好きなことで食べていくには「ずる賢さ」が必要。 料理人・稲田俊輔の仕事論
食を愛する人々が一度は憧れる、「料理人」という仕事。閉店後の店のキッチンで料理人が頭を抱え、次なるメニューのアイデアをあれこれと思案する──というドラマや映画のワンシーンが頭をよぎる人も多いかもしれません。
しかし、現実はそういったイメージとかけ離れており、日々の仕事の9割は“名もなき雑用”が占めていると、人気南インド料理店「エリックサウス」などを手がける料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんは語ります。
ルーティンワークや雑用の中にも、キャリアアップや自己実現につながるカギはあるのでしょうか。飲食業に限らず、さまざまな業界で働く若手ビジネスパーソンにとってヒントとなる稲田さんの仕事論をお聞きしました。
稲田俊輔さん。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、さまざまなジャンルの飲食店を立ち上げた後、2011年、東京・八重洲に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛ける。著書に『食いしん坊のお悩み相談』『おいしいもので できている』(いずれもリトルモア)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社)、『ミニマル料理』『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)、『料理人という仕事』(筑摩書房)など。
「名もなき雑用」でもオリジナリティは発揮できる
──稲田さんは料理人としてのキャリアを長く歩まれていますが、世間で語られている飲食業や料理人のイメージで「実像とかけ離れている」と感じるものはありますか?
稲田俊輔さん(以下、稲田):世間では「料理人=料理をする仕事」だと思われていますよね。もちろんそれは間違っていませんが、実際は料理人の仕事において料理そのものが占める割合は半分以下なんです。仕事の大半を占めているのは「名もなき雑用」で、新しい料理をクリエイトするのは、仕事のほんの一部に過ぎません。
──名もなき雑用。
稲田:はい。毎日の洗い物や掃除、それから、突然壊れてしまった調理機器の修繕も、そのひとつです。
割合としては少ないものの、原価計算や日報を書くといった事務作業ももちろん発生します。こういった作業は基本的に店長が担当しますが、事務作業を店長から自主的に奪ってくれる従業員がいると、さまざまな仕事がスムーズに回る印象です。僕もかつてはそういった雑用を積極的に店長から奪っていました。
──飲食店はただでさえ忙しいですし、そうして機転を利かせられる従業員が一人でもいると助かりそうですね。でも、名もなき雑用をこなしながら、自分なりの創造性やオリジナリティを発揮することは可能なのでしょうか?
稲田:難しいように思われる人が多いかもしれませんが、実はいくらでも可能です。例えば、洗い物。多くの飲食店のキッチンには食器洗浄機がありますが、食器洗浄機へのお皿の入れ方、並べ方ひとつにも創造性は宿るんですよ。パズルのように重ねて入れたり、食器置き場にしまいやすい位置に並べたり、ちょっとした工夫で、作業効率が倍近く変わることもしばしばです。
これは自分のお店のエピソードですが、僕の知らないうちに、キッチンの壁の空いたスペース一面にパネルが設置され、そこに収納グッズが提げられ、中を見ると箸やスプーンといった食器類が丁寧にしまわれていたことがあります。聞けば、従業員のひとりが100円ショップのグッズを使って、予算3000円ほどで、ひと晩で、それを組んだと言うんです。これぞまさにレイアウトの改革で、実際に作業スピードと作業効率がグッと上がりました。周囲からも大絶賛され、その従業員は他の店舗にも収納スペースの組み方を教えに行っていました。
──ひと晩のうちに業務改革が起きたと。その従業員の方は、どのようなモチベーションでその改革を行ったのでしょうか?
稲田:「不便に感じている箇所をなんとかしよう」と思うまでは、通常の仕事の範疇ですよね。けれど彼はそれでは飽き足らず、どうせやるんだったら徹底しようと、作品をつくり上げるようなイメージで収納のスペースを組んだのではないかと推察しています。もちろん、働き過ぎはよくありませんが、これは完全にクリエイターの発想ですよね。結果的にそのアクションで、彼は他店に呼ばれるという新たな役割も得たわけです。少し嫌らしく聞こえるかもしれませんが、自分の得意なことや自分にしかできないことは、そうやって積極的に周囲にアピールしていくべきだと僕は思いますね。
組織の中で「やりたいこと」をやるために、こう立ち回る
──稲田さんはまさに料理という「好きなこと」を仕事にされた人だと思います。とはいえ仕事ですから、趣味と違ってマインドや取り組み方も変化を求められるのではないでしょうか?
稲田:「好きなことを仕事にすると、プライベートと仕事の境目が曖昧になって苦労する」という話はよく耳にしますよね。ただ、僕は好きなことを仕事にして苦労したことがないので、あまり共感できません。僕は昔から今に至るまで一貫して趣味も仕事も食で、プライベートと仕事の区別がほとんどないんです。外食も仕事に生かせますし、料理をしている時間そのものも楽しいですし、「好き」を仕事にするためマインドを切り替えたという意識はあまりないのが正直なところです。
──でも、先ほどお話に出た「名もなき雑用」のような作業が続くと、仕事が嫌になってくるときはありませんか?
稲田:たしかにありますね。僕は事務仕事が本当に苦手で、特に経費精算は腰が重くなってしまいがちなので、苦痛を感じながら作業することが多いです(笑)。料理という、自分が絶対に嫌いになりえないものとつながっていなかったら、たぶん耐えられなかったでしょうね……。経費精算は一見、料理からは距離があるように思える作業なので、取りかかるまでに大きなエネルギーが必要になってしまいます。
──稲田さんにとっての経費精算のように、たとえ好きな仕事に関われている人でも、その仕事が嫌になってしまうくらい苦痛な作業があるかもしれません。
稲田:そういう意味でいうと、僕は料理という作業は明確に好きで、料理であればどれだけしていても苦にならないので、料理の作業にできるだけ特化できるよう、周囲にアピールし続けた、という自覚はありますね。ときには狡猾に、自分がいかに料理が好きで得意かを伝え続け、「こいつは料理に特化させたほうがいい」と周りに思ってもらえるよう立ち回った節はあると思います(笑)。
──具体的にどう立ち回ったのでしょうか?
稲田:駆け出しの料理人だった頃は、日々の雑用の合間で、誰に頼まれてもいないレシピをひたすらにつくり続けていました。和食店の料理人をしていたときも、お店で出すわけでもないエスニック料理を毎日のようにつくっていましたし。それを見ていた上司から「次に出す新しいお店はエスニックにしたい」と声がかかり、実際の仕事につながったという経験もあります。
それなりの役職を得た後も、新しいお店を立ち上げる際は自分が料理に特化できるよう、人のマネジメントや数字の管理に強いメンバーを積極的にチームへ迎え入れたり(笑)。
──そうしたアクションは、ビジネスのスケールと自分のやりたいことを両立させるためには大事なことですよね。
稲田:ただ、始めから計算ずくだったわけではありません。雑用も含め、目の前の仕事を手当たり次第こなしているうちに「料理がどれだけやっても苦にならない」ことを確認できました。自分にどんなスキルがあり、どんなことが好きなのか、どんなことに特化すべきかに気づけたのは、まずは選り好みせず、ひと通りの経験を積み上げたからだと思います。
──料理人の世界でも「修行や下積みはムダ」といった言説をたびたび見かけますし、近年は若手のビジネスパーソンからも、効率的に、最短経路でスキルや経験を得たいといった声を聞きます。でも、稲田さんのお話を伺う限り、キャリアを積むならむしろ最短経路を目指さないほうがよいのでは、とも感じます。
稲田:少なくとも僕はそう思いますね。役に立つか立たないかという指標で物事を捉えると、本来見えてくるものも見えなくなってしまう可能性があるように感じます。自分が好き・得意だと思い込んでいることでも、突き詰めてみると意外とそうではないと気づかされるケースもありますからね。
なぜキャリアの最初に「大きな組織」を経験すべきなのか?
──今のお話に関連して、やりたいことに関する知識や経験、技術を集中的に得るより、より汎用性のある知識や経験、技術を得たほうが、結果的に自分のやりたいことも成功しやすいという法則はあると思いますか? 料理のやり方に絞るなら、最近はネットで調べていくらでも独学できますよね。
稲田:それは確実にあると思います。例えば、あるシェフが小さな個人店を営んでいて、個性的な料理で評価を得ていたとします。でも、そのシェフに憧れる駆け出しの料理人がその店に飛び込んで修行し、独立したら成功するかというと、おそらくそんなことはないでしょう。
なぜなら、そのシェフの個性的な料理は、「基礎技術」という土台のうえに積み上げられたものだからです。オーセンティック(伝統的)な料理の技術や文化、店舗運営のイロハを学ばず、最初から表層の部分だけを会得しようとしても、うまくいく可能性は低いと思います。なぜならこの業界は目まぐるしく変わるからです。社会の変化に合わせて、勝ち筋も変わってくる。だからこそ、常にセカンドプランを持ち、店も提供するサービスも料理も変えていく必要がある。その際に土台がないと、何をどこまで変えていいのか分からず、変化に適応できなくなってしまうんです。
──なるほど。さまざまな職種・業種で「大企業を先に経験しておくほうがいい」といった言説はしばしば耳にしますが、やはり料理人の世界でも若手のうちに大きなお店で働いたほうがキャリアのつぶしがきく、といったことはあるのでしょうか?
稲田:あるでしょうね。大きな組織の利点は、さまざまな知識や経験が体系化されている(体系化されたマニュアルが存在する)ことだと思います。個人店のように小さな組織から知識や経験を得ようとすると、「見て覚えろ」ではないですが、どうしても暗黙知として学ぶ必要が出てきます。これはかなり非効率です。一方で、大きな組織だとマニュアルや共通言語を介して仕事ができるので、知識や経験を取り込みやすい。それに、スキルの土台となるものを過不足なく学べます。
だから、何かに特化したジャンルの組織を渡り歩くよりも、まずはベーシックなスキルを身に付けられる組織に入ったほうが、キャリアを積む効率は良いだろうと思います。
ちなみに僕はそうじゃなかったので本当に回り道をしたな、と思います……(笑)。
仕事でぶち当たる制約は「ゲーム」のように楽しむ
──料理人は、原価や人員、オペレーションといったさまざまな制約の中で日々料理をつくっています。制約と聞くと煩わしい印象もありますが、むしろこういった制約があるからこそ仕事が楽しい、仕事を通じて成長できる、という側面もあるのでしょうか?
稲田:はい。スポーツなども同じですが、ある種のルールや縛りがあるからこそ楽しくなる側面は大いにあると思います。もし材料費にも仕込み時間にも一切の制約がない料理店があるとして、そこで輝ける人間は、時間とお金があればあるだけおいしいものをつくることができるひと握りの天才か、ありとあらゆる高級食材を仕入れて豪華に盛り付けて素人を煙に巻く詐欺師のような料理人のどちらかでしょう(笑)。原価や作業時間、ポピュラリティ(流行)といったさまざまな制約の中でパフォーマンスをし、そのスコアが利益という形で分かりやすく目に見える面白さは、ゲームの面白さに通ずるものがあると思います。
一方で、仕事においては自己表現をする楽しさもありますよね。おそらく僕は無意識のうちに、自己表現としての料理の楽しさと、ゲームとしての料理の楽しさを理解し、あらゆる仕事をどちらかに振り分けている気がします。その振り分けも曖昧なところがあって、僕が一番楽しさを感じるのは、ゲームとしてしっかりハイスコアを叩き出しつつ、その隙間に自己表現を挟み込んでいくような仕事かもしれません。
──なるほど。制約の中にも自己表現を挟み込み、稲田さんらしいクリエイティビティを発揮できたと感じる仕事に、例えばどのようなものがありますか?
稲田:エリックサウスが監修したセブン-イレブンのビリヤニ(炊き込みご飯のようなインド料理)は、その典型例ではないかと思います。全国のコンビニで販売する商品なので当然さまざまな制約はあったのですが、その狭間に自分のやりたいことをねじ込んで、それをあらゆる箇所にトッピングしていくような感覚でつくりましたね。
《画像:ビリヤニという料理の知名度を上げることに大きく貢献した「エリックサウス監修 ビリヤニ」(画像提供:セブン-イレブン・ジャパン) ※時期により、取り扱い状況は異なります》
──エリックサウスの味を自宅でも楽しめる画期的な商品でしたよね。一方で、制約が多い仕事ほど、その中で自己表現をする難しさを感じる人も多いと思います。そういった仕事ではどのようなスタンスでいることが必要でしょうか?
稲田:まず、ある種のずる賢さは必要かもしれませんね(笑)。それから、何をしたいかが明確であること。明確に表現したいものがあれば、ゲームのプランを組み立てている間にも、「あのパーツはここにはめられるかも」「このパーツがルールに抵触するなら別のパーツを持ってこよう」と考え続けることができるので。やりたいことを明確にするという意味では、自分の意識の中でのプライオリティは常に自己表現側にあるほうが、よい仕事ができるのかもしれません。
「やりたいこと」をやるために、つくり手視点とユーザー視点を行き来する
──お話を伺っていると「狡猾さ」「ずる賢さ」といった言葉を稲田さんが頻繁に使われている印象があります。さまざまな発信からうかがえる稲田さんの穏やかなイメージからすると、少し意外でもあったのですが、自分のどのような部分に「ずる賢さ」を感じますか?
稲田:先ほどお伝えした「好きなことを周囲に積極的にアピールする」という部分もそうですし、あとはさまざまな人の反応を想定して先手を打つ、という想像力でしょうか。例えば、SNSの発信。監修した商品が世に出るときのコメントを例にお伝えしましょう。監修商品は制約も多く、自分のやりたいことを100%叶えるのは難しいので、賛否両論の反応が出ることは織り込み済みです。だから、自分が悪者にならないような書き方をします。巧妙に。「マニアの人はこういうものを求めていたかもしれませんが今回は実現できませんでした。でも、流通のプロができる限り多くの人に受け入れられるような方法を教えてくださいました。自分はマニアの人に受け入れられるパターンと、できる限り多くの人に受け入れられるパターンを提示したまでです」みたいな。相手のことも一応立てているじゃないですか。そのうえで「自分は作ることしかできないから」と責任を回避している(笑)。
──(笑)。
稲田:あとはお店に置くメニューの文言。エリックサウスでスタッフから新しいメニューの提案を受けるときも、よく「こういうタイプの人のこういう反応は想定した?」とフィードバックしています。
──たしかに、エリックサウスのメニューはさまざまな層にはまるよう緻密に設計されている印象です。しかしものづくりにおいては、ターゲットを広げず、あえて狭い層にアピールしたほうがうまくいく、という考え方もありますよね。
稲田:僕の場合、ターゲットをあえて絞り過ぎず、さまざまな人物を合成した空想上の人格をペルソナにして「これはこんな人に食べてほしい料理だな」とメニュー構成を考えます。そのうえで、各料理の特徴をできる限りテキストで補完するようにしています。なぜなら、狭い層に向けた料理は、ほとんどの人にとってnot for meであるからです。それをあえて店のメニューに入れるなら、not for youであることと、その理由を説明しなくてはいけません。そうでなければ、あらゆるお客さんにお店の料理を楽しんでもらえないように思います。
具体的に言うと、グラブジャムンというクセの強いデザートは「ヨーグルトのほうが多少マシです」、好みの分かれるカレーは「一般的な日本人にはあまり好かれないタイプのカレーです」などとあえてネガティブに紹介してみたり。
《画像:エリックサウスの店舗に置かれたメニュー表の一部(画像提供:稲田さん)》
──なるほど。テキストで補完して、どのような人に向けたメニューなのかを伝えているわけですね。
稲田:はい。飲食店にあるメニューの多くはおそらく、すべての料理をすべてのお客さんに売りたいという前提でつくられています。だからこそ、人を選ぶような料理をメニューに入れられずやりたいことを我慢せざるをえなかったり、逆にやりたいことをやり過ぎてつくり手の独りよがりになってしまったりすることが非常に多いなと。理想的なのは、さまざまなニーズが渋滞を起こさず、それぞれ適切な料理に導かれるよう交通整理されたメニューですよね。
その際に必要になるのがユーザー視点です。僕は料理人であると同時に飲食店に通うマニアでもあるので、つくり手の視点とユーザー視点を併せ持っているのが強みのひとつなのかなと思っています。
──ユーザー視点を持つために、自分がその仕事を「好き」であることも役立ちそうですね。
稲田:その通りだと思います。好きなことを仕事にしていると、息をするようにユーザー視点に立てますからね。僕の場合はマニア度がやや高いので、エスニック料理になじみのない方など、一般的なユーザーの視点を持とうとするときはリサーチが必要になるんですけどね(笑)。日頃からユーザー視点とつくり手の視点を行き来できることも、「好き」を仕事にする大きな強みだと思います。
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取材・文:生湯葉シホ
写真:関口佳代
編集:はてな編集部
制作:マイナビ転職
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