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【佐橋佳幸の40曲】後見人は山下達郎!初のソロアルバム「TRUST ME」は自身でプロデュース

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1994年04月25日 佐橋佳幸のアルバム「TRUST ME」発売日

連載【佐橋佳幸の40曲】vol.33
トラスト・ミー / ​​佐橋佳幸
作曲:佐橋佳幸
編曲:佐橋佳幸

91年から曲作りを始めた佐橋佳幸の初ソロ・アルバム「TRUST ME」


佐橋佳幸の初ソロアルバム『TRUST ME』。リリースされたのは1994年だが、アルバムに向けて佐橋が動き出したのは1991年頃のことだった。1989年に旧知の佐野元春から声をかけられ、佐野がキュレートするコンピレーションアルバム『mf VARIOUS ARTISTS Vol.1』に参加。ソロのシンガーソングライターとして作った初の楽曲「僕にはわからない」を披露した。この時期の佐橋佳幸といえば、若手ナンバーワンのセッションギタリストとして赤丸急上昇中。小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(1991年)や槇原敬之「もう恋なんてしない」(1992年)など、数々のメガヒットにも関わり、飛ぶ鳥を落とす勢いの大活躍が続いていた。が、「僕にはわからない」をきっかけに、多忙な仕事の合間をぬっては少しずつ自分のための曲を作ることも始めていた。

「91年から92、93年くらいまでは、本当にサポート仕事がめっちゃめちゃ忙しくて。しかも、やるものやるもの全部ヒットしていたからね。そうなると、ホントにもう、仕事ばっかりの超仕事人間みたいになっちゃって。そんな勢いの中で桑田(佳祐)さんや原(由子)さんのセッションにも呼ばれるようになって、そこでオグちゃん(小倉博和)とも親しくなるわけです。で、オグちゃんと一緒に桑田さんのSUPER CHIMPANZEEに参加して、91年から山弦も始まるんです。山弦としてのライブ活動を始めたところで、ちょっと曲が足りないなってことになり、92年の1月にはわざわざニューヨークで曲作り合宿もしたりして。にもかかわらず、同じ92年の4月からは、自分のソロに向けたプリプロも開始しているんですよね。いやー、これ、若いからできたことだよね。正直、このあたりのことは忙しすぎて記憶が曖昧ではあるんだけど… 」

ちなみに、同じ92年にはUGUISSのデビューアルバムが初CD化。それを記念して12月には、故・山根栄子を含むオリジナルメンバーが集まり、原宿クロコダイルで一度きりの再編ライブを行っている。

「そうそう。山弦にソロにUGUISS… これだけ自分がらみのことをやってるのに、当時のスケジュール表を見たらセッションの仕事もぎっしりで、めちゃめちゃ働いてる。オレ、いつ寝てたんだろう(笑)。ただ、佐野さんに声をかけてもらったのをきっかけに、ちょっとずつ自分の曲を書きためるようになって。それはひそかに続けていたの。前も話したけど、(鈴木)祥子ちゃんや(宮原)学のような若いシンガーソングライターたちと一緒に仕事をすることになってから、やっぱり頭のどこかで “自分のこともやらないとな” という思いはずっとあったんだと思う。それで、最初のデモテープを作ったところで、山下達郎さんのご自宅に相談に行くんです」

エグゼクティブ・プロデューサーは山下達郎


当時、佐橋がセッションの仕事で頻繁に利用していたスタジオのひとつ、スマイルガレージ。運営していたのは山下達郎の所属するスマイルカンパニーで、当然、山下も同じスタジオで作業をすることが多かった。それだけに、レコーディングの合間にスタジオのロビーで山下と顔を合わせることもしょっちゅうで、そのうち世間話や音楽談義で話し込んだりもするような間柄になっていた。

その頃、何かの話題をきっかけに “機会があれば佐橋くんも自分の作品も作るべきだよ” とアドバイスしてくれたこともあったという。今、自分がやりたい音楽を理解してくれるのは誰か…。そう考えた時、真っ先に思い浮かんだのは山下だった。意を決して訪ねてきた佐橋のデモテープを聴いた山下は、“うん、これは佐橋くんの世界だね。やっぱり、ソロは作ったほうがいいよ” と太鼓判を押し、当時、自身の所属レコード会社からのリリースを検討すると約束してくれた。

「さらにはアルバムのエグゼクティブ・プロデューサーという “後見人” を自ら引き受けてくれたんです。ただ、ひとつだけ条件があった。これまでプロデューサーとしての肩書きで仕事をしてきた佐橋なのだから、自分のアルバムのプロデュースも自分で手がけること、と」

ジョン・ホールを迎え、本格的にレコーディングがスタート


それからはセッションワークに、山弦に、ソロの準備に…。二足も三足も四足もわらじを重ねばきするような毎日。仕事を終えて自宅に帰ればコツコツとソロのための曲のデモテープ作りをして、できあがるたび山下のもとに持参する日々。そんなある日、元シュガーベイブのマネージャーにして、伝説のレコードショップ、南青山・パイドパイパーハウスの店主だった長門芳郎を通じてとびきりのグッドニュースがもたらされた。

「93年の1月にジョン・ホールさんがバンドで来日する、というんです。その情報を長門さん経由でいち早く掴んだ達郎さんが、僕のアルバムで弾いてもらおうと思いついたわけです。とにかく、ジョンさんが日本にいる間に彼を呼んで何曲か録ろう、と。そう言われたので、急いで「リトル・クライムズ」というインスト曲を作りまして。それから、ジョンさんの曲のカバー「タイム・パッシズ・オン」。この2曲のオケが完成。で、93年1月、来日したジョンさんをお迎えしたところから僕のソロアルバムのレコーディングが本格的にスタートしたんです」

佐橋がもっとも敬愛するギタリストである元オーリアンズのジョン・ホール。「タイム・パッシズ・オン」は、彼がオーリアンズ時代に発表した名曲だ。もともとは作者であるジョン・ホールが英語詞で歌っていたが、『TRUST ME』ではもちろん佐橋がアコースティックギターを奏でつつリードボーカルをとった。そこにジョン・ホールが美しくも超絶なエレキギター・ソロをダビングしてくれた。

「この曲はいつかカバーしたいなと前から思っていたの。それで、ジョン・ホールさんと共演ができるぞってなった時に、よし、これだ、と。とにかく、このセッションでもジョンさんのソロが素晴らしかったんだよ。1テイク目を弾いた時、達郎さんと無言で “いきなりこんなソロ弾くか、フツー!? ” みたいな感じで顔を見合わせたのを覚えてます。で、達郎さんがね、“1回目でこんなにいいんだから、あと2回くらい弾いてもらおうぜ。もっとすごいソロが出てくるかもしれない” って(笑)。結局、すべてのテイクがめちゃめちゃよくて、ジョンさんがお帰りになった後、どのテイクを使おうかとふたりで悩みまくりました。この曲は、まりやさんの書いてくれた日本語詞がまた素晴らしいんですよね。日本語詞というアイディアは達郎さんから。“佐橋くんが頑張って英語で歌うよりも、日本語で歌ったほうがいいよ” って、まりやさんに訳詞をお願いしてくれたの」

ひたすら喪失の悲しみに満ちた原詞に対し、竹内による訳詞は悲しみの中にもきらめく希望のあたたかさが漂う。悲しみと喜びを繰り返しながらすぎてゆく日々の中、音楽だけはいつも変わらず流れている…。過去を慈しむような佐橋のやさしい歌声からは、そんな思いが伝わってくる。

90年代の「バンド ワゴン」


「東京での1月のレコーディングには、ジョン・ホールとの録音を含めて連日、達郎さんがべったり付き添ってくれて。でも2月、3月、アメリカへレコーディングに行ったときはエンジニアの山口州治さんとふたりきりで… 」

エグゼクティブプロデューサーを務めた山下達郎には目論見があった。ギタリストである佐橋のシンガーソングライターとしてのデビューアルバム。それはつまり、“90年代の『バンド ワゴン』” だ、と。はっぴいえんどのギタリストだった鈴木茂が、バンド解散後の1975年、単身渡米してロサンゼルスで名盤『バンド ワゴン』をレコーディングしたように、佐橋もひとりで海外に行って録音してこい、と。

「ほんと貴重な体験でした。ソロを作り始めた時から、とにかくザ・セクションのメンバーとやりたいなと思っていたんだけど…」

ザ・セクションというのはダニー・コーチマー(ギター)、クレイグ・ダーギ(キーボード)、リーランド・スクラー(ベース)、ラス・カンケル(ドラム)という腕ききセッション・ミュージシャンたちが組んでいたバンド。ジェイムス・テイラーやジャクソン・ブラウンらのレコーディングをサポートし、数々の名盤を作り上げた連中だ。

「で、どうしたらいいんだろうって思っていたら、“クレイグ・ダーギに頼めばメンバーも取りまとめてくれるはず” と入れ知恵してくれた人がいて。それで、クレイグさんの連絡先を手に入れてFAXと電話を駆使して… アナログな時代だよね(笑)。最終的に、クレイグさんがちょうどジム・ウェッブのアルバムをサンフランシスコで録っていて、ラス・カンケルもリー・スクラーも一緒だ、と。“こっちは毎週土日が休みだから、もしサンフランシスコまで来てくれたら参加できるよ” って言ってくれたの」

「それで、まずサンフランシスコに行って。ラス・カンケル、リー・スクラー、クレイグ・ダーギと一緒にアルバムの半分くらいのベーシックを録音した。で、残りのセッションをロサンゼルスで。今度は、当時のジェイムス・テイラーのバンドに近いメンバーだね。ドラムがカルロス・ヴェガ、ベースがジミー・ジョンソン、キーボードがビル・ペイン。僕、キーボードは絶対にビルとやりたかったんでお願いして。あと、パーカッションにレニー・カストロ。デヴィッド・キャンベルに1曲、弦を書いてもらった」

シンガーソングライターになるという夢が叶った瞬間


10代の頃から恋焦がれてきた米西海岸のレジェンド・ミュージシャンたちとの共演。さかのぼれば佐橋がバンドを結成する前、初めてギターを手にすることになったきっかけは、ラジオの洋楽番組で知った “シンガーソングライター” なる職業への憧れだった。つまり、その夢がようやく叶った瞬間でもあったわけだ。しかもエグゼクティブ・プロデューサーは、中学時代に組んでいたバンド “人力飛行機” の仲間たちと自転車を飛ばしてヤマハ渋谷店へ見に行ったシュガーベイブの山下達郎。

氷室京介の「魂を抱いてくれ」でデヴィッド・キャンベルが手がけた絶品のストリングス・アレンジについては以前、本連載でも紹介したことがある。キャンベルをはじめ、この時に出会ったミュージシャンたちと佐橋はその後もさまざまなセッションで再会。

とりわけ佐橋プロデュースによって米西海岸でレコーディングされた松たか子の『Time for music』(2009年)は、いわば平成版『TRUST ME』ともいえる布陣によるエターナルなAORサウンドが繰り広げられた1枚に仕上がっていた。ちなみに、リー・スクラーは最近になって自身のYouTubeチャンネルで『TRUST ME』を紹介、佐橋との仕事をあれこれ楽しそうに話している。

「3月に帰国してからは、最後の仕上げ。残りのパーカッションとかコーラスを達郎さんに手伝ってもらって。あとは山本拓夫くんと村田陽一くんに1曲ずつブラスアレンジをお願いしてブラスを入れました。村田くんとはね、僕がソリッドブラスのサポートをしたり、セッション仕事で一緒になったり、急接近していた時期ですね。で、とりあえず完成して、あとはもういちどロサンゼルスに行ってミックスをするだけ、という段階になった」

「そんな時、達郎さんから電話をもらいまして。もう1曲書けないかな、と(笑)。“チェット・アトキンスみたいなさー、佐橋くんがアコギ1本でやってるようなインストを何曲か入れた方が良くない?” って。さすがエグゼクティブ・プロデューサー。その頃ちょうどMTVの 『アンプラグド』がブームだったんですよ。だから、そういう曲があるといいんじゃいかな、と。で、“わかりましたー” ってことで。アルバムタイトル曲にもなった「トラスト・ミー」と、最初に入ってる「ソカロ」という超高速曲の2曲を作って。で、ミックスでLAに行ったついでに、同じスタジオにあるちっちゃいブースでひとりでギター弾いて録音しちゃいました」

佐橋の人生をも大きく変えることになる山下達郎の戦略


こうして1993年のうちにアルバムは完成。しかし、リリースされたのは94年の春になってからだった。実はこれもまたエグゼクティブ・プロデューサー、山下達郎による戦略。そして、その戦略が佐橋の人生をも大きく変えることになる。

「アルバムが完成した頃、達郎さんに “佐橋くん、今度シュガーベイブの曲ばかりやるライブがあるんだけど。ギター弾く?” って言われて。そりゃ、弾くも弾かないもない。ふたつ返事で “弾きますっ”(笑)。で、それが翌年(94年)の4月から5月にかけて行われるというの。だから、僕のアルバムもそのタイミングでリリースして、コンサート会場で即売しようよ、と。で、94年の4月21日に発売することが決まったんです」

山下がソロデビュー以前の初期レパートリーばかりを歌いまくった伝説的コンサートツアー『ATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE』。そのツアーのギタリストに抜擢された佐橋だが、記念すべきライブ初日にはちょっとしたサプライズが待っていた。

「ライブ当日、会場入りしたら突然、メンバー紹介の時にアルバム『TRUST ME』の1曲目「ソカロ」を弾くように、と、アルバムの “エグゼクティブ・プロデューサー” である達郎さんから言われたんです。それであわてて機材車からアコギを持ってきて、セッティングして。おかげさまでアルバムの宣伝にはなったけど、あれは焦った(笑)」

ステージでは、今回、バンド初参加の佐橋が今もっとも期待の若手セッションマンであることや、たとえば最近ではあの「ラブ・ストーリーは突然に」のイントロも弾いていることなどが山下から紹介され、続いてアルバムからの曲を演奏する… という、さながらミニ・レコ発コーナーのような展開となった。

贅沢なセットリストが実現したソロライブ


同年10月にはFM東京主催で初の本格的なソロライブも開催。スペシャルゲストにヴァレリー・カーターを迎えてのジョイントライブという形だった。ここには小倉博和も参加。結果、ソロの曲、山弦の曲、そして洋楽で育った佐橋ならではのヴァレリーとの共演曲…。多彩なレパートリーが共存する贅沢なセットリストが実現した。

佐橋といえばJ-POP、というイメージも間違いではない。1980年代後半からのJ-POPヒストリーをたどれば、その代表的作品のあちこちに佐橋の活躍があるのだから。が、一方、“人力飛行機” の時代からずっと変わらない佐橋の “芯” の部分というのも、この時期から世の中にじわじわ浸透し始めていった。

1990年代になって日本のヒットチャートでもフォークやカントリーロック、西海岸AORのテイストを色濃く感じさせるアコースティック・サウンドなどがだんだん珍しいものではなくなってきた。けっしてすべてが佐橋の影響というわけではないが、事あるごとに、さまざまな場所で、あの手この手のやり口で、佐橋が蒔いてきた種の芽生えでもあった。事実、こうした動きを “なんだか佐橋っぽいね” と形容する者も少なくなかった。

「それはやっぱり、“自分のこと” を始めたからだと思うんですよね。特に山弦とソロ。そういえば、『TRUST ME』のセッションでビル・ペインと知り合ったおかげで、99年に大好きなリトル・フィートが来日した時、ビルからメールが来て飛び入りしたな。一緒に飛び入りしたのが鈴木茂さんで」

「僕、この時に初めて茂さんにお会いしたのかもしれない。そういう西海岸人脈ができたことも、その後、自分の財産になっていったしね。もちろん達郎さんのバンドでギターを弾くようになることだって、それまで想像もしていなかった。しかもシュガー・ベイブを歌うコンサートということで、ここで大貫妙子さんとも初めて一緒にステージに立ったんですよ。いい出会いがたくさんありました。その後の自分の音楽人生を考えると、このあたりで起こったことがすべて、新しい、自分らしい道への第一歩になったのかなと思います」

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