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夜明けのコーヒー、二人で飲もう…夏が来ると思い出すピンキーとキラーズ「恋の季節」を歌唱した今陽子は16歳だった

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夜明けのコーヒー、二人で飲もう…夏が来ると思い出すピンキーとキラーズ「恋の季節」を歌唱した今陽子は16歳だった

 梅雨明けが発表され、いよいよ夏本番だ、「そうだ恋の季節だ!」と慌てて本稿を書き始めた同じ日の56年前、つまり1968年7月20日にピンキーとキラーズ(Pinky & Killers)の「恋の季節」(作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく)がリリースされた。何という偶然か! 夜明けのコーヒーを二人で飲もうよ、とボクは連発して女子に近寄っていた十代の不良少年最後の夏(季節)だった。

 山高帽を被りステッキを手に黒いタキシード姿のピンキーとキラーズ。ドラムス(パンチョ加賀美)、ベースギター(ルイス高野)、ギター(ジョージ浜野)、ギター(エンディ山口)という4人の男たちのコーラスの中心に16歳のリードヴォーカル今陽子(ピンキー)がいた。強烈な印象のデビューだった。ちょっと気障(キザ)で粋な大人の男たちに囲まれた彼女の、大柄で、ふっくらとした身体から発せられる声量に圧倒された。ラテン音楽を思わせ、ボサノヴァのような雰囲気の楽曲は、メロディーも詞も今までの歌謡曲にはなかった。パンチョ、ルイス、ジョージ、エンディと洒落たニックネームの男たちもカッコいいオジサンたちだった。

 忘れられない恋に燃えたあの季節、青いシャツを着て遠い目で海を見つめていたあの人と、私は海辺で裸足になって小さな貝の舟を浮かべて涙ぐんでいたっけ、あの人は死ぬまでひとりにしないと言ってくれたのに……今は冷めてしまったが、女性の燃えるような恋心を歌っていながら、演歌のようなメソメソした未練がましさがなく、どこか都会的な洗練されたセンスを感じさせ、品があった。だいたい夜明けのコーヒーをふたりで飲もう、なんて気障なセリフを発せられるのは青山か六本木か遊び慣れた男に違いないと思いながら、どこかに憧れすら感じてしまったものである。

 実は「夜明けのコーヒーふたりで」と作詞した岩谷時子は、このセリフを、越路吹雪から聞いていたのだった。海外公演の折、越路がフランス人の俳優に口説かれていることも知らず、帰国の準備があるからと断った、というエピソードである。それが「男と女が一夜を共にする」の暗喩であったことを越路は後になって知ったという。そのエピソードを聞いて、さすがフランス男だ、と妙に納得した覚えがあるが、越路のマネージャーをしていた岩谷の瑞々しい感性が、このセリフを蘇らせたことにも納得したことであった。

 ボサノヴァのリズムにはじめて触れたのは、アルバイト先のスナックのオーナーが暇を見つけては「SERGIO MENDES BRASIL’66 MAIS QUE NADA(セルジオ・メンデス・ブラジル‘66 マシュ・ケ・ナダ)」のLP盤を大事そうに店内に持ち込んで聴いていたからだった。モダンジャズを聴いていた高校生が、ラテン音楽に触れ、セルジオ・メンデスでボサノヴァを知った。この名盤のジャケットがそのままCDになっていて、数年前に手に入れたが、今でも時々聴いてはひとり悦に入っている。1960年代半ばから世界的に大ヒットしたボサロック曲「マシュ・ケ・ナダ」の〝ノリ〟が好きだった。他にもビートルズの「デイ・トリッパー」や「フール・オン・ザ・ヒル」をボサノヴァ風にアレンジし、「ナイト・アンド・デイ」など聴きなれたポピュラー曲のカヴァーが収録されているから、オーナーが口ずさむのと合わせるように歌っていた。スナックの常連客の中にもこのアルバムをリクエストする人が結構いた。一人ひとりの思い出をここで書くつもりはないが、著名なグラフィックデザイナーや小説家の女性など個性的な大人がひとり佇む店だった。「恋の季節」の和製ボサノヴァ・グループが登場するわずか1年前のことである。

 さて、セルジオ・メンデスがBRAZIL‘66で世界にボサノヴァを広げたように、ピンキーとキラーズの「恋の季節」も空前の大ヒット曲となる。必ず紹介文には、「オリコン17週間連続第1位 歴代最高記録を樹立」と。デビュー盤のライナーノーツには、「セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ」と記され、ダブルミリオンセラーを記録、売り上げは270万枚といわれている。「第10回日本レコード大賞最優秀新人賞」を受賞(グループ部門)。大賞は黛ジュン「天使の誘惑」。1968年の第19回NHK紅白歌合戦では、紅組から男女混成グループとして初出場を果たしたが、白組対戦相手は、ジャッキー吉川とブルーコメッツが「草原の輝き」を歌唱するグループ対決だった。早くも翌年2月、同名映画(松竹系)が、主演・奈美悦子、ピンキーとキラーズの5人も揃って出演し公開された。さらにこの年、「涙の季節」をリリースし、オリコン第1位を獲得している。続く「七色のしあわせ」が4位、「星空のロマンス」が10位とオリコンでの記録を残したものの、やがてベストテンからは遠ざかっていった。

 デビュー直後から人気絶頂の嵐のような4年を経て、今陽子は二十歳になった。後年、グループ脱退について今は、「みんなは、もう家庭を持っていて、攻撃したいと思っていた。要するに子供だったのです」とインタビューで語っている。また自省を込めて、「私は天狗になっていた」(2018年11月21日放送の『徹子の部屋』で「恋の季節」から50年)とも。しかし、恩師で作曲家のいずみたくは、グループ発足時点にキラーズの男性陣には、彼女が二十歳になったら、売れていても売れていなくてもソロで活動させる、と告げていたという。知ってか知らずか、後になっても今は、「自分の努力不足」と殊勝にも語っているが、ピンキーとキラーズ後のソロ活動は歌手としてはもちろん女優としてもドラマ、舞台で活躍することになった。

 音楽好きの両親のもとで、子供のころから洋楽を聴き育った今陽子(本名:今津陽子)。バーブラ・ストライサンド、ライザ・ミネリ、べット・ミドラーなどを好んで聴いていたという。やがて作曲家いずみたくとの縁ができ、ピンキーとキラーズ以前のソロ時代には、いずみたくが依頼されたCMソングをこなしていて、その数40本は下らなかった。三共のルル、ハウス食品のバーモントカレー、雪印の冷凍食品、ナショナルの家電製品など、当時のCMが今陽子の歌声とともによみがえってきそうだ。「背の高い女性歌手は売れにくい」というジンクスがあったが、1967年「甘ったれたいの」でビクターからレコードデビュー。同じような長身の山本リンダの「こまっちゃうナ」(1966)のぶりっ子風アイドル路線で後を追ったが、失敗。さらに同じ事務所で仲が良かった佐良直美の「世界は二人のために」の大ヒットを横目に、強い挫折感を味わったという。時系列を元にもどすと、いずみたくが構想していた「セルジオ・メンデスのようなボサノヴァ・グループをつくりたい」という中心に、すでに今陽子はラインナップされていたのかもしれない。ビクターからキングレコードに移籍した今陽子、ドラムと三人のギター&ヴォーカルの男性陣がいずみの下にはせ参じた。驚くべきはそれぞれ一人で活動していたミュージシャンたちの即製のバンドだったことである。当時、アメリカで流行っていた男女混合バンド「スパンキー&アワ・ギャング」を文字って、「ピンキーとキラーズ」といずみたくが命名したという。

 世界的に流行っていたボサノヴァ・ブームをいち早く感じ取っていたいずみたく、名セリフを残した岩谷時子、「単調で難しいし、歌謡曲っぽい」と好きではなかったと告白した楽曲を歌いこなした今陽子の歌唱力と声量、バックコーラス&演奏の粋で洒落た貴族野郎(ジャケットの言葉)たち、昭和の歌謡界を風靡した〝ピンキラ〟に、ボクは夏が来ると想いを馳せるのである。

文=村澤次郎 イラスト=山﨑杉夫

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