「自己啓発本」の結論はひとつ?宗教も哲学も関わる「自己啓発本」の研究者がたどり着いた答え。
生きるため、はたらくための教科書のように使っている人もいるし、どことなく「俗流の哲学本」みたいに敬遠している人もいるのが「自己啓発本」。これについて語り合おうと、座談会が開かれました。
『嫌われる勇気』の古賀史健さん、『夢をかなえるゾウ』の水野敬也さん、『成りあがり』(矢沢永吉著)の取材・構成を担当した糸井重里。そして『14歳からの自己啓発』の著者である自己啓発本の研究者、尾崎俊介さん。にぎやかな、笑いの多い座談会になりました。第4回は、「宗教も哲学も関わる『自己啓発本』と他力の考え」についてです。
糸井
尾崎先生はこの『14歳からの自己啓発』という本の最後に「自己啓発本の結論って、ひとつなんです」って決めちゃってて。
それが「外は変わらないけど、内は変わる。だから内が変われば、外だって変化していく」というものですけど。
尾崎
そうなんです。
糸井
あの度胸のいい結論を出したあたりのことを教えていただけますか?
尾崎
はい。自己啓発って研究をしていると、本当にありとあらゆることと関わってて。宗教も、哲学も、本当にいろんなことを調べる必要があるわけです。
だから僕も研究をしながら「これは10年じゃ足りない。何十年やってもとても結論は出ないな」と思ったんです。
だけどじゃあ40、50年やらないとどこにも到達できない話かというと、そうでもなくて。自己啓発って、実際には、ただ1冊本を読んだだけの人でも到達できるところがあると気づいたんです。
糸井
おおー。
尾崎
なにかというと、どの自己啓発本も最終的には「結局変えられるのは自分自身だけ。だけど自分を変えると世界が変わる」という話なんだなと。
私は10年ぐらい研究してますけど、5年目ぐらいにそれに気づいて「これで到達してるじゃん」と思ったんです。そこから先の5年間ってもう「この本もそうだ」「これもそうだ」みたいな確認作業になってきて。
だから現時点の結論としては「これはもうある程度、答えとして言っていいものだろうな」と思って、本に書いたんですね。
糸井
はい、はい。
水野
‥‥あの、そこに関しても僕は、どうしても言いたいことがありまして。
糸井
どうぞ(笑)。
水野
いま尾崎先生がおっしゃった「世界は変わらない。でも自分を変えると世界は変わる」って、まったくその通りなんですよ。
ただその「自分を変える」って、2つの意味が含まれてるんです。
たとえばここに水がありますよね。そのとき実際にこれを飲むことで、飲んだ人が「うわっ!」‥‥世界が変わりましたよね。
でも実際にこの水を飲まなくても「ああ、めっちゃ飲みたい!」そう思うだけでも人の心は変わっていて、実はそれだけでも世界は変わる。
つまり「自分を変える」って、自分が直接介入して変わるのと、解釈さえ変わればいいというのと、2通りあるわけです。
尾崎
そうですね。
水野
それこそ、自己啓発のアプローチに「自助努力」(自分の行動で世界に働きかける)と、「マインドフルネス」(いまという瞬間に集中し、自分の心を変える)という2つの大きな流れがあるわけですけど、人はここでまた揺れ続けるという。
だからいまの尾崎先生のいろんな自己啓発本に共通する結論というのも、僕はどうしても次の疑問として、「そのどっちだと思えばいいんでしょうか?」って問いたくなるんです。
直接行動を起こすことが大切なのか、心さえ変わればそれでいいのか。まあ、両方が答えかもしれないですけど。
尾崎
うーん、むずかしいなぁ(笑)。どう答えましょうね。‥‥糸井さん、なにかヒントないですか。
糸井
その、世界と私はどちらも動きながら存在してるものだから。
そこが固定してるなら答えが1つじゃないのは矛盾なのかもしれないけど、両方動くものなら「どっちが答えでもおかしくはない」みたいに僕の場合は考えるんですね。
水野
そうなんですよね。世界だけじゃなく、個人も動いてるから。
糸井
ただ、このあたりの話って、僕自身はどこかで浄土真宗などの「南無阿弥陀仏」の発想に行くんですよ。
水野
「南無阿弥陀仏」の発想。
糸井
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて、仏さまにすべてをお任せするわけですよね。自分ではない存在に完全に依拠する姿勢をとることで、自分が空っぽになって、そのお陰で阿弥陀様が世界をよくしてくれるわけです。
まったくなにかの修行をしたわけでなくても、「南無阿弥陀仏」って口にすればもうそれで救われる。その考えって、やっぱり大発明だなと思ってて。
つまりこれって、なにか考えた覚えのない人まで救ってしまう思想なわけで。自己啓発本を読まない人すらも救っちゃうという。
尾崎
そうですね。
糸井
そういう「なにもしなくても、ただ『南無阿弥陀仏』って言えばいいんですよ」という発想を、日本で特に人死にの多かった戦国時代に「これだ!」って思いついた人がいて、その思想が人々のあいだに広がっていったというのがすごいことだと思ってて。
そして僕は自分も、そういうものに参加したい気持ちがけっこう強いんです。
だからほんとはみんな、最終的には「自己啓発」という言葉さえも蒸発させてしまうような教えというか、そういうものに行きたいんじゃないかと思ってて。
水野
はぁー。
古賀
それはほんとに親鸞が言う「他力」ですよね。
糸井
そうです、「他力」の話で。
古賀
そのあたりについて、僕の解釈を言うと、「自力」というのは自分を過信しすぎてる。「自分で修行して成仏しよう」って、自分を過信してるし、阿弥陀様を軽んじちゃってる。
だから親鸞が言うのは「自分にできることなんてあるはずないんだから、すべてを阿弥陀様のもとに投げ出して、ただ『南無阿弥陀仏』と言えばいいんですよ。あとは好き勝手にすればいいんだよ」ということで。
なんだか「他力本願」ってよくないことみたいにも聞こえますけど、実のところ「自力で何でもできると思うんじゃないよ。思い上がるんじゃないよ」という教えかなと僕は理解してるんです。
糸井
うん、うん。
古賀
自己啓発も、もともと「自助」、「自分で努力・勉強・研鑽を積み重ねて、立身出世を果たしましょう」みたいなことからはじまってますけど、途中で「引き寄せの法則」とか、ちょっと不思議な、超常現象的なものが出てくるじゃないですか。
それってみんなの「『自力』だけでほんとにやっていける? やっていけないよね」といった思いから出てくるのかなと。
なんだかそれ、宗教が生まれていく流れとすごく似てると思うんですよ。
そう思うと「引き寄せの法則」とかも、自分の努力と勉強でどうにかやっていこうとした人が、次につかむロープであるような気がするんです。「自助」ってどうしても限界がありますから。
糸井
宗教でもけっこう「人間の外側にある名前のつかない力を代入すると、すごく都合がいい」みたいなところがありますよね。きっと昔の人はそうしたんですよね。
(出典:ほぼ日刊イトイ新聞 「自己啓発本」には、かなり奥深いおもしろさがある。(4)外は変えられない。だけど自分は変えられる。)
古賀史健(こが・ふみたけ)
株式会社バトンズ代表。1973年、福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年に独立。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、ダイヤモンド社)、『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)など。構成に『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など多数。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。編著書の累計は1600万部を数える。
水野敬也(みずの・けいや)
1976年、愛知県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。著書に『夢をかなえるゾウ』シリーズほか、『雨の日も、晴れ男』『顔ニモマケズ』『運命の恋をかなえるスタンダール』『四つ話のクローバー』、共著に『人生はニャンとかなる!』『最近、地球が暑くてクマってます。』『サラリーマン大喜利』『ウケる技術』など。また、画・鉄拳の絵本に『それでも僕は夢を見る』『あなたの物語』『もしも悩みがなかったら』、恋愛体育教師・水野愛也として『LOVE理論』『スパルタ婚活塾』、映像作品ではDVD『温厚な上司の怒らせ方』の企画・脚本、映画『イン・ザ・ヒーロー』の脚本など活動は多岐にわたる。
尾崎俊介(おざき・しゅんすけ)
1963年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻後期博士課程単位取得。現在は、愛知教育大学教授。専門はアメリカ文学・アメリカ文化。著書に、『14歳からの自己啓発』(トランスビュー)、『アメリカは自己啓発本でできている』(平凡社)、『ホールデンの肖像─ペーパーバックからみるアメリカの読書文化』(新宿書房)、『ハーレクイン・ロマンス』(平凡社新書)、『S先生のこと』(新宿書房、第61回日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『紙表紙の誘惑』(研究社)、『エピソード─アメリカ文学者 大橋吉之輔エッセイ集』(トランスビュー)など。