるプロジェクトとなり、注目を集めていた。
しかしながら開催3日前の1月8日に、ギターの森純太が気管支喘息発作および肺炎のため、医師より渡航の許可が下りず、オーストラリア公演への参加を断念する事に。急遽、宮田和弥(Vo&AG)・小林雅之(Dr)・市川勝也(Ba)の3人体制で、アコースティックLIVEとして行われることとなった。
メンバー・スタッフ共に、様々な苦難を乗り越えて迎えたLIVE当日、天気予報では雨かと言われていたが、一転快晴となり好天に。昼頃リハーサルでメンバーが会場入りする前から、すでに待ちきれない現地在住のファンが会場WAYWARDSの前に集結。オーストラリアに住む日本人の人々にとって、青春時代のロックスターがシドニーにやってきた事に、大きな期待を寄せている様子だった。
午後5時、多くのオーディエンスで会場は埋め尽くされた。中には、金髪のモヒカンヘアを逆立ているパンクスや、日本人のパートナーと共に参加するオーストラリア人男性なども見受けられた。開演時間を迎えると、まずはマネージャーが登壇。森純太が病気のために参加出来なかったことを、改めてお詫びすると共に、高らかにメンバーを呼び込んだ。
そして遂に、大声援の観客に出迎えられながら、JUN SKY WALKER(S)がステージへ登場。Vo.の宮田和弥の「いくぞ、シドニー!」という絶叫と共に、LIVEはスタートした。オーストラリア公演の1曲目を飾ったのは、「全部このままで」。 初期の代表曲であり、キャッチーなパンクロックナンバーを、テンポを少し落として、ブルージーなアレンジで披露。ファンの興奮も一気にヒートアップ。続いて「ひとつ抱きしめて」「だけど1人じゃいられない」と初期のナンバーを惜しげも無く演奏すると、宮田のMCに。
「シドニーの皆さん、そして日本から参加の皆さん こんなにたくさん集まってくれて有難う!今日は残念ながら森純太が参加出来ませんが、3人のアコースティックセットで最高のLIVEにしていきたいと思います!今回は俺たちの1st、2nd、3rd 初期のナンバーから演奏します。俺も色んなアーティスト聴くときに、初期のALBUMが好きで、大体3枚目くらいまでしか聞かないんだよね(笑)。JUN SKY WALKER(S)も長いキャリアになりましたが、今夜は初期のナンバー中心に行くから、よろしく!」と伝えた。
「雲になりたい」「さらば愛しき危険たちよ」「あたたかい日」と、新旧を織り交ぜた楽曲の後、宮田は「俺も来年還暦です。あとどれだけ生きられるかわからないけれど、生きていて、こうしてみんなと会えることが本当に嬉しいよね。皆さんオーストラリアで、これまで生きていてくれて有難う!次の曲は、『俺がいつか死んでも、曲は残る、、』そんな気持ちを込めて作った曲です。」と告げて演奏したのは、JUN SKY WALKER(S) 近年を代表するナンバー「そばにいるから」。全てのジュンスカのリスナーに向けて想いを込めて歌った楽曲だ。そして、第一部の最後に演奏されたのは、JUN SKY WALKER(S)の結成の地、ひばりヶ丘を歌った「レッツゴーヒバリヒルズ」。宮田和弥と小林雅之が交互に歌うツインボーカルのスタイルで、会場を大いに沸かせた。
少々の休憩を挟んで、「二部のスタートだ!」という宮田の雄叫びと共に「START」から二部が再開。「声がなくなるまで」「明日が来なくても」と、ファンにはたまらないエモーショナルな曲の後には、「言葉につまる」「遠くへ行かないで」とJUN SKY WALKER(S)流バラードを、宮田の艶やかな歌声と共に、小林・市川の鉄壁のリズム隊が奏でる心地よいグルーヴで聴かせた。
あっという間にLIVEも後半戦へ突入。初期を代表するアンセムの1曲「いつもここにいるよ」で、盛り上がりを見せた後、オーストラリアに深くゆかりのある大ヒットナンバー「歩いていこう」でフロアは大合唱に。オーディエンスの「待ってました!!」という気持ちから、会場は最高潮にヒートアップした。本編最後には、名曲「白いクリスマス」を熱唱。JUN SKY WALKER(S)が、単に盛り上がるパンクロックだけでなく、普遍的なメロディーの楽曲を持ったR&Rバンドであることを改めて見せつけて、終了した。
興奮冷めやらぬオーディエンスからの熱い声援を受けて、アンコール1曲目は宮田和弥がソロで登場。改めて、今回の企画者の一人であるオーストラリア在住の田辺氏や日本からのスタッフ達への感謝、そして集まった観客達へのお礼を述べた後、「悲しすぎる夜」を熱唱。シンガーとして長い年月を経て、更に円熟味を増した、素晴らしい歌を聴かせた。JUN SKY WALKER(S)が長く愛され続けるのは、彼らのこうした「感謝」の気持ちに溢れた姿勢が、多くのファンや音楽関係者の胸を打つからなのだと思う。
フィナーレに向けて、宮田が再び小林と市川をステージに呼び込むと、登場した市川が抱えていたのは、なんと参加を断念した森純太の等身大パネルだった。市川曰く「心はいつも兄貴と一緒なんで」という事で、市川は渡航前に事務所で森純太の等身大パネルをピックアップして、羽田空港まで手持ちで持ってきたのだった。嬉しいサプライズの中、ラストは宮田が「シドニーの夜空に!」と叫び「すてきな夜空」を演奏。全員が大合唱の中、涙を浮かべる観客の姿も見受けられた。
メンバーの予想を遥かに超えた大盛況となり、JUN SKY WALKER(S)の初の海外公演は無事に終了。「次回は絶対に森純太を連れてきて、4人でステージに立ちたい!」と宣言し、締め括った。
一時は開催すら危ぶまれた今回のオーストラリア公演ではあったが、3人体制で素晴らしいLIVEをやり切ったJUN SKY WALKER(S)の意思の強さは、長い年月を超えてきたキャリアバンドならではのものだったと思う。
今回、「中止」ではなく「開催」の決断をした宮田は、事前のコメントで「森純太の肺炎は俺たちの肺炎でもある。現地のオーストラリアに行けなくても森純太の魂は俺たちが連れて行く」とキッパリと言い切った。その気持ちが、スタッフを動かし、オーディエンスを動かした。森純太の魂は不在ではなく、確かにシドニーにあった。このプロジェクトを経て、バンドの絆は更に深まったと思う。彼らの挑戦は、ピンチをチャンスに変えたのだ。改めて、ロックバンドが持つ“Magic”を見せつけられた気がする。
これからも転がり続けるJUN SKY WALKER(S)に注目していきたいし、同じ時代を生きられる仲間であることを誇りに思うと共に、心から感謝したい。
Text by Yasuaki Matsuba(y’s connection)
Photo by Soma Hirao