幻のデビューアルバム!工藤順子「茜色のカーニヴァル」と遊佐未森の新しいファンタジー
リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜Vol.56
茜色のカーニヴァル / 工藤順子
2人の女性の人生を変えたアルバム
人生は無数の “選択” によってその道筋が決まっていきます。“選択” のタイプも、どの学校に進むか、文系か理系か、どんな会社に就職するか、あるいは就職しないかなどの、考えた上での選択もあれば、たまたま入った店で出会った人と恋に落ちて結婚したり、乗ったタクシーが巻き込まれた事故のせいで車椅子生活を余儀なくされるというような、予期せぬ選択もあります。
『茜色のカーニヴァル』というタイトルのアルバムが、まったく面識がなかった2人の女性の人生を大きく変えました。1人はそれをつくったシンガーソングライターで、工藤順子という人。大分県大分市で生まれ育ち、ひとりっ子で病弱だったこともあり、好きな遊びが歌をつくることでした。プロになる気はまったくなかったけれど、ある時、某FM誌の作詞コンテストに応募してみました。なんとなく自分のレベルを知りたくなったそうです。そしたら入賞して、それがデビューアルバムのリリースにつながりました。
1984年3月21日、当時のフィリップス(現:ユニバーサル ミュージック)から『茜色のカーニヴァル』がリリース。半可通からは、まだ何者でもなかった時の小室哲哉氏が関わっていることばかりが強調されるのですが、彼は1曲、アレンジおよび演奏を担当しているだけです。その「夕顔姐さん」という曲は、歌詞とメロディがアルバムの中でも特に印象的なんですが、アレンジはたいしたことありません。それよりも特筆すべきはアルバム全曲のミックスを吉野金次さんが担っていることでしょう。ただ、全般的にシンセサイザーが多用され、生楽器がほとんど使われていないので、吉野さんの力も発揮しようがなかった感じがします。こういう歌の世界なら、生ギターと弦カルテットとか、アコースティック楽器中心に構成したほうがよいと思うのですが、この頃はシンセがまだまだ新しくてカッコよかったんですね。特に全10曲中5曲のアレンジを務めているMAKIさん(田代マキ、現:矢嶋マキ)は、1983年に当時最新鋭の『Fairlight CMI』という、シーケンサーもサンプラーもついた多機能シンセサイザーを購入したばかりだったようで、それをいっぱい使いたかったんでしょうね。
で、このアルバムがヒットして、工藤さんの人生が変わった… のではありません。レコードはたいして売れず、次作の話もなく、工藤さんはそれまでと変わらず、大分で静かに暮らしていました。
私は、裏ジャケに “Conceptual Adviser” という肩書でクレジットされている下田逸郎さんから、カセットにコピーされたものをもらって、このアルバムを知りました。その頃私は音楽ディレクターとして、作詞家としての下田さんとよく仕事をしていたのです。で、この歌の世界、特に歌詞の、恋だの愛だのじゃない、小さな出来事から無限を覗くような独特の切り口に、強く魅せられましたが、その時はそれだけのことで、やがて記憶の底に沈んでいきました。
遊佐未森の作詞家を探して
それを思い出したのが、遊佐未森というシンガーのデビューを準備していた1987年です。 “新しいファンタジー” とでもいうような歌の世界を考えていて、それにふさわしい歌詞が必要でしたが、その時点では本人は書いたことがなかったし、のちに天才的な作曲能力を発揮する外間隆史くんがいくつか書いてきた歌詞はあまり気に入らなかった。でも、“手垢のついた” と言っては失礼ですが、作詞家として知られている人たちは、できれば使いたくありませんでした。
そうだ、あのシンガーソングライターはどうだろう? 『茜色のカーニヴァル』のカセットを引っ張り出して、聴き直し、この人はドンピシャかもしれないと思いました。遊佐さん、外間くんも賛同してくれましたが、さて、連絡がつくのだろうか?
たぶん下田さんに訊いたんだと思いますが、大分に住む工藤順子さんに電話をしました。突然のアプローチですから戸惑ったのでしょう、自信がないとかそんな理由で、はっきりした返事はもらえませんでした。
“ダメならダメで断ってくれていいけど、ともかく一度お会いしたいので、そちらに行ってもいいですか?”
“…ハイ”
遊佐さんのことも知ってほしかったので、彼女とマネージメント事務所だったヴァーゴ ミュージックの坂野さんと、3人で大分へ。工藤さんは、当時たぶん20代の前半だったと思いますが、中学生と言われても微塵も疑わないような、小柄で清楚な女性でした。少し列車に乗って由布院という町へ行き、落ち着いた雰囲気の喫茶店で、ほとんど仕事に関係ないことを、いろいろと話しました。話す声はボソボソと小さいけれど、言いたいことはハッキリしていて、目のつけ処はやはり面白い。そして、ゆったりとしたその時間が彼女を安心させたのでしょうか、詩を書くことを承諾してくれました。
遊佐未森のデビューアルバム『瞳水晶』(1988年4月1日発売)では4曲を作詞。セカンドアルバム『空耳の丘』(1988年10月21日発売)では5曲、その中の「地図をください」(作曲:外間隆史)は、シュワルツェネッガーが登場する日清カップヌードルのCMで流れ、話題になりました。工藤さんはこの曲で “ようやく作詞家としての自覚が生まれた" と語っています。これをきっかけに、工藤さんは上京し、ヴァーゴ ミュージックと作家契約。本格的に作詞家となって、現在に至ります。
もしかしたら、猫くらいしか聴いてくれない歌をつくりながら、田舎でのんびり一生を過ごしたかもしれない工藤順子に、遊佐さんの成功が、作詞家という道を拓きました。そして、工藤さんが紡ぎ出す詩の言葉が、遊佐未森の “新しいファンタジー” に息を吹き込み、それは、今も多くの人に支持される、彼女ならではの存在感の土台を築きました。
工藤さんがコンテストに応募しなかったら、アルバムをつくることはなかったかもしれないし、下田さんから私を経由して、遊佐さんがそれを聴くこともありませんでした。『茜色のカーニヴァル』という作品がなかったら、この2人の人生は随分と違ったものになっていたのじゃないかと思います。
幻のアルバム「茜色のカーニヴァル」の再発
その『茜色のカーニヴァル』が(私には)突然、ユニバーサル ミュージックより、今年の7月24日に “LP” で再発売されました。発売からちょうど40年目、そして昨今のアナログブームという動機があるとはいえ、作詞家・工藤順子の知る人ぞ知る、つまり “幻の” 自作自演アルバムを、よくぞ再発してくれたと思います。
作詞家の工藤さんが書く詩も、もちろん素晴らしいし、大好きなのですが、やはりどこか、ちゃんと服や靴を選んで外出しているような気配を感じます。それはたとえばスポーツでも、適度な緊張感がないといいパフォーマンスは出せないのに似て、必要なことだと思いますが、そうではない “素” の工藤順子が『茜色のカーニヴァル』の中にはいます。
まだ何者でもなかった、小柄で病弱な少女のつぶやきのような作品。でもそれは、彼女自身ともう一人のシンガーの人生を大きく動かす力を持った音楽でした。今回の再発で、この音楽が、また少しでも多くの人たちの心を捉えることになればいいなと思っています。