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【能登から伝えたいこと】支えてくれるたくさんの人がいて。できれば民宿を再開させたい~『民宿 深三』より~

さんたつ

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2024年1月1日、正月の北陸地方を突如襲った能登半島地震。特に能登半島ではその被害が大きく、住宅の傾斜、液状化など、町もそこにある暮らしも、以前と同じではなくなった。同年9月21日、今度は観測史上最大の豪雨が襲った。能登にはもちろん、いまもそこに住む人たちがいる。能登を少しずつ動かし続ける人たちがいる。彼らのメッセージを受け取って、能登のいまを知ってほしい。『民宿 深三』の深見大さんにお話をうかがった、『旅の手帖』2024年9月号からお送りします。

能登のいまを伝える人:深見 大(ふかみ だい)

神奈川県横浜市生まれ、大阪や奈良に住んでいたが、1999年に両親の病気により民宿の経営を引き継いだ。2000年には拭き漆で仕上げた輪島らしい、いまの建物が完成した。現在、『民宿 深三(ふかさん)』は休業中。

『民宿 深三』
https://fukasan.jp/

 

支えてくれるたくさんの人がいて……

輪島朝市通りの近くにある『民宿 深三』。『旅の手帖』2019年12月号の特集「食べに行きたい温泉宿」でも紹介した人気の宿だ。

地震直後に起こった火災の類焼からは免れたが、伝統工法で建てた家は13㎝ほど傾き、扉はきちんと閉まらない。

1999年に両親から民宿を引き継ぎ、家族そろって大阪から移住してきた深見大さんは、「料理はそのときに初めて教わったくらいなので自信がありません」と謙遜する。

しかし、地物の珍しい魚などを使った料理を、代々伝わる輪島塗に盛りつけて出すのが評判となり、これを目当てに訪れる人が多い。

家に代々伝わる輪島塗の漆器。なかには100年以上経ったものもあるという。

地震の直後は民宿の再開は難しいと考え、喪失感も大きく、親戚や友人がいる関東や関西への移住も考えていたと言う。そんなとき、深見さんを驚かせたのが、ご近所さんらが、自分の家にあった水や食料を持ってきてくれたこと。

「不安から、まずは自分の分を確保しておこうと思うのではなく、他人の心配をして、みなさん持ってきてくれたんです」

周囲の人たちのやさしさに支えられて民宿を続けてこられたという深見さんは、そんな居心地のよさと、少しずつ落ち着きを取り戻し、全国からいただいた多くの励ましから改めて勇気をもらう。

そしてこの宿が多くの人の思い出になっていることに気づかされ、「再開したい」という気持ちが大きくなってきたと言う。

サイクリングやバイク、車が好きという深見さん。

「能登にはいいルートがたくさんあります。隆起して海岸線の風景は変わってしまいましたが、海の美しさは変わっていません。ぜひ、そんな美しい風景の中を、たくさんの人が走りにきて、にぎわってくれたらうれしいです」

能登半島のドライブを楽しみ、『民宿深三』では、輪島に来ないとまず食べることができない魚介に舌鼓を打ち、輪島温泉の湯に浸かる。それができる日が戻ってくるのを願ってやまない。

民宿の前に立つ深見さん。建物は輪島の伝統的な造り。能登ヒバ、能登スギを使い、内装は柿渋で下地塗りした上に漆をすり込む、拭き漆で仕上げられている。歩道には地震の爪痕が残る。「再開できるかどうかの最終判断は修繕にかかる費用です」と言う。

取材・文・写真=若井 憲

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