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#5 古代、戦争は「病」であったがゆえ、人は憎しみを持たなかった?──西谷修さんと読む、カイヨワ『戦争論』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#5 古代、戦争は「病」であったがゆえ、人は憎しみを持たなかった?──西谷修さんと読む、カイヨワ『戦争論』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

西谷修さんによるカイヨワ『戦争論』読み解き #5

ひとはなぜ戦争をするのか? 戦闘と殺戮の「本質」を解き明かす――。

『遊びと人間』で知られる哲学者・社会学者ロジェ・カイヨワ(1913-1978)が1950~60年代の冷戦時代に綴った『戦争論』。彼は本書で、戦争の歴史に新たな光をあて、これまでなぜ人類が戦争を避けることができなかったかを徹底的に分析しました。

『NHK「100分de名著」ブックス ロジェ・カイヨワ 戦争論』では、民族間、宗教間の対立が激化し、最新兵器によるテロや紛争が絶えない現代に浮かび上がる『戦争論』の価値を、西谷修さんと明らかにしていきます。

2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします。(第5回/全7回)

第1章──近代的戦争の誕生 より

戦争の形態は社会の形態により変化する

 カイヨワの論の特徴を先に指摘しておくなら、戦争の形態は社会の形態に対応すると考え、階層化された身分社会を土台にした戦争と、平等な民主的社会をベースにした近代の戦争との質的な違いを見るところでしょう。そして産業化された近代国家の平等原則に基づく戦争こそが、最も苛烈で無制限な大量殺戮を生み出すことを、大きなパラドクスだと考えているのです。この第1章と次の第2章で、それを見ていきましょう。

 一方で、カイヨワはまた、機械化され物量化してゆく近代における苛烈な戦争のうちに、集団としての人間の、恐怖と魅惑の源泉としての「聖なるもの」の発露を認めます。彼は「聖なるもの」を人間社会における、歴史を超越した現象として扱います。いわゆる未開社会の宗教形態の要素としてだけではありません。文明がある方向に進んだときにも露呈してくる集団現象、合理性も善悪も超えて人びとを魅惑し畏怖させる事態を、「聖なるもの」と呼んでいるのです。これについては第3章で述べることにします。

 そして第4章では、カイヨワの時代の世界戦争からさらにその形態を変えた、いままさに起こっている戦争について考えていきます。

 カイヨワが記している戦争の形態の発展段階を、社会形態の変化とともに概観しておきましょう。

 最初は、1身分差のないいわゆる未開の段階における、部族同士の抗争としての「原始的戦争」です。次に、2異民族を征服するための「帝国戦争」、これはエジプトやアッシリアなど大帝国が出現した時代の戦争を想定しているのでしょうが、その特徴は異質な文化を持つ集団同士の衝突だとします。次いで、3身分が階層化された封建社会における、専門化された貴族階級が担う職務としての戦争、すなわち「貴族戦争」。それから、4国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う「国民戦争」です。ただし、カイヨワの論の中でとりわけ重視されているのは、3から4への転換です。

 1の「原始的戦争」は部族という小集団の争いで、これは狩猟に近いものでした。待ち伏せや不意打ちといった戦い方が主ですが、規模や目的は限られています。

 2は大きな権力によって組織化された戦争ですが、敵が「異文明」なため共通の価値がなく、敵を破壊し屈服させる征服戦争になります。

 中世の封建社会になると、戦争を役割とする特権的な身分ができます。日本でいえば武士のような、騎士階級の貴族同士が、王家や領土のために戦う。それが3の「貴族戦争」です。一般の民衆は農地や家を荒らされたり、税と称して歩兵の頭数を揃えるために連れて行かれたりはしますが、戦争の目的にはまったく関係がありません。また、金で雇われた傭兵も登場しますが、彼らには敵に対する憎悪も戦意もないでしょう。

 一方、甲冑(かつちゆう)をつけた騎士たちによる実際の戦闘は、スポーツやゲームのように儀礼化し、様式化しています。それは決闘の形態がベースとなり、誇り高く一騎打ちをすることで勝負を決めました。その目的は殺戮ではなく相手を降伏させることであり、何よりも名誉が重んじられたのです。そのことによって、破壊や殺戮の度合いは緩和されていたといえるでしょう。

 それに対して、4の近代以降の「国民戦争」では、敵を降伏させるために、それぞれの国家が人的・物的資源を投入します。ただし、兵力をなるべく無駄にしないために、初期にはまだ、さまざまな駆け引きによって、過度な殺戮は抑えられていました。

 しかし社会が平等になると、万人が平等に武器を持つようになり「国民」として戦う。つまり万人の敵対戦争になります。それは儀礼を重んじる遊戯ではなく、真剣な潰し合いになるのです。すると、もはや名誉も何もなく、凄惨な破壊と殺戮が起こります。
 

この四つの区別から、ひとつの一般的原則を、苦もなく引き出すことができる。すなわち、戦争を苛烈なものにするのは、勇猛さでも、敢闘精神でも、残酷さでもないということだ。それは、国家というものの、機械化の度合いである。

(第一部・第一章)

 カイヨワは、ここから国家と機械化という文明の要素を取り出す一方で、儀礼といった「文化的」要素の抹消に目を向けます。

 華麗な軍服やファンファーレ、かつての厳格でまた貴族的な試合ぶり、巧妙な用兵術、危険なものとは知りながら、なお規則正しく行なわれた礼儀の交換、これらはみな姿を消してしまった。(略)このような教えを実行する士官は、ただ射ち殺されるだけである。

(第二部・第一章)

 これは貴族戦争の時代へのノスタルジーなのでしょうか。いや、そうではないでしょう。一人ひとりが権利を持って、社会が民主的になり、より人間的になったにもかかわらず、戦争そのものは非人間的になっていくというパラドクスが生じたというのです。

 近代を出発点にして、現代の戦争にまでつながるこのパラドクスをどう理解するのか、あるいは、どうやってそれを解消することができるのか、そのことがカイヨワによる本書最大のモチーフになっています。

 ただし、戦争を普遍的に語ろうとしながら、その視点はどうしてもヨーロッパが中心になります。それは、ヨーロッパ中世の封建社会を「貴族戦争」のモデルにしているところに端的に表れています。カイヨワは、西洋的な思考の伝統から出て、いわゆる未開社会における「聖なるもの」をはじめ、ヨーロッパ以外のさまざまな地域の文化に目を向けた人類学者の一人ですが、とりわけ歴史を考えるとき、西洋の枠組みから完全に自由ではありません。

 もちろんカイヨワは、この本の第一部・第二章でも、「古代中国の戦争法」について大きくページを割いています。

 ここでは詳しく取り上げませんが、例えば紀元前五〇〇年頃、春秋時代に書かれたとされる兵法書『孫子』には、「戦わずして勝つ」ことが、最もよい戦争の仕方だと記されています。そのためにはたとえ狡(ずる)い策略を弄(ろう)してでも、無駄な戦闘は避けるべきだとしたのです。カイヨワはほかにも、いくつかの兵法書の言葉を引きつつ、以下のように記します。

戦争は、明らかに一つの病とされ、一つの災厄とされていた。古代においては、戦争を行ないながらも人は憎しみを持たなかった。この原則は常に賞讃に値いする。また人は戦争を速かに終結させる術を心得ていた。戦わざるは戦うに勝る、と各人が信じていたからである。

(第一部・第二章)

 戦争は「災厄」であり、避けるべき「病」であるというこの観点は、古代中国の文明に「医食同源」の思想があることと、無関係ではないでしょう。伝説上の三皇五帝のうち、神農や黄帝は中国医学の祖とされました。つまり、皇帝の権力の源には、人びとを養い、癒す力があるとされていたのです。

 カイヨワは一方で、節度と中庸を重んじる古代中国の戦争に、ヨーロッパ封建社会の貴族的な戦争を対比させつつ、そこに、人類史上における最も忍耐強い、「武力抗争の凶暴さをやわらげるために行なわれた試み」を見ています。しかしまた、戦いを避けるためには何でもよしとする考えに狡さや卑怯さ、ある種の野蛮さを見て、貴族的な戦争の「徳性」に肩入れしているようにも思えます。また、たしかにカイヨワのいうように、古代中国においても、二千年後のヨーロッパ同様、戦争に民衆が大量に動員されることにもありましたが、農業基盤の社会の戦争と近代産業国家のそれとでは根本的な違いがあるでしょう。そのあたり、国家の見方に類型的なきらいがあり、かつ戦争形態の段階論を西洋史の展開に沿って立てているところは、西洋人としての限界といえるのかもしれません。

著者

西谷修(にしたに・おさむ)
1950年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業、東京都立大学フランス文学科修士課程修了。哲学者。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授、立教大学大学院特任教授を歴任、東京外国語大学名誉教授。フランス文学・思想の研究をベースに、世界史や戦争、メディア、人間の生死などの問題を広く論じる。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『夜の鼓動にふれる── 戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)などが、訳書にジョルジュ・バタイユ『非-知──閉じざる思考』(平凡社ライブラリー)、エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』(ちくま学芸文庫)、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』(監修、ちくま学芸文庫)などがある。
※刊行時の情報です。

■『NHK「100分de名著」ブックス ロジェ・カイヨワ 戦争論 文明という果てしない暴力』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。

※本書は、「NHK100分de名著」において、2019年8月に放送された「ロジェ・カイヨワ 戦争論」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「文明的戦争からサバイバーの共生世界へ──西洋的原理からの脱却」、読書案内などを収載したものです。
※本書における『戦争論』からの引用部分については、秋枝茂夫訳(法政大学出版局)によります。

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