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上野万太郎の「この人がいるからここに行く」 若い店主たちがこぞって入居する昭和アパート「あさだ荘」はどうしていままで生き続けることが出来たのか

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福岡市南区大楠の昭和レトロアパート

福岡市南区大楠の住宅街に築60年になる2階建てのアパートがある。中庭のような空き地を囲んで廊下がぐるりと一周しているいわゆる回廊形状の建物だ。中庭に立って声を出すと四方の建物に反響してまるで劇場のステージに立っているような臨場感がある素敵な空間なのだ。それが今回の話の舞台となる「あさだ荘」だ。

飲食店を中心に美容室や雑貨店、さらにはアーティストなども入居している「あさだ荘」。特に個性的な飲食店が多く営業しており、過去にもここから多くの店が巣立って行った。僕が12年前に最初に来たのは2階にある「クリコット」というカフェに行くためだったと思う。他には頻繁に通ったカレーと定食のカフェ「かもめ食堂」があった。「かもめ食堂」は現在中央区高砂で「千酒万菜うちだ産業」という店名でスパイス酒場として営業している。さらに清川に移転した後に僕も大好きになった日本料理「さく間」も入居していた。

現在では、美容室「おぐしなおし なおるなおり」、焼き菓子のカフェ「クリコット」、定食が大人気の「EIYO」、鹿児島豚を使ったイタリアンレストラン「Agora」、アジア料理「トゥックワン」、ミールスを提供している「こなきカレー」、スコーンとジャムの店「SUNDAY」、自家焙煎珈琲とおやつの店「za tembo」など15店舗ほどが営業している。その中には美容室や手作り雑貨の店や事務所などもある。

そんな昭和スタイルの木造アパートである「あさだ荘」がなぜ築60年経っても活気のある場所として長年いられるのだろうか、そしてなぜ若い飲食店店主などがこぞって入居したがるのか、きっとそこには「あさだ荘」の魅力につながる秘密があるに違いない。僕はずっとそう思っていた。

「あさだ荘」オーナーであるアサダさんとの出会い

オーナーのお名前は“アサダさん”ということだけは何年も前から聞いていた。そのアサダさんと、先日ある飲食店で偶然お会いして挨拶を交わす機会があった。ずいぶん前からお互いのことを知っていたが会うのは初めてだった。

「万太郎さん、いつも『あさだ荘』のお店に来てもらってありがとうございます!」と声をかけていただいたのだが、その時の優しい目の笑顔が僕には親しみ深く感じた。せっかく知り合えたので、かねてより僕の中にあった「あさだ荘」の秘密を解明したくなり、後日連絡をして「muto」の取材を申し込んだのだ。

そもそもあさだ荘は普通のアパートだった

あらためて日を変えてお会いしたアサダさんはカジュアルな服装をしたオシャレで気さくな方だった。今年69歳というから僕より7歳年上だが、まったくそうは見えず若々しい。

今回の取材の趣旨を改めて説明させてもらうと、アサダさんは「なるほど」とうなずき、子供だった頃のことからテンポよく話をしてくれた。

「僕が小学生の頃に『あさだ荘』ができたのですが、いわゆる家族向けの賃貸アパートでした。回廊形状の建築物ということで業界では注目されて賞をもらったりもしましたが、あくまでも一般の人が普通に生活されていましたね」

「当時は近隣にたくさん銭湯が営業していたので風呂がなかったんですよ」と話はどんどんと続く。風呂無しのアパートで銭湯に通う、まさに昭和の時代の話だ。懐かしい。

「その代わり、親子2世帯が一緒に住むことが想定されており、玄関から入ると右と左に部屋が分かれていました。その辺は先進的だったかもしれません」
時代の流れと共に銭湯が廃業していく中、風呂がないことには入居者も困るので、ベランダに部屋を作って風呂場を増設したそうだ。その面影は今も一部残っている。

今ではほとんどのお店が事業用として入居しているが、当時は完全なる家族向けの賃貸アパートだったのだ。それがどうして現在のようなスタイルになったのか、実はアサダさんの若かりし頃の経験が今の「あさだ荘」の経営方針に大きく影響を与えているそうなのだ。

ということでアサダさんの話は、若い頃の経験に進んでいく。
さてどんな経験なのか、ここからが面白い。

音楽業界にいたアサダさんの青年期

アサダさんは、福岡の大学院生だった頃、大の音楽好きで当時まだメジャーデビューする前の地元のロックバンド「THE MODS」のマネージャーをしていたそうだ。後に映画「狂い咲きサンダーロード」のサウンドトラックや「激しい雨が」が大ヒットして一躍脚光を浴びることになるグループだ。

「THE MODS」がエピックソニーからメジャーデビューしたことにより音楽業界での仕事が忙しくなったアサダさんは大学院を辞めバンドと一緒に東京に進出することになる。
その後「THE MODS」のマネージメントをしながら同じくエピックソニー所属のロックバンド「一風堂」も担当することになった。土屋昌巳氏がリードボーカルを務め、あの「すみれ September Love」などの大ヒット曲を出したバンドだ。
え???話がどんどんとんでもない方向へ行ってるぞ。アパートのオーナーの話じゃなかったっけ?とか思いながら僕は話を聞き続けた。

そのうちにアサダさんは、ヴァージンレコードとの仕事のためロンドンへ行くようになり、カルチャークラブやデュランデュランなどと出会ったという。

その中で音楽関係者と仕事した時のことだ。打ち合わせということで、とんでもないスラム街に案内され、古い大きな廃墟のようなビルへ連れていかれた。エレベータに乗せられ階上へと向かう中で「おれ、このまま殺されるのではないか」と思ったそうだ。そして最上階に着いてみてびっくり。そこは近代的にリノベーションされたゴージャスで夢のような空間だったのだ。
ボロボロの街、ボロボロのビル、そんな地区に芸術や文化に傾倒したクリエイティブな若者たちが集まって仕事をしたり情報や作品を発信していたのだ。後で知ったがそれはロンドンでは当たり前のことらしい。若きアサダさんの記憶の中に大きなショックとして刻み込まれたという。

銀行の無作法

その後も東京での仕事は続いた。「商業ビルや都市開発に携わっている人と話をした時に、『銀行は無作法である』という話を聞いたんですよ。銀行は本来、企業に融資をして支援するのが仕事であるのに、どこの街に行っても地元の一等地に銀行があるのはおかしくないか?と言われて、すごく共感したんです。それがずっと頭に残っているんですよ」
さらに、「これからの時代、街を支えるのは若者であり、若者にとって大事なものは、一等地にこだわらず『界隈と路地の開発』をしてあげることだと考えるようになったんです。界隈と路地で若者たちがクリエイティブな活動を出来ることが次の時代の街を作る!! ずっとそう考えてきました」とアサダさんは語ってくれた。

いよいよ福岡へ戻ることに

「30歳過ぎまで東京で音楽業界の仕事をしていたのですが、親の介護のために福岡に戻ることになりました。それでもCM仕事の契約やライブやコンサートの予定もあったので、戻ると決めて実際に福岡に戻れたのは1年後でしたね」とアサダさん。

そして福岡に戻ったアサダさん。もう35年以上前の話だ。
「戻ってくると『あさだ荘』をどうするかという問題に直面しました。周囲の人からは建て替えをすすめられましたね。でも銀行から融資を受けてまた何十年も返済を気にしながら銀行に気を使うのも嫌だったので建て替えることはしないと決めました」

「せめて窓だけでもアルミサッシに変えようと思ったのですが、たまたま知り合った大橋の古道具屋さんが『これは素晴らしい!!まるでサザエさんのアパートじゃないですか!!アルミサッシとかに変えたらいかん。もったいない!!』と言われたんですよね」
アサダさんは、「そうなんだ~、なるほど」と思って、生活に不備のないような修理だけして、それ以来現在まで木枠の窓がずっと残っているのだそうだ。

京都の「あじき路地」

京都東山区に古い町家長屋をリノベーションして創作活動をする若者たちを応援している「あじき路地」地区がある。アサダさんはそこで話も聞いたそうだ。
古い建物が壁一枚隔てて区切られているような生活空間は、隣の生活音が聞こえてプライバシーがないと思うのが普通の感覚だと思う。しかし、それに慣れて生活を続けていると、逆に隣から音が聞こえなくなると心配になるらしい。隣近所と一緒に生活をしているような昭和の時代には当たり前だったそんなコミュニティーが現代にもあって良いのではないか。そんな想いにアサダさんも共感したらしい。

不動産の不条理

原状復帰というのが不動産の常識にある。賃借人が退去する時には、部屋は元通りに戻して返しましょうというものだ。しかしアサダさんはこの原状復帰は不動産の不条理だと考えているそうだ。「あさだ荘」では、賃貸契約条項の中に、原状復帰の義務は盛り込まれていないという。

アサダさんは、「住んでいる人が自分の好みで暮らしたい部屋にどんどんリノベーションしてもらって良いと思うんですよね。但し、アパートが壊れるのはやめてねとだけは付け加えてますが」という。このことを言いだした時には管理している不動産業者に怒られたそうだ。一般的にはもちろんその不動産業者の言い分が常識だろう。しかし「あさだ荘」ではその非常識が常識となっているのだ。

独特な「あさだ荘」ルール

他にもアサダさんは、「あさだ荘」の入居者に対して自分なりの決まりを作っている。

1.芸術的・文化的な発信をする若者たちを応援するために入居を受け付けるのは基本的に三十代以下の若い世代に限る。
2.維持管理のための修理はするが近代的な改築はしない。
3.若い世代に貸したいので家賃は出来るだけ安く維持する。
4.入居している店の営業時間は自由で制限はしない。(実際は各店主さんたちが周りに気を使いながら自主的に深夜営業をしないとか騒がしい営業をしないとか、調整して問題が起こらないようにしてくれているそうだ。)
5.構造的に強度低下に影響を与えるような躯体部分への改築は禁止。その他の改装は賃借人の自由とし、退去時に現状復帰する必要はない。

通常の賃貸契約と比較するとどれだけぶっ飛んだルールなのかが不動産に詳しくない方でもお分かりいただけるだろう。

まとめ

つまり、今の「あさだ荘」が生き続けているのは、アサダさんの20代から30代のとんでもない文化的な体験から生まれて来たものだった。

ロンドンで見た廃墟ビルをリノベーションして若者たちが街を作り変えている姿、「界隈と路地の開発」が重要という話、銀行の無作法、サザエさんのアパートのすばらしさ、京都あじき路地の事例、原状復帰という不動産の不条理。
それらのすべてがアサダさんというフィルターを通して具現化され現存できているのが「あさだ荘」なのだ。そこに僕が求める答えがあった。

それにしても「あさだ荘」の歴史とその魅力の裏にはこんな背景とアサダさんの想いがあったとは、話は直接会って聞いてみるものだ。

「あさだ荘」には現在も多くの入居希望の若者が順番待ちをしているそうだ。ここで事業を始めて巣立って行ったたくさんの人が、大きく羽ばたいて福岡や世界で今も活躍している事例を知っている。彼らにとって「あさだ荘」は実家のようであり、アサダさんはお父さんのような存在だったのではなかろうかと思う。

アサダさんは最後に「いや~、ずぼらでほったらかしの大家なだけですよ」と照れながら笑ってみせた。
「いやいや、何をおっしゃいます、絶対違いますよ」と僕は確信を持って否定させてもらった。「素晴らしいです」、本音である。

最後に、アサダさんは福岡に帰って来られて以来ずっと医療にかかわる仕事もされており、音楽や不動産業として表に出ることなく過ごされている。そのため今回は、お名前を「アサダさん」と表記し、お顔などの姿も伏せさせていただいております。ご理解の程よろしくお願いします。

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