【天才の育て方】#22 水野舞〜11歳で特許。14歳の装飾デザイナー兼社長の素顔
KIDSNA STYLEの連載企画『天才の育て方』。#22は、8歳のときにアクセサリー『マイヤリング®』を発明し、11歳で特許を取得した水野舞さん。特許取得から約1年後に会社を設立し、現在は中学校に通いながら、デザイナー兼社長として活躍。独自のアイディアを生み出し、自分らしく生きる舞さんのルーツや背景を、父親の敬さん、母親の至保さんにもお話をお伺いしながら紐解いていく。
「大人の世界は実は子どもとそこまで変わらなかった」
「特許を取ることや起業のハードルは想像するより低いと、子どもたちに伝えていきたい」
「苦しい闘病生活を送る子どもたちに、少しでも光を与えてあげたい」
こう語るのは、中学生社長として活躍する現在14歳の水野舞さん(以下、舞さん)。落ち着いた所作や、丁寧な言葉選びのセンスは、とても14歳とは思えない。
舞さんは、8歳のときに、耳ではなく髪につけることでイヤリングのように見えるアクセサリー『マイヤリング®』を発明し、11歳で特許を申請し取得。約1年後に、マイヤリング®を多くの人に届けるため会社を設立し、現在は中学生でありながらデザイナー兼社長として活躍する。
さまざまな企業とコラボ商品を企画したり、クラウドファンディングを活用して小児病棟の子ども達にマイヤリング®を届ける活動を行うなど多方面で活動中の舞さんの原体験や、今後のビジョンに迫る。さらに、独自のアイディアを持ち、自分らしく生きる舞さんを育てたお父様の敬さん、お母様の至保さんにも子育ての秘訣を聞いた。
8歳の「お母さんみたいにおしゃれをしたい」から生まれたマイヤリング®
ーー中学生社長の舞さんですが、株式会社マイヤリングスでは、どのようなビジネスをしているのでしょうか?
舞さん:私が8歳のときに発明した「マイヤリング®」というアクセサリーを製造・販売しています。マイヤリング®とは、ヘアピンに穴をあけて装飾具を通し、ピアスやイヤリングのように見せることができるアクセサリーです。
ーーどのような経緯でマイヤリング®の発明に至ったのでしょうか?
舞さん:私は小さい頃からおしゃれが好きで、母が付けていたピアスに憧れていたんです。でも、耳に穴をあけないとピアスは付けられないし、イヤリングは付けているうちに耳が痛くなってしまいます。ですが、どうしても耳元のおしゃれを諦めきれなくて。
顔の周りに持ってきても違和感のないアイテムはなんだろうと考え、「ヘアピンだったらどうだろう」と思い至った結果、生まれたのがマイヤリング®です。
父:当時は家にある材料、たしかストローで作っていたのですが、「どう?」と見せられたとき、本当にイヤリングにしか見えなくて、素晴らしい発想だなと感心しました。
純粋な子どもだからこそできた発明
ーー大人のように耳元のおしゃれをしたい、という願望から生まれた商品なんですね。
舞さん:はい。ただ、しばらくは忘れていた時期もあったのですが、10歳のときにコロナ禍で家族の会話が増えたときに、父が「そういえばあの発明よかったよね」と思い出してくれたんです。そこから特許の申請をして、その一年後に会社を設立し、私は取締役社長となりました。会社設立後は、マイヤリング®の商標登録も行いました。
母:舞は小さい頃から工作が好きで、よく何かを作っていたので、私は工作の延長としか捉えていなかったんです。夫のように、特許を取得してビジネスにつなげる考えはまったく持っていなかったので、夫のその発想や視点が今につながっているように思います。
父:発明や特許というと、すごく難しいことをイメージする人が多いかもしれませんが、マイヤリング®は子どもらしい発想じゃないですか。日常生活で「お母さんばっかりピアスをしていてずるい」という子どもながらの視点で、どうしたらアクセサリーを付けられるか?と課題を見つけて、自分でできる範囲の工作で課題を解決したんです。
子どもが純粋で、経験値が低いからこそ考えられるアイディアなんですよね。それは、普段からいろいろな遊びをしながら自由に楽しんでいるから生まれることで、与えられた勉強しかしていなかったとしたら、このようなアイディアも生まれないのかもしれません。
私は大学で睡眠や疲労の研究をしていますが、研究の世界では「そのアイディアを最初にみつけた人」にプライオリティがあります。子どもとはいえマイヤリング®を発明した舞さんのことを尊重しているし、彼女の創造性には刺激を受けることが多いです。
ーー舞さんは、普段はどのように生活しているのでしょうか?
舞さん:日中はフリースクールのような中学校に通っていて、仕事の打合せやメールなどは夕方から夜に対応し、マイヤリング®の製造は休みの日にまとめて行う、といったスケジュールが基本です。
ーー社長は大変なことも多いですよね。
舞さん:たしかに社長として最終決断が必要な場面は多いですが、あまり重く考えすぎないようにしています。大人にいつも助けてもらいながらやってきましたが、そもそも人間はひとりではどうしようもないことが多いし、うまくいかなかったときは、それも巡り合わせだと思います。
ありがたいことに、いろいろなメーカーさんからコラボ商品の提案をいただいたり、新しい挑戦をする機会があります。そういうときは、自分にできることなのか、自分が本当にやりたいことなのかを整理して、決断するようにしています。
行動制限の多い入院生活で育まれた創造性
ーー小さい頃から工作が好きだったとのことですが、舞さんの幼少期について教えてください。
舞さん:私は小さい頃、病気で大きな手術をしたり、入退院を繰り返していました。入院生活はできることが制限されているし、殺風景な病室では気持ちまで暗くなってしまうし、辛いことも多かったです。そんな中でマスキングテープや色紙を使って制作をして、それを病室に飾ることが唯一の楽しみだったんです。
「どの色を使おうかな」「どんなふうに作ったらきれいに飾れるかな」と悩みながら作るのがとても楽しくて。この時期の経験があったから、創造力が自然と身に付いたのかなと思っています。
母:入院中の子どもたちは、ボランティアの方の協力もあり、院内のプレイルームでさまざまな活動が行われていましたが、自分たちが今できることを工夫して、精いっぱい楽しもうとする姿がとても印象に残っています。
舞さん:私は、クラウドファンディングを活用して、マイヤリング®を小児病棟に届ける活動もしています。苦しい闘病生活を送っている子どもたちに、少しでも光を与えられたらいいなと思っています。
大人の世界は思ったよりも身近だった
ーー舞さんと話していると、その落ち着いた物腰や言葉選びから、14歳だということは忘れてしまいます。
舞さん:そんなことないです(笑)。ただ、小学生の頃から母の会社の飲み会に参加させてもらったり、オンライン会議の様子を聞いたりするのが好きだったので、自然と大人と同じような言葉遣いが身に付いたのかもしれません。人と話すことが大好きなので、いろいろな大人の方とお話をさせてもらいながら、知識を吸収して今に至ります。
ただ、大人の世界を覗いてみると「意外と子どもとそんなに変わらないんだな」という発見がありました(笑)。大人たちは、すごい難しい言葉で難しい話をしていると思っていたのですが、そうでもないんだと知りました。
ーーそういえば少し気になっていたのですが、お父さんお母さんが舞さんのことを、「舞さん」と「さん付け」で呼ぶときがありますが、珍しいことですよね。
父:そうですか? もちろん「舞」と呼び捨てで呼ぶときもありますが、話す内容や場面によるかもしれません。親と子として接するときもあれば、仕事の仲間として接するときもあるし、ひとりの人間としてアドバイスをもらいたいときもあるし、話す内容に合わせて接し方も考慮すべきだと思っています。
そもそも私たちは、舞さんを子ども扱いしていません。親だからなんでも知ってるような振る舞いをしていると自分自身を苦しめるし、知らないことがあるときは「僕はわからないから、舞さんが調べて、教えてほしいな」などと言うことも多いですよ。
まずは子どもの興味関心を知る
ーーご両親は、子どもの才能はどのようにして見つけることができると思いますか?
父:まずは子どもの興味関心事を知る必要がありますよね。我が家では、娘が小さいときにYouTubeを見るときは、リビングのテレビで見ることを基本的なルールとしていました。そうすると娘がどんなことに興味を持っているのかがわかるし、親も一緒に興味を持つことで、親子のコミュニケーションが広がります。
子どもが見ている動画などを「うるさいから消して」と言ってしまったら、何に興味を持っているのかわからなくなるし、子どももだんだんと心を開いてくれなくなりますよね。
母:私が心がけていたのは、何気ない日常会話のなかで娘が「やってみたい」とたった一回でも言ったことは、とりあえず試しにやらせてみることです。舞はなんとなく言っただけかもしれないし、そんなに本気で言っているわけではないかもしれないけど、とりあえず体験に行ってみる。
そこで本気度を図ったり、やりたい度合いが高まるまで待っていたりすると、どこかで気持ちが萎えてしまう可能性があります。芽吹くくらいの瞬間を捉えて、その芽がしっかり育つかどうかは分からないけれど、まずはチャレンジをしていましたね。
あとは、娘のブームになっていることは決して水を差したりはせずに、応援するようにしています。たとえばコロナ禍で家にいることが多かった時期に、幼稚園のときのレゴを引っ張り出して遊ぶ姿がありました。説明書の通りではなく、新しい街を自由に作ることが当時の娘のブームで、夢中になっている様子を見て、レゴの土台を追加で買ってあげたりもしました。
何かに没頭できることがあることは素晴らしいことですので、必要なモノがあれば購入も考えますし、一緒に楽しんだり、飽きるまでやらせてあげたいなと思っています。
「自分らしく生きる」の葛藤の末に
ーー水野家のルールはありますか?
舞さん:ルールというほどではないのですが、夜は家族でいっしょにテレビのニュースを見て、意見を交わしています。政治や経済のニュースは明るい話題ではないことも多いですが、深刻になるのではなく、世間話としてフランクに意見を言い合う習慣が、とてもよいと感じています。
家族間であっても意見が違うことも多いので、多様な価値観を知るきっかけにもなるし、考えが違う相手に対する意見の伝え方も、自然とトレーニングできているように思います。
ーー舞さんと話していると、自分を確立していると感じます。自分らしさを育てるために、子育てで意識したことはありますか?
母:舞にとって、どんな環境で何をするのが合っているのか、試行錯誤を繰り返してきました。たとえば、小学校入学時の学童。私も仕事をしているので、学童に行ってもらったのですが、あまりなじめなかったようで、楽しそうではなかったんです。
私が仕事を辞めるわけにはいかないけれど、舞がしんどい思いをしているのに、通わせ続けるのもイヤですよね。だから、どんな方法があるのかを模索して、最終的には学校まで迎えに行ってくれる家庭教師の方と契約をして解決しました。
「小学生になったら共働きの子どもは学童に行く」といったような固定概念は生活のなかに溢れていますが、そこにうまく乗れなかったとしても、それが悪いということではなくて、子どもに合っていなかっただけのこと。試行錯誤を繰り返しながら、子どもに合ったものを選択していくことが大切なのかなと感じます。
もちろん私たち親だけではなく舞自身が、自分らしく生きるために葛藤をしてきたと思います。持病がありながらいろいろな挑戦を続けて、だんだん自分を肯定できるようになり、今では「人の役に立ちたい」と頑張っている姿を見て、とても感慨深いです。
天才に聞く天才
ーー舞さんにお聞きします。舞さんが思う「天才」とはどんな人でしょうか。
舞さん:たとえば成績でいうとオール「5」ではなくて、ほぼ「1」なんだけど、ひとつだけ「5」がある人が天才だと思います。オール「5」の人はなんでもできる人だけど、それって実はそんなにすごくないのかなと。
それよりも自分が好きなことや夢中になれるものがあったり、なにかひとつ自分で成し遂げたいことがあるとか、そういう想いのある人を尊敬します。
もし好きなことに対する才能がなくても、興味が一点に集中していると、想いが溢れるくらい強いし、無限にそのことだけを考え続けることができます。「私はこれが好き」「やりたい」とハッキリと言って、自分の意思で行動に移せる人が、天才なのかなと思います。
今後の目標
ーー舞さんの今後の目標を教えてください。
舞さん:今は会社経営や事業を進めるうえで大人に助けてもらっていますが、未成年のうちに仲間を募って、子どもだけで何か事業を興してみたいです。
そして、私はありがたいことに恵まれた環境にいますが、どんな環境にいる子どもでも、自分のアイディアを実現するために挑戦ができるような世界を作っていきたいと思っています。
たとえば特許を取ることや会社を作ることは大変だけど、思っているよりは難しくないし、それをもっと身近に感じてもらいたい。もちろん必ずしも特許や起業だけではなく、何かアイディアがあったら行動して、それを形にすることが大切だと、発信していきたいと思っています。
父:多くの人は、特許を難しい大発明のように想像すると思いますが、小学生の舞さんの発明が特許を取れたように、案外身の回りにアイディアが転がってるかもしれません。舞さんは、自分の経験をどんどん発信して、これからの子どもたちのロールモデルになってくれたらいいなと思います。
編集後記
舞さんがひとつひとつ言葉を選びながら話すきれいな日本語からは、自身が経験した苦悩や、普段からさまざまなことを思考していることが垣間見えた。
一方で、細かい作業やカラフルでキラキラしたものなど、好きなことを話す様子は中学生らしさもあり、その好きなことを事業につなげることができたのは、舞さんが自分らしさを追求した結果だと感じた。
お父様お母様と舞さんとは親子であり、仕事仲間であり、親友でもあるような、そんな愛情と信頼に触れた取材であった。