「大好物は炎上です」ただのネットの野次馬だった私の人生を変えた出会いと別れ
「こんにちは。お久しぶりです」
と、3年ぶりに友人から連絡が届いた。
その友人は、私の人生にちょっとしたきっかけをくれた人だ。そのきっかけがなければ、私は書くことを続けていなかっただろう。結果的に、彼女のおかげで私の人生は大きく変わったのだ。
彼女は、かつて「名もなきライター」を名乗り、ウェブライターとしての仕事や私生活の様子を赤裸々にブログに綴り、人気を博していた。
OLとして働いていた時代に精神的に追い詰められ、統合失調症を発症したそうだ。やむなく無職となった頃、同じく働きすぎて心身に不調をきたしたパートナーと知り合った。
彼の支えを得て「家の外に出なくてもできる仕事」としてクラウドワークスやランサーズでライター業を始めたそうだ。
最初は、いわゆる1円ライター(1文字1円)からの出発だったという。けれど、彼女は朝から晩までひたすら書き続け、低単価の案件でも量をこなして信頼を積み重ね、やがて単価を上げ、まとまった収入を得るまでになっていった。
生活と病気の管理、仕事の選別は、彼女のパートナーが担っていた。彼女の服薬や生活リズムを見張り、時には力づくで入院させることもしばしばあったようだ。
今の時代の感覚から考えると、彼女のパートナーは少々強権的に見えてしまうが、彼女は「私は病気のせいで自己管理ができない。だからこのくらいしてくれる彼氏はありがたい」と言っていた。
他人からどう見えようと、本人たちが自分たちの関係に納得し、幸せであるなら他人が何をか言わんやである。
私が「名もなきライター」さんを知ったのは、リアルの友人からの勧めだ。「この人のブログが最高に面白い」と教えてもらい、彼女のTwitterとブログをフォローした。
その頃の「名もなきライター」さんは、インターネットが大好きで、Twitterに常駐しており、炎上を観察して楽しむネットウォッチャーだった。
当時は、プロブロガー(当時)のイケダハヤト氏やはあちゅうさんが炎上芸人として有名で、彼らがネット空間にしょっちゅうどでかい火柱を立てていた。彼らについての考察記事などを書くことで、「名もなきライター」さんのブログもバズっていたのだ。
私もこの頃ブログを書いていて、イケダハヤト氏についての記事を出してバズることがあった。そこで「名もなきライター」さんからも存在を認識してもらえ、やがて相互フォローとなり、DMでやり取りするようになったのだ。私は彼女を「名もさん」と呼んだ。
当時の私と名もさんの共通点は、火事場の野次馬であったことだ。ネットのどこかで炎上が起きるたび、「ユキさ〜ん!」とDMが飛んでくる。下世話な趣味だが、二人で大いに盛り上がっていた。
けれど、やがてそうした関係も少しずつ変化していく。名もさんは「稼げるライター」として知られ、フォロワーも多かった。
世の中にウェブライターは大量にいるけれど、稼げる人は少ない。その中で、根性で記事を量産し続けられる彼女は稀有な存在だったのだ。
しかし、名もさんにとってライター業は、あくまで社会復帰の足がかりにすぎなかった。彼女は「稼ぐライター」として実力をつけると「使われる立場ではなく使う立場に」と言い始め、企業に営業して案件を受け、ライターを束ねる側へとジョブシフトしていった。
対面での営業活動は主に押し出しの強いパートナーが担い、二人三脚で事業を広げていたが、それは名もさんの心身にも良い影響をもたらすことになった。
ライター時代は引きこもり生活だったのが、営業活動で外出の機会も増えていくと、以前よりも心身の状態が安定するようになったのだ。
リアルで人と会うようになり、関わり、実績を積んでいく。生活が健全化し、仕事が波に乗るにつれて、自然と自信もついてくる。
その自信が、何よりの薬になったのではないだろうか。
家にいて書きものだけをしている生活から卒業すると、彼女はネットの火事場見物にもすっかり興味を失ったようで、「ユキさ〜ん!」とDMが飛んでくることは無くなった。
人気を博していたブログも書く時間がなくなったのか、あるいは興味をなくしたのか、その両方かの理由で、あっさり閉めてしまった。
一方の私も、子育てが一段落すると勤めに出て忙しくなり、ネットのバカ騒ぎを熱心に眺めることはしなくなった。
それは私たち個人の生活や状況の変化と同時に、時代の変化でもあったのだと思う。
私と「名も」さんが楽しく観察していた炎上ブロガーたちは、やがて自滅して世間に相手にされなくなった。
彼らがインフルエンサーとして色褪せていくと同時に、「脱社畜」「ブログで稼ぐ」「好きなことで生きていく」という言葉に引っかかり、ネットにネタを提供していたバカな若者たちも目立たなくなっていったのだ。
そして、「ブログ」という媒体そのものが影響力を失っていった。活字から写真へ、そして写真から動画へと、SNSの流行も移ろったのである。
ライターを卒業し、ネットとも距離をおくようになった彼女は、ネットで人気者だった以前よりも充実し、幸せそうだった。
彼女は内向的な自分と正反対のタイプであるパートナーに惚れ抜いており、やがて二人は結婚したのだが、入籍した時の名もさんの喜びようは、まるで長い片思いが実った少女のようだった。
ただ、家庭を手に入れて幸せの絶頂だった彼女は、それで満足しなかった。「夫ともども実業家にならなければ」と、さらに高い目標を掲げ、実家の事業を引き継ぎ、並行して多方面で挑戦を始める。その頃には、私たちはもう炎上の話題で盛り上がることはなくなっていた。
最後に頻繁にやりとりをしたのは、彼女の夫がコロナに感染し、生死の境を彷徨ったときだ。
いてもたってもいられなかったのだろう。私は不安な彼女を励まし続けた。
やがて、彼女の夫は九死に一生を得て、無事に彼女の元へ戻った。すっかり体は弱ったものの、夫婦の絆は一層強くなったようだ。そして、それを境に、名もさんはTwitter上でほとんど発信をしなくなった。
どっぷりネットに浸かっていた頃から、彼女はよくこう言っていた。「本当のリア充はSNSをやらない。承認欲求をネットで満たす必要がないから。うちの社長(夫)が良い例」だと。そうした考えから、彼女自身もまた、SNSから距離を取ったのかもしれない。
リアルでは接点を持たなかった私たちは、彼女がネットに姿を見せなくなると、なんとなく疎遠になり、そのまま連絡を取らなくなって3年が経過した。
そんな彼女から、先月とつぜん
「お久しぶりです。お元気ですか?」
とDMが届いたのだ。
聞けば、これまでがむしゃらに取り組んできた事業がようやく軌道に乗り、悠々自適の生活が見えてきたそうだ。そして、「このアカウントを卒業することにしました」と。
「これまで本当に色々ありがとうございました。どうかお元気で! 私もどこかで元気にやっていきます!」
それは別れの挨拶だった。
彼女と私の縁は、これを最後に切れてしまうのだ。
少し寂しくはあるけれど、私は彼女のために喜びたい。だって、彼女は夢を叶えたのだから。
「パートナーと幸せに暮らしたい」「経済的な自由を手に入れたい」「這い上がって幸せを掴みたい」と、語っていた通りになったのだ。
「こちらこそありがとうございました。名もさんがチャンスをくれたことで、様々な出会いに繋がりました」
と、私も最後の挨拶を返した。
ブログを書いていた私に「ユキさんもライターになればいい」と勧めてくれたのも、書ける媒体と編集者を紹介してくれたのも彼女なのだ。名もさんがくれたチャンスは、私の人生を変えてくれた。
10年そこそこの時間で、私たちの人生も、時代も、すっかり変わった。名もさんは鮮やかに次の道へと進み、私はまだこうして書き続けている。
しかし、AIの台頭で個人ブログや中小メディアはPVを失っており、先は見えない。それでも、私は書くことでしか表現できないので、これからもコツコツ文章を積み上げていくつもりだ。
「これからもぜひ頑張ってください。遠くから応援しています」
それが、名もさんからの最後の言葉だった。やりとりは終わっても、彼女が私にくれたものは、これからも私の人生を支えていくだろう。
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【著者プロフィール】
マダムユキ
note作家&ライター。
「Flat 9 〜マダムユキの部屋」
Twitter:@flat9_yuki
Photo by :Anisa Gauri