【ADHDと中学受験のリアル】算数得意・国語苦手な息子に合う塾は?「マンツーマン塾・小規模塾」併用で全勝できた理由【読者体験談】
監修:藤井明子
小児科専門医 /小児神経専門医/てんかん専門医/どんぐり発達クリニック院長
算数は得意、国語は苦手。息子に合う学び方を探して
特性に合わせた中学受験の塾選びのポイント「鉛筆の持ち方」や「落ち着きのなさ」で否定されない、子どもを受け入れる環境の重要性集団塾が合わない場合に検討したい、マンツーマン指導や小規模塾のメリット経済的な負担を考慮した、高額な個別指導と安価な塾の上手な併用・切り替え術
息子は算数が大好きで得意な一方、国語はまったく歯が立ちませんでした。ものの仕組みに興味をもち、工作も大好き。オールマイティにどの教科もこなすタイプではなく、好きなことには集中するけれど、興味のないことにはまったく手が進まない――そんな様子を見て
「息子に合った学び方ができる学校に進学するのもいいかもしれない」そう思い立ち、小学4年の秋、中学受験を考え始めたのです。
初めての塾選び。熱血指導に圧倒されて
母である私は高校まで公立、息子は第一子ということもあり、中学受験の世界は初めて。まずは最寄り駅近くの塾をいくつか見学しました。最初に体験したのは熱血系の塾。体験授業のあと、塾長先生から言われた言葉を今も覚えています。
「まずは鉛筆の持ち方から指導します。このままでは受験で不利になりますよ」
息子は不器用さがあり、独特な鉛筆の持ち方をしていました。ですがその持ち方では、時もうまくかけず、スピーディに書くこともできないというのです。私は、受験にそこまでのスピード感や字のきれいさが求められるのかと驚きました。体験授業を受けた息子には、入塾したいかを確認したのですが、熱い雰囲気が合わなかったようで、通いたいとは言いませんでした。
少人数制の塾へ。でも「本当にここで大丈夫?」と不安に
次に選んだのは、少人数制をうたう中学受験塾。
「人数が少なければ集中できるかも」と思い通い始めましたが、息子のモチベーションはなかなか上がりません。模試の成績も伸びず、「このまま受験に向えるのだろうか」私の不安は募っていきました。ある日、早退する息子を迎えに行った時のことです。授業の様子を見ていると、生徒に課題を出している間に塾長は別室で営業対応を行っていました。塾長が教室から離れると息子の集中も切れてしまいます。「ほかの塾を探したほうがいいかもしれない」一度入塾したので、退塾を言い出すのは気が重かったのですが、意を決して新しい塾を探すことにしました。
初めて“集中できた”マンツーマン塾との出会い
次に選んだのは、プロ講師が1対1で教えるマンツーマン塾。授業料は高額でしたが、息子は初めて集中して勉強に取り組むことができました。
先生を心から慕い、まるで生まれたてのひよこが親鳥を見るかのよう。授業後、「息子さんはだんだん椅子からずり落ちていくんですよ」と報告を受けたときは「ほんとにすいません!」と態度の悪さに冷や汗をかきましたが、穏やかに見守ってくれる姿に救われました。息子自身、少しずつ「勉強って楽しい」という気持ちが芽生え、真剣に向き合い始めるようすが見られました。
息子をまるごと受け入れてくれた小規模塾
とはいえ、マンツーマン塾は高額で、わが家の家計では、毎日通うことは不可能。そんなときにみつけたのが、当時はまだチェーン展開もしていなかった小規模塾です。その塾の先生たちは大学時代の仲間同士で立ち上げたそうで、「教えるのが好き」という情熱が伝わる雰囲気がありました。
入塾後の面談では、「息子さん元気が良くて。この間は窓から落ちそうになったの止めましたよ」「消しゴムを飛ばして遊んでます」などと笑いながら話してくれ、私はここでもまた冷や汗をかいたものです。
授業はテンポよく、アイスブレイクなども交えて子どもたちを夢中にさせる工夫がされているようで、息子が塾の授業が楽しいとよく話していました。さらに、宿題は最低限。人気の塾だったので入塾希望者が絶えず、そのため先生方も営業活動は行わない方針で、100%子どもたちに向き合っていました。
ただ、保護者対応も最低限という方針だったので、保護者が先生とお話しできるのは数か月に一度の面談の時だけでした。
経済的な壁で、マンツーマン塾を退塾
小学5年生の冬、集団塾の翌年度の塾代が年間100万円を超えることがわかり、マンツーマン塾分まで塾代を払うことが難しくなり、一か所に絞る必要がでてきました。心細さを感じながらも一度退塾することに。
それでも、受験直前の12月からは単発でマンツーマン塾も併用し、信頼できる先生方に支えられながら、最後の追い込みをしました。これはどちらかというと、母である私の心の安定の側面も大きかったかもしれません。心細さを一人で抱えきれなくなったのです。
息子にとって、塾は“第三の居場所”だった
結果的に、息子はチャレンジ校を含め全勝。第一志望の大学附属中学に進学し、そのまま内部進学で大学の工学部へ進学しました。
息子は大学入学時には塾の仲間と恩師のもとを訪れ、「今度は就職内定の報告に行きたい」と話しています。受験勉強の場ではありましたが、30歳前後の若い先生方と、クラスメートの男の子たちとわいわい過ごしたあの塾は、息子にとっては家でも学校でもない第三の居場所になっていたのかもしれないなと思います。息子を理解し、受け止めてくれた先生たちに、今でも心から感謝しています。
イラスト/プクティ
エピソード参考/きき
(監修:藤井先生より)
数ある塾の中から息子さんに合った環境を丁寧に探し出されましたね。「先生を信頼できること」「無理をさせすぎないこと」「ありのままを受け入れてもらえること」を基準にされたことが、良い結果につながったのだと思いました。家族以外の大人に信頼を寄せられる先生との出会いは、お子さんにとって大きな財産になりますし、お母さまご自身の心の安定にもつながったのではないでしょうか。中学受験塾に限らず、学習のサポートをどう選ぶか悩むご家庭は多いですが、お子さんに合った環境を見つけられたことが何より素晴らしいと感じました。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。