135もの店舗がリノベーションで生まれ変わった静岡県人宿町。「創造舎」が仕掛けたまちづくりの歩み
衰退した人宿町復活の仕掛け人「創造舎」
静岡駅から西に徒歩15分、かつて徳川家康が住んだ駿府城跡から真っすぐ歩いて1キロのエリアにある人宿(ひとやど)町。
旧東海道の宿場町だった人宿町は、江戸時代には歌舞伎の芝居小屋が、大正・昭和頃には最大25軒の映画館が並んだ「映画のまち」としてにぎわった。道を歩くと映写機やかつての繁栄を思わせるディスプレイが並ぶ。
しかし、時代は移り、シネコンの増加によりまちの映画館はなくなり、管理の行き届かない住居が増え、通りを歩く人の姿もなくなり、人宿町は衰退していった。
ところが現在、その人宿町を歩いてみると至るところにアートがあり、おしゃれなカフェやレストランが並び、通りには楽しそうに散策している今どきの若者の姿が見られる。人がいなくなり、すっかりさびれた人宿町を見事復活させた仕掛け人が、株式会社創造舎の山梨洋靖さんだ。
創造舎は、市街地の人宿町と郊外の丸子・匠宿エリアの開発に取り組んでいる。まちづくりに取り組む創造舎の取り組みは、2023年に総務省「ふるさとづくり大賞 奨励賞」を、2025年に第4回台湾地域振興大賞の「海外地域振興大賞」を受賞した。
さらに、創造舎が手がける人宿町のフリーマガジン「人宿町人情通りマガジン」も「日本地域情報コンテンツ大賞2023」を受賞するなど、国内外から高い評価を得ている。創造舎の活動は、今や建築設計分野だけにとどまらない。
山梨さんは、2025年2月8日に兵庫県姫路市で開催されたシンポジウム「なぜあの企業は地域に投資するのか? 民間が担うこれからの公共」(株式会社リノベリング主催)にゲストスピーカーとして登壇。シンポジウムに参加した方々からの声を受けて、1泊2日の静岡視察ツアーが行われた。
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創造舎の活動からヒントを得ようと、岡山や鳥取、兵庫など全国からまちづくりに取り組む約13人が参加したツアーから、今回は人宿町における創造舎のこれまでの取り組みについてご紹介する。
人宿町に自宅と事務所を構えた意外な理由
静岡市出身の山梨さんは地元の建築会社勤務を経て、2007年、28歳のときに資本金100万円で独立。創造舎を立ち上げた。
人宿町と関わるきっかけとなったのは2011年のこと。不動産会社からの紹介で、20年以上放置された銭湯ビルを格安で紹介されたことだった。当初はリノベーションして商品として扱うつもりだったが、自宅兼事務所とすることに。
「僕はお酒を飲んだ後に代行運転を使うのが好きじゃないんですよ。ここが自宅だったら、飲んでも歩いて帰れるからちょうどいいなぁって」(山梨さん)
最初は「まちづくりなんてやるとは思っていなかった」という山梨さんだが、人宿町に移り住んだことをきっかけに、その気持ちは変化していく。
山梨さんが本社を人宿町に構えた頃、2つの映画館が撤退。空き地になった映画館の跡地を活用する「アトサキセブンプロジェクト」に参加したことが、まちづくりに関わるきっかけとなった。空き地にコンテナを入れて、週末ごとにイベントを開催すると、多くの人でにぎわった。
空き地の活用は2年間限定だったため、プロジェクトの終了後には「平日もにぎわいが欲しい」と考えるように。そこでつくったのは、なんと直営のラーメン屋。イベントテラス広場も兼ね備えた「アトサキラーメン」を開いた。ラーメン屋の客とイベント開催時の集客で、平時にもイベント時にもにぎわいの生まれる空き地の活用事例となった。
こうして人宿町のにぎわい創出に貢献してきた山梨さんだが、「まちづくりに本腰を入れるきっかけとなる」出来事があった。
感謝の手紙で覚悟を固める
2016年、空き物件に飲食店向けの小型業務スーパー「Food marche CHOHO」を誘致。オープンの際はこれまでに見たことのない行列ができた。さらに、感謝の手紙をもらった山梨さんは「本気でやろう」とまちづくりへの覚悟を決めた。
その後も、管理が行き届かず荒れてしまったビルを改装して食堂にするなど、精力的に活動に取り組んできたが、すべてが順調だったわけではないという。ビル1棟のリノベーションを行い、半年ほどかけて徐々にお店をオープンさせたが、これがよくなかった。
「バラバラに店をオープンしてしまったので、話題性に欠けて、人も集まらず、メディアにもほとんど取り上げてもらえませんでした」(山梨さん)
山梨さんはこの時の反省を生かし、その後の取り組みではビルの10店舗以上を同時オープンすることを「OMACHI創造計画」と名付け、実施。オープン時はくす玉も用意して、大々的にオープン祝いを行ったことでメディアの取材も入り、注目を集めることに成功した。
商店街全体をデザインするエリアリノベーション
各建物だけではなく商店街全体の雰囲気づくりも重視している創造舎。たとえば、店が連なったなかにコインパーキングがあると、そこだけポッカリ空間が空いてしまう。そのため、キッチンカーを設置し、商店街の連続性が保たれるよう工夫している。
また、創造舎では、行政と連携してウォーカブルな街にするための実証実験も行っている。道にベンチやテーブル、植物などを設置し、商店街を走る車のスピードを落とすことに成功。夜も、外のテラス席で飲食を楽しむ人の姿が見られた。この実験は2024年10月に開始し、当初の予定を延長して継続している(2025年6月現在)。現在は、電柱地中化の計画もあるという。
8年間で135もの店舗をリノベーション。地域住民と広げるまちづくり
まちづくりに取り組んでいると、創造舎からのアプローチだけではなく、近隣の住民から相談を受ける機会も増えていった。
あるとき、長らく喫茶店を営んできた高齢のオーナーから「物件を売って資金にしたい」と相談を受けた。同時期に、「ゲストハウスをやりたい」という若い女性と出会ったが、やる気はあるもののスタートアップのため出せる資金は少ない。そこで、創造舎で土地建物を希望価格で買い取り、工事までを行い、1階を喫茶店、2階をゲストハウスとした泊まれる純喫茶「ヒトヤ堂」を開業。家賃とリース代金で賃貸する伴走型スキームで事業承継を行った。
また、あるときは藍染め工場を売却したいという相談を受けた。見に行ったところ「これを更地にしてしまうのはもったいない」と感じた山梨さんは、藍染め会社の8代目を創造舎の社員にして「藍染め課」をつくってしまった。さらに、藍染めで有名な徳島に視察に行き、初日に社員を1年間出向させてもらうことを決めた。山梨さんはいつも即断即決だ。工房を移転して、文化施設「人宿藍染工房」をつくり、藍染め体験ができるお店をオープンした。藍染め課をつくったことが、のちに静岡県の伝統工芸を体験できる静岡市の指定管理業務の「駿府の工房 匠宿」の運営にもつながっていく。(匠宿の詳細は後半記事へ)
「とりあえず土地や物件を買って、つくりながらテナントを見つけていくといった形で進めています」と山梨さんは笑う。
2017年から2025年現在の約8年間で、創造舎が取り組んだ物件は135店舗。1年間で約30軒を手がけた年もある。
「あのときは本当に忙しくて、鼻血が出そうでした(笑)しっかり事業計画を組んでやってたら、たぶんやれなかった。直感で進んできた面もありますね」(山梨さん)
市街地の人宿町エリアにおいて、8年間で135店舗ものリノベーションに取り組んできた創造舎。人宿町から始まったまちづくりの取り組みは、郊外の丸子・匠宿エリア開発まで広がっていく。創造舎が短期間でこれほどの成果を上げられたのは、山梨さんのパワーと軽やかさも大いに関係しているだろう。しかし、それ以外のポイントもいくつか見えてきた。後半記事では、郊外のエリア開発と創造舎が成果を上げてきた理由に迫る。