ヴィジュアル系とニューロマンティック:ジャパン人気と “ベルばら” ブーム〈後編〉
Z世代に語り継ぎたいロック入門ガイド Vol.4
ジャパン(後編)
ジャパンの日本人気の影に、ベルばらブームがあった?
“ベルばら” の舞台である18世紀後半はロココ文化真っ盛りの時代である。その雰囲気は極めて軽妙洒脱で自由奔放。音楽は愛を歌い、絵画や彫刻にもキューピットや女神や戯れる恋人たち等を描く作品が大量発生した、フランス美術を中心に栄えた甘く悦楽的な文化だ。それは今でいう少女趣味のような一面もあった。しかし当時の宮廷貴婦人たちはこうした逃避的なアートに浸り、夜な夜な仮面舞踏会でハメを外すという放蕩ぶりを楽しんでいたようだ。
ここにマリー・アントワネットの、派手に盛ったドレスや気ままな人物像がロココ文化の世界観と見事にシンクロ。ズバリ現代でいうところのカリスマギャルであった彼女は宮廷で “ロココの女王” と謳われ、一躍時代のアイコンとなったのである。奇しくもこうして一大流行の栄華をつくった彼女の資質がのちに ”ぜいたくと浪費の女王” として自身を失墜させることになるというのは、なんとも皮肉な話なのだが…。
作中で描かれるこうしたロココの浮かれた空気感は、1980年代イギリスのニューロマンティックのそれと実に近しいものを感じる。中世ヨーロッパにインスパイアされたヴィジュアルは言わずもがな、奇抜であればなんでもいい、と言わんばかりのド派手なファッションやメイクからは、ヘアの中で船を走らせた伝説的なアントワネットの “船盛りヘア” のロックンロール精神と同根にも思える(髪を立てるパンクス然り、いつの時代もヘアを盛ることは “威嚇” を意味する)。
だが、何といっても “ベルばら” に見るもっとも分かりやすいニューロマ要素は、主人公オスカルという存在そのものではないだろうか。“ベルばら” は先述した、当時その萌芽を見せ始めたニュージャンル、BL(ボーイズラブ)の作品では決してない。ないのだが、女に生まれながら王族に仕える将軍家の跡取りとなるべく男として育てられたオスカルというキャラクターを通して、テーマにはトランスジェンダーを内包している。
トランスジェンダーを体現していたジャパン以降のニューロマンティック
ジャパン以降のニューロマンティックのアーティストにはカルチャー・クラブのボーイ・ジョージに代表される女装をした男性だけでなく、ユーリズミックスのアニー・レノックスのように男装の麗人もいたりするのだが、彼らは単なる変装でなく、自身の性の壁を壊すような、文字通りのトランスジェンダーを体現していた。
まさしく、日本が古来から崇めてきた “中性的な美”。これを究極に具象化したオスカルのヴィジュアルは、超次元的であると同時に日本的美意識の、ひいてはニューロマの理想形である。そんな超次元ヴィジュアルが、当時ロック界史上もっとも美しいとまで称賛されたジャパンのボーカル、デヴィッド・シルヴィアンにそっくりであったという衝撃は、ジャパン人気に火をつけた多大な要因となったのではないだろうか。
作中の衣装も軍服や(のちにデュラン・デュランがそっくりな軍服をきていたこともファンとしてはニンマリしてしまうところ)、ニューロマのアーティストがそのまんま着ていそうなフリルのブラウスが中心。
ジャパン自身もデビュー当初こそパンクファッションであったものの、すぐにブラウスなど華美系統に移行した。これによりその麗しいルックスと相まって、とにかく日本のファンにとっては “少女漫画からそのまま飛び出してきた” という二次元が現実になったかのような感動を覚えたであろうことは、容易に想像できる。これは、彼ら以前に “ビッグ・イン・ジャパン” だったどのバンドにも持ちえなかったヴィジュアルクオリティの高さを誇っており、それだけ画期的だったのだ。
そして『ベルサイユのばら』は1979年にテレビアニメ放送を開始、これによって原作を読んでいなかった層のファンも増えていく。同じ頃ジャパンは初の来日公演を武道館で敢行、大盛況となった。これはリアルタイムで相互に影響しあった部分もあっただろう。
デヴィッド・シルヴィアンがそのまま少年になったと思えるほど
ちなみに、これほどエポックメイキングなキャラクターとなったオスカルだが、驚くことにそのヴィジュアルモデルとなった実在の人物がいる。イタリア耽美主義の映画監督、ルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』(1971年)で主人公を惑わす美少年タジオを演じたスウェーデン人俳優、ビョルン・アンドレセンだ。
例によって一見男か女か分からない容貌で、15歳にして完璧なまでに完成された儚げなその美しさから “世界で一番美しい少年” の異名で知られた絶世の美少年である。オスカルのモデルとなっただけあり、ビョルンもまたデヴィッド・シルヴィアンがそのまま少年になったと思えるほど、両者は顔立ちも雰囲気もよく似た美しさを湛えていた。さらに面白いことに、ビョルンがその声援をもっとも熱狂的に受けた国、それがやはり日本だったのだ。
『ベニスに死す』公開と同時に明治製菓のCMに出演、日本語でレコードデビューもしたビョルンは、日本のいわゆる商業的アイドルの先駆けとなった人物である。ジャニーズ事務所(現:スマイルアップ)も1972年に郷ひろみをデビューさせてから中性的なルックスを前面に押し出していくなど、ビョルンが日本の大衆文化に与えた影響は絶大なのだ。 池田理代子先生は『ベニスに死す』を観て、“この世にこれほどまで美しい人間がいるのか” と感銘を受け、その性差を超えた美貌をそのままオスカルという “男の格好をした女の子” のキャラに落とし込んだのだと、近年になって公言している。
ビョルンが世界のどこよりも日本でいちばん歓待された時の熱狂ぶり、本人が見ず知らずの国で喜びと戸惑いを見せるビョルンの様子など、その状況はジャパンが日本で人気が出た時のそれとまるっきり重なる。日本人が古くから持つ、美少年発掘センサーの感度、その食いつきの速さには、まったく恐ろしさすら感じるほどである。
ジャパンと “ベルばら”、そしてニューロマとの相関性は意図されたものではなく、あくまで偶然の産物だっただろう。しかし私は、それが偶然か必然かを問いたいわけではない。このような、国と文化を超えたすてきなシンクロニシティは歴史の中で往々にして起こるもので、突発的な現象として1つの流行を形作り、そしていつしか消えていく。それはさながら、かつてオーストリアから異国の地フランスへ嫁ぎ、やがて革命の波に飲み込まれていった悲劇の王妃、マリー・アントワネットによって大輪の花を咲かせた甘いロココ文化のようである。
90年代以降は “ヴィジュアル系” として日本で独自の発展を遂げていく
わずか1、2年ほどでその栄華は廃れてしまったニューロマ・ムーヴメントだが、その前兆となったジャパンは、日本によって発見され、その名の通り日本文化との共鳴を繰り返していく中で大きな変遷を遂げた非常に縁深いバンドだ。“ニューロマンティック” は今となっては最早その呼び名さえも化石となって、実態を分かっている人はリアルタイムでファンだった層くらいなものだろう。
しかし、その美学は今回の “ベルばら” のように多種多様なジャンルと相通じるもので、実際に90年代以降は “ヴィジュアル系” として日本で独自の発展を遂げていった、まさにそのルーツでもあるのだ。そう、イギリスで発生したこのニューロマンティック、根本的に日本と実に相性の良いムーヴメントであったのだ。
宝塚のロングランのおかげで “ベルばら” ファンが若年層にも多くいるように、ヴィジュアル系が今も現役で人気のジャンルであり続けているように、ニューロマもきっとこうした色んな切り口から、キッカケさえあれば現代の日本でも面白がられるだけのポテンシシャルを持っていると信じている。要はそのキッカケをどう作っていくか。ニューロマ、ニューウェイヴ布教の道のりは長い。