幸四郎が新たに描く『鬼平犯科帳』、染五郎と團子が躍る結ばれなかった男女の『蝶の道行』~歌舞伎座『七月大歌舞伎』夜の部観劇レポート
歌舞伎座『七月大歌舞伎』が、2025年7月5日(土)に開幕した。松本幸四郎主演の『鬼平犯科帳 血闘』、そして市川染五郎と市川團子による舞踊『蝶の道行』で大いに賑わう、「夜の部」(17時開演)の模様をレポートする。
一、鬼平犯科帳 血闘(おにへいはんかちょう けっとう)
火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)とは、江戸市中の治安を守る役職のこと。主に放火、盗賊(強盗)、賭博を取り締まる。その長官が主人公の「鬼の平蔵」、長谷川平蔵だ。池波正太郎の原作小説「鬼平犯科帳」を、松本幸四郎が主演・構成・演出も手掛けて歌舞伎化。脚本は戸部和久。
歌舞伎の舞台を自在に
ある夜、盗賊たちが両替商の土蔵に忍び込む。しかし盗賊を手引きをした男は、実は平蔵の密偵である彦十(中村又五郎)だった。平蔵たちは、すでに先回りしており……。
ここまでを、爽快なテンポで駆け抜けた。幕開きは、息をひそめ忍び足で。そして、ゆっくりまばたきするような暗転から、ワッと「火盗」の提灯があらわれるや、鬼平がバン! と登場。視覚的にも聴覚的にも存在感も、まさにバン!! というインパクトだ。客席が大きな拍手でそれを迎えると、幸四郎の鬼平と市川團十郎の普賢の獅子蔵の立廻りが、盛り上がりをさらに押し上げる。スピード感のある立廻りで、勢いよく花道へなだれ込み、2人はぐっと距離を詰めて鍔ぜり合いに。エネルギーを上書きし合うように、ぶつかりあった。歌舞伎の立廻りには、様式化された美しさがある。それが身体に染みこんだ幸四郎と團十郎の、洗練された美しさと、痺れるようなリアルな緊張感だった。
本作では、鬼平が鬼平になる前の青年時代(以下、銕三郎時代)を市川染五郎が演じる。そして鬼平の父・長谷川宣雄を松本白鸚が演じる。幸四郎が作った疾走感をそのまま受け継ぎ、染五郎が登場すると、今度は銕三郎の立廻りだ。持て余した力を発散するような荒々しさが、若さを象徴する。後年の化物屋敷での鬼平の立廻りにも通じる、鋭さがギラついていた。
高麗屋三世代が揃う場面では、親子孫3人の対話が、虚構と現実でゆるやかに重なる。舞台と客席という同一空間だからこそ共有できる空気感だ。ユーモアと光に満ち、客席は幸せな笑いに包まれた。夢のような景色であり、遠くには果てなく星空が広がっていた。
銕三郎と鬼平、とりまく人々
歌舞伎らしさに捉われない演出で観客をぐっと引き込む一方、人と人の心の交流はその場の匂いごと掬い上げるように丁寧に描かれている。銕三郎と夜鷹おもん(市川笑三郎)の束の間の時間は、銕三郎の情の濃さと度量の深さを印象付ける。
物語の軸となるのは、おまさの存在だ。銕三郎時代に出会い、鬼平時代に再び現れる。少女時代のおまさを演じるのは、市川ぼたん。自身の中でもまだ名前のつかない感情を、そのもどかしさごと銕三郎にぶつけているよう。その真っ直ぐさが瑞々しかった。大人になったおまさを演じるのは、坂東新悟。鬼平との距離感に時間の流れを感じさせつつも、澄んだ声に、少女の頃と変わらない真っすぐさが滲む。大川端を人々が行き交う場面では、四季の移ろいの中に、おまさの健気さが織り込まれていた。また日置玄蕃(坂東巳之助)や閻魔の伴五郎(市川猿弥)、夜鷹おこま(澤村宗之助)などひと癖もふた癖もある日陰の人物たちは、物語を盛り上げるのはもちろん、鬼平が対峙する江戸の町に奥行きを与えていた。
悪党から「鬼」と恐れられる鬼平。しかし妻の久栄(中村雀右衛門)や相模の彦十(若き日を市川青虎、その後を中村又五郎)との気心知れたやり取りでは、愛嬌のある笑顔もみせる。同心の安五郎(市川中車)たちが平蔵へ向ける態度には、鬼平への信頼が注がれていた。幸四郎の鬼平は穏やかだった。穏やかさは、穏やかな日々の積み重ねではなく、静かに闘い続けてきた結果なのかもしれない。今回は描かれていない銕三郎時代に思いをはせた。
今回の公演名に「二代目中村吉右衛門に捧ぐ」とある通り、鬼平は、幸四郎の叔父・二代目吉右衛門の当り役でもあった。舞台では、吉右衛門の鬼平シリーズのエンディング曲、ジプシー・キングスの「インスピレイション」が使われる。その旋律は、吉右衛門の不在の寂しさではなく、吉右衛門という名優がたしかに存在したことを熱く思い起こさせるものだった。『鬼平犯科帳』は幸四郎に受け継がれ、幸四郎の平蔵として現在進行形で生き続けている。舞台だからこそのエネルギーに触れ、晴れやかな幕切れとなった。
二、蝶の道行(ちょうのみちゆき)
市川染五郎と市川團子、ふたりの舞踊だ。染五郎は凛々しく助国を踊り、團子はしなやかな佇まいに、ほのかな艶を滲ませ小槇を踊る。若々しいが、溌剌とは少しちがう。なぜなら本作は、相思相愛でありながら一緒になれないまま命を落とした若い男女を描いたもの。つがいの蝶となり、大きな花々を背景に舞う姿は、淡い夢をみるようだった。染五郎の端正な助国は、喜びに溢れるほど光が透けるような儚さが漂った。團子の小槇は背の高さの分だけ高く舞い上がり、地面ぎりぎりまで舞い降り、強い風で千切れてしまいそうな柔らかさを見せた。夢心地と、うっすらとした不安を行き来しながら、ついに迎えるクライマックス。歌舞伎座の場内が一瞬静まり返り、そして大きな拍手が湧き上がった。
染五郎は20歳。團子は21歳。それぞれが若くして大きな舞台を経験し、目覚ましい成長を続けている。そんなふたりが、たったふたりで歌舞伎座を魅了した。ふたりの競演はこの先何十年と続き、お互いの芸を更新し続けていくに違いない。どんな舞台芸術も「今だからこそ」の積み重ねだが、ここには今だからこその、強く記憶に焼き付くようなきらめきがあった。この先、思いがけない瞬間にふと記憶がよみがえるにちがいない、美しい道行だった。
『七月大歌舞伎』は、歌舞伎座にて7月26日(土)までの上演。
取材・文=塚田史香