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深草の<清少納言・紫式部>の足跡を訪ねて【京都市伏見区】

デジスタイル京都

NHK大河ドラマ「光る君へ」の影響か、2024年はどうやら平安時代ブームで、関連する展覧会や出版物があふれています。何を隠そう、そんなブームにあやかり隊員のライターたけばしんじです。

『枕草子』に登場する伏見稲荷

清少納言は『枕草子』153段「うらやましげなるもの」の中で、伏見稲荷での体験を書いています。

稲荷に思ひおこして詣でたるに、中の御社(みやしろ)のほどの、わりなう苦しきを念じのぼるに、いささか苦しげもなく、おくれて来と見る者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。

(気力を奮い立たせて伏見稲荷に詣でた際、中の御社あたりの何とも耐えがたく苦しいのをこらえながら登っていたところ、遅れて来ると思っていた人たちがまったく苦しげもなく、どんどん進んで行って自分より先に参拝していくのは、大したものだ。)

そして、暑さと苦しさに喘いで涙まで落として休んでいたところ、山登り用の軽装でもなく普段着姿の、40歳くらいの女性に出会いました。「私は七度参りをしているところで、朝からもう3回お参りしました。あと4回も午後には終えて帰れるでしょう」などと言っています。これを聞いて、非常にうらやましく思ったと書かれています。ここで40歳くらいの女性と書いているのは、大変な高齢だったということです。平安時代の平均寿命は30~40歳くらいでした。紫式部『源氏物語』には光源氏が40歳で長寿の祝いをしたという描写(34帖 「若菜上」)があります。

三ノ峰(下の社)に向かう急な石段。清少納言が苦しんだのが、うなずけます。

平安時代の伏見稲荷には山麓の社殿はなく、現在は「お山巡り」などと呼ばれている一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰のあたりだけが境内でした。稲荷山そのものをご神体とする古代の山岳信仰がルーツとなっていると思われます。今のような千本鳥居もありませんでした。

「お山巡り」の案内板。1周約30分なら、計算上は3時間半で7周回れますが…

では、清少納言はどこから登って行ったのでしょうか。

清少納言がたどった道を探る

当時、このあたりには平安京と奈良を結ぶ大和大路(やまとおおじ)が通っていました。『深草を語る』によると、現在の三十三間堂西側を南下して法性寺大路(ほっしょうじおおじ)と呼ばれた道につながり、稲荷神社の境内を抜けて石峰寺の石段下から宝塔寺へと続いていたようです。清少納言もその道をたどったのではないでしょうか。

この道を探りながら歩いてみることにしました。
京阪電車の鳥羽街道駅で下車。JR奈良線の踏切を渡って本町通(直違橋通)を北へ少し行くと、田中神社があります。和泉式部が稲荷詣への道すがら時雨に遭い、田中神社付近で田を刈る童(わらべ)から雨具を借りたという話が『古今著聞集』にあるそうです。翌日、大人の姿に変身した童が和泉式部を訪ねて来て、男女の仲になったとか。ただし、平安時代には、この神社は後で述べる車阪の下あたりにあったもので、東福寺造営に伴って現在地に移ったようです。

和泉式部の伝説がある田中神社

伏水街道第三橋を渡り、少し歩くと、右側に旧京都市立月輪(つきのわ)小学校(2014年閉校)の門があります。月輪は平安時代からあった地名で、清少納言が宮仕えを辞めた後、隠棲した場所とする説もあるようです。平安時代、この地域には法性寺(ほっしょうじ)という大寺院がありました。藤原道長の曾祖父あたる忠平(ただひら)が924年に創建し、以後藤原家の氏寺として栄えたそうです。その後、兵火などで堂宇は失われてしまいました。現在は、明治時代に尼寺として再興された寺が本町通沿いにあります。

明治時代に再興された法性寺

『蜻蛉日記』(藤原道綱母)や『更級日記』(菅原孝標女)には、平安京から宇治へ向かう道すがら、法性寺付近で一泊したり一休みしたりしたという記述があるようです。

『源氏物語』には、匂宮(におうのみや)の宇治行きの場面で、次のような描写があります。

法性寺のほどまでは御車にて、それよりぞ御馬にはたてまつりける。(51帖「浮舟」)

『源氏物語の地理』は、法性寺が「いよいよ山道にかかる一区切りの場所」だったのではないかと推察しています。匂宮が御所車から馬に乗り換えたのは、この先は御所車の通れない険しい道だったからでしょう。

伏水街道第三橋のところから、東へ歩いてみました。

伏水街道第三橋。『源氏物語の地理』は、法性寺の大門をこのあたりと推定しています。

東福寺の中大門をくぐると、緩やかな上り坂になります。雪舟ゆかりの芬陀院(ふんだいん)と天得院の間を抜けると、日下門(にっかもん)にぶつかります。東福寺やその塔頭は、法性寺跡地に、鎌倉時代以降に創建された寺院です。日下門の前を南へ進み、次の交差点で東へ。坂がしだいに急になります。

東福寺の塀に沿って南へ。

次の交差点を直進すると、崇徳天皇皇后(藤原聖子)月輪南陵・仲恭天皇九條陵への参道がありました。

ちょっと寄り道します。藤原聖子の父は、藤原道長の直系の子孫で、法性寺関白とも呼ばれた藤原忠通(ただみち)。『小倉百人一首』に「わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲居にまがふ沖つ白波」の歌があります。仲恭天皇は鎌倉時代、わずか4歳で即位するも、実権を握っていた後鳥羽上皇が承久の乱で敗れたことにより、在位70日余りで退位した天皇。

仲恭天皇陵からの見晴らし

仲恭天皇陵の近くに、鳥羽伏見の戦いで命を落とした長州藩(今の山口県)藩士の墓がありました。その傍らに、山口県出身で総理大臣を務めた岸信介による明治維新100年(1968年)の記念植樹がありました。
岸信介は安倍晋三氏の祖父。1968年当時の首相は、弟の佐藤栄作でした。

長州藩士の墓
岸信介記念植樹の碑。

いささか脱線が過ぎました。もとの道に戻ります。このあたりから、伏見区深草車阪町。前に述べた田中神社があった場所です。左右に住宅が並ぶ坂道の先に、京都一周トレイルの標識が立っていました。ここから先は、細い山道になります。

ここから京都一周トレイルに入ります。
山道の先に鳥居が見えてきました。

誰にも会わないまま10分ほど登ると、朱の鳥居が見えてきました。伏見稲荷の御幸奉拝所です。横山大観の筆塚があるそうですが、見落としてしまいました。

御幸奉拝所から千本鳥居の参道になります。
荒神峰見晴台。ここで初めて人に会いました。
少し下って、四つ辻。ここから、お山を1周します。
三ノ峰(下の社)→二ノ峰(中の社)→一ノ峰(上の社)→再び四つ辻

お山を1周した後、清少納言はもと来た道を引き返したのでしょう。平安時代なら超高齢者の私ですが、スタスタ歩けました。あの世へ行ったときは、清少納言に会って自慢したいと思います。

さて、清少納言コースはここで終わりですが、もう少し大和大路を追ってみます。

四つ辻から下り、三つ辻を左に折れて奥社へ向かいます。一方通行の鳥居を抜けると、平らな場所に出ます。ここから本殿の方へ向かう千本鳥居の道から外れ、左(南)へ進みます。

千本鳥居の道を外れて、稲荷境内を出ます。

『源氏物語』の舞台、深草極楽寺町

伏見稲荷の境内を出ると、墓地が広がる中に、ぬりこべ地蔵があります。このあたりを大和大路が通っていたと思われます。この地蔵は、平安時代には無かったものです。

歯痛治癒の御利益があるとされています。

ぬりこべ地蔵の前の細道を南に行くと、石峰寺の石段下に出ます。石峰寺を背にして西へ進み、次の交差点で左(南)に曲がって、広い道を行くと、宝塔寺の四脚門前に着きます。

宝塔寺の四脚門。左の藤棚の下が源氏物語藤裏葉の苑。

ここに、源氏物語・藤裏葉の苑と名付けられた、藤棚のある小さな公園があり、説明看板には、『源氏物語』33帖「藤裏葉(ふじのうらば)」は、この地にあった極楽寺という大きな寺が舞台になっていると書かれています。

「藤裏葉」の一場面でしょうか…

極楽寺は、藤原基経(もとつね)が発願し、長男の時平(ときひら)が899年に完成させた寺院で、現在の深草極楽寺町がすっぽりと入る規模の大伽藍だったといいます。藤原家の菩提寺として建てられましたが、基経の四男忠平が法性寺を建立すると、菩提寺の機能は法性寺へ移っていったといわれています。その後、日蓮宗の寺となり、室町時代に宝塔寺と改称されました。

宝塔寺門前からさらに南へ進むと、瑞光寺(元政庵)があります。極楽寺の薬師堂跡に、江戸時代に創建されたもの。本堂は、1661年に建立されたかやぶき屋根の建物です。

瑞光寺、かやぶき屋根の本堂。

大和大路はさらに南へ向かいますが、極楽寺の範囲を確かめるため西へ歩きます。JR奈良線下の通路をくぐって300mほど直進すると、直違橋通にぶつかります。角に「元政上人旧跡 瑞光寺」という石柱が建っています。このあたりまでが、深草極楽寺町の範囲です。歩いてみて、その規模が実感できました。

清少納言・紫式部の足跡を訪ねる旅、ここをゴールとしたいと思います。ここから北へ500mほどで、京阪電車の龍谷大前深草駅に行けます。午前8:00に鳥羽街道駅から歩き始め、11:20にゴールしました。興味のある方は、ぜひ歩いてみてください。ただし、かなりのアップダウンがありますので、健脚向きです。

左前方が深草極楽寺町。

【おもな参考文献】

深草を語る会『深草を語る』(2013年)、『続・深草を語る』(2017年)

角田文衞・加納重文 編『源氏物語の地理』(1999年)

森浩一『京都の歴史を足元からさぐる 洛東の巻』(2007年)

■スポット情報
店舗名:瑞光寺
住所:京都市伏見区深草坊町4

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