取り戻したものと、変わらずにいてくれたもの、2つのリジェネレーション
<前回の話|岡村靖幸さんのスタンスと、リジェネラティブなジレンマ>
地域には、変わらないで待ってくれているものもある
今度、国土交通省が関係人口にもかかる形で2拠点生活(二地域居住)者をサポートする法律を施行します。ゆくゆくは2拠点生活者に対する優遇制度も設けられる可能性はあるのですが、ひとまずは省庁それぞれで行っている2拠点生活者のサポートの連携や整理みたいなことも含めて国が法制化しました。国が法律をつくるというのは相当なことだと思います。人口が減っている地域をどうサポートしていくかの1つの方法として、都市生活者の人たちをはじめとした2拠点生活者を増やしていきたいという思いもあるのでしょう。僕は今、2拠点生活をしていますが、以前トークセッションで2拠点生活に関して、国交省の法制化の担当をされた倉石誠司さんと石山アンジュさんとお話をさせてもらいました。石山さんは大分県豊後大野市と東京の渋谷区との2拠点生活をされていて、2拠点生活のリーディングパーソンというのか、一般社団法人『シェアリングエコノミー協会』の代表理事も務めておられます。
2拠点生活というと、都市に住んでいて中山間地域にもう一つの拠点を持つといった生活や仕事のスタイルを思い浮かべる方が多いですが、それは2拠点目の場所を意識的に想定し、そこでの暮らしを考えた場合の組み合わせだと思います。僕の場合は息子のこと、家族の意向みたいなところで、「教育移住」をテーマに東京と兵庫県神戸市の2拠点生活を始めました。日本で1番人口が多いところと7番目に多いところなので、生活が極端に変わるわけではない2拠点生活を続けています。「都市とローカル」の2拠点生活とは違う形ですが、3年目に入って、2拠点生活を始めてよかったなと思うことはたくさんあります。
1つは、東京と新大阪・新神戸の往復が自分の中ではデフォルトになってきたので、その距離や時間が遠いとは思わなくなりました。日帰りの出張でも片道5時間、往復で10時間みたいな移動時間はよくあるので、3時間くらいの移動は自分の中では負担でもなく、当たり前のものとして溶け込んできたというのが3年目の変化です。東京も、名古屋も、大阪も、神戸も、自分の生活圏の大きな円の中にある感覚。ゴールデンウィークの東海道新幹線は、山手線並みのダイヤで次から次へとホームに来るわけですよ。3分に1回、「のぞみ」が信じられないようなスピード感で来るのを考えると、山手線に近い感覚で僕は新幹線に乗っているんじゃないかなと思っています。
もしリニアモーターカーがごく一般的な存在になったとすると、もっと僕たちの生活圏や文化圏は1つにまとまるんじゃないでしょうか。東京から名古屋まで、たぶん30~40分とかですよね。すると、今感じている東京―神戸間の移動を「そんな長い距離、無理だよ」と思ってる皆さんが、将来的には「普通だよ」と感じるようになる。東京と神戸、あるいは大阪が、今の心理的な距離感ではない、もっと近い関係になるんだろうなと。江戸時代ならアメリカに行くなんて信じられないくらいチャレンジングなことだったのが、今は飛行機に乗って、みんなが楽しく行けるようになったのと同じで、関係がどんどん近くなる。移動にかかるお金の件はとりあえず置いておいて、東京から神戸、大阪のへ移動感覚は23区内の移動とまでは言いませんが、かなり近くなるでしょう。今の関東、高崎や宇都宮なんかと同じぐらいの距離感になるんじゃないのかな。
東京から神戸に家族で移り住んで、僕がホクホク、ワクワクしたのは、徳島まで1時間30分で行けるということです。車で明石海峡大橋を渡って淡路島を通れば、1時間30分で鳴門市に着きます。僕は旧・吉野川とか吉野川が好きで、なんで好きかというと、徳島はNPOの先進地なんです。どうしてNPOの先進地になったかというと、吉野川の第十堰の可動堰化の反対運動で市民が勝った、市民が自分たちの総意のもとで計画を止めたという歴史があるからです。それもあって、今も市民活動が盛んな地域です。僕は徳島の皆さんと縁が深くて、徳島大学や徳島新聞さんから講演の依頼をいただくこともあるので、東京から行くときは、今とは違うワクワクでした。「久々に徳島に行けるな」みたいな。今は、神戸で土日を過ごしている時には日帰りで行けるので、「なんて夢のような場所なんだ」みたいなワクワクなのです。この前も、家族でゴールデンウィークに、そんな遠くに行く時間も余裕もないから、1泊2日で近場に行こうかってなった時、徳島から香川を回って瀬戸大橋で岡山へ渡って神戸へ戻るという周遊コースで旅行しました。
徳島では、旧・吉野川で淡水魚釣りを楽しみました。カワムツとか。今、共同通信の連載で「『お父』と息子の釣り物語」という連載を12回書かせてもらって、それが日本各地の地方新聞で掲載されている最中なんですけど、その中の一編で、ある夏の日に徳島の旧・吉野川の下流で家族3人で釣りをしていたら、後ろからコウノトリがスーっと降りてきたっていう文章を書いたんです。このコウノトリは元々、兵庫県豊岡市にいた個体が飛んできて、もうたぶん2代目か3代目かになっているんですが、徳島の人たちもコウノトリをすごく大事にしていて、コウノトリの営巣しているところもあって、しっかりと代々根付いているんですね。僕にとっては家族で全然知らない神戸に引っ越してきて、心細い気持ちもまだあるタイミングで、気分転換で徳島に来て3人で釣りをしていたらコウノトリが降りてきたのを見て、「君たちも移住してきたんだ」っていう気持ちになりました。いくつか代を重ねていることに勇気づけられて、そういう意味でも徳島の旧・吉野川エリアは、僕にとってはすごく大好きな場所なんです。
実はコウノトリも「リジェネレーション」なんですよね。一度絶えてしまったけれども、豊岡市があれだけの大きな鳥をしっかりと守るっていうのかな。たとえば、コウノトリは田んぼで大きなカエルやフナをたくさん食べるから、そういった生き物がちゃんと生きられる環境を整備しています。動物園みたいにバリアがあるわけじゃないですから、どこかへ飛んでいってしまうことも覚悟しながら、豊岡はコウノトリを増やしていったんです。結果的にそれが、福井にもいるとか、今は佐賀の白石とか茨城の神栖の方にもいますよね。「それは、うちのコウノトリだぞ」みたいなことを豊岡市は一切言いません。僕はリジェネレーションっていうのは「再生」という言葉に訳されるけど、再生したことを自慢することが「リジェネラティブ」じゃなくて、全体として「なんか良くなってきてるよね」ということを共感覚で持てるような行為であってほしいなと願っています。そういう意味ではコウノトリも「リジェネラティブ」の1つの象徴かな。「リジェネラティブ」っていう言葉がいいなと思っている時に、答え合わせのように僕の日常生活の中でコウノトリが現れたり、相双地域との仕事があったり、そういうリジェネラティブ感みたいなものがシンクロニシティ、ポリスの歌じゃないですけど、そういう感覚で今あるなって感じです。
神戸から明石海峡大橋を渡って、淡路島を走り過ぎて旧・吉野川でコウノトリに出会って、僕は幸せいっぱいでした。泊まったのが香川県の塩江温泉という、ギラギラの温泉街じゃなくて、古い温泉街っぽい雰囲気が残っているところなんですけど、そこにあるアットホームな宿に泊まりました。缶酎ハイを買おうと温泉街を歩いていたら、ただならぬ気配の建物が目に飛び込んできました。「なんだろう」と近づいたら、「塩江スーパーバザール」っていう地元のスーパーらしき建物でした。道の駅「しおのえ」の斜め前にあって、一見したところスーパーだとわからなくて、でも建物の壁に「塩江ス□□□バザール」という文字がいくつか取れた看板があったから、これはスーパーだろうと推測して近寄ってみたら、1階がいわゆるスーパーで、半2階みたいなスペースがお母さまたちの洋品店になっていて、「春秋物を扱ってます」みたいな感じ。僕は静岡県の「地域のお店」デザイン表彰の審査委員長を9年間やっているんですけど、塩江スーパーバザールの構成が受賞に値するような素晴らしいお店だと思いながら中に入ると、子どもたちからご年配の方々まで、4世代くらいがわーわーきゃーきゃー話をしていて、そこで缶酎ハイと地元の日本酒を買いました。こちらもまたすごい幸せな空間でした。
こういう個人店っていいなと思って店内を見て歩くと、品揃えもよく、僕が欲しいものはすべて売っていました。若い人たちがセレクトショップっぽく営業しているわけではなくて、僕のお母さんが着ているような、あの世代のおしゃれファッションの洋服が売られ、洋服と並んでピーナッツも売られていて、僕よりも先輩の地元の皆さんが買いに来たりしているのです。特にまちづくりを掲げたお店じゃないんですけど、佇まいがいいし、地元の年配の方々がみんなでここに集まっている感じがよくわかり、素敵でした。看板の書体も気に入って、ちょっと安藤忠雄さんの現代建築っぽい。なんていいお店で缶酎ハイと日本酒を買えたんだと感動しながら、道の駅で眼科を流れる香束川を眺めながら1缶開けて飲みました。
この、ぐるっと瀬戸内1周の1泊2日の旅にオチはありません。高松市と金比羅さんの近くには、大学1年生の春の旅行で行ったのが最初で、その後もアウトドアの雑誌の編集部時代には何度も足を運んでいます。当時、僕は19歳だったか、釣りをした秘密の沼があるんです。息子に「おとうが19歳の時にものすごいいい経験をした秘密の沼があるからそこに連れて行くぞ」って言ったら、喜んで一緒に行ったんですけど、水が抜かれて水たまりくらいしかなくて、魚が釣れるには至りませんでした。20代の頃は仕事で割とよく行っていた場所に、自分と背たけも同じくらいになった中学3年の息子と一緒に行くことになるとは思いもよらなかったので、そういった意味で地域は変わるものもあるけれど、変わらないで待ってくれているものもあるんだなって感じました。1泊2日の短い行程でしたが、不思議な気持ちで揺らぎました。うん、風景が揺らいだ。
讃岐うどんも「リジェネラティブ」。
まちづくりってリジェネレーションなのかなということや、「リジェネラティブ」をどういうふうに押し出していくのがいいのかなということをよく考えるんですけど、元々そこにあったものを、たとえば、あるまちは「北前船の寄港先だった歴史を生かしたまちづくりを行うのがいいのではないか?」みたいにして、その部分をリジェネレーションしていく方法もあると思うんです。北前文化を今にアップデートしていくみたいなやり方もあるでしょう。再生は「再び生きる」って書くわけですから、何か再び生き返らせたいものっていうのかな、再び今ここに表したいものっていうのがあった方がたぶんいいんだと思うんです。
「リジェネラティブ」って、たとえば土とか海とか茅葺とか対象があって、それをクローンみたいにそっくりそのまま蘇らせるんじゃなくて、現在の意志を持った形で蘇らせる。クローンというとカズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』を不意に思い出してしまうのですが、まったくそのままのクローンが生まれることでまちが豊かになるかっていうとそんなこともないじゃないですか。たとえば、1970年代のピザをみんなが食べたいかっていうと、ノスタルジーで食べたくなるかもしれないけれど、今ではピザもモダナイズされているから、トッピングする具材に「リジェネラティブ」が必要なのかもしれないし、生地に必要なのかもしれないし、そもそも小麦粉を使ったピザ文化のストーリーに必要なのかもしれません。
たとえとしてはうどんでもいいんですけど、うどんといえば香川の讃岐うどんが真っ先に思い浮かびつつ、実は徳島にもおいしいうどん屋さんが多いんですよね。「鳴ちゅるうどん」とか「たらいうどん」とか。鳴ちゅるうどんは柔らかくて、鳴門のワカメを入れることもあります。たらいうどんは、元々林業者の人たちが地元の川で釣れるヨシノボリっていう魚でダシを取って、たらいからズルズルと山形の「引っ張りうどん」みたいにして食べる文化から来ていて、めちゃめちゃおいしい。僕はいつも徳島空港でお土産にたらいうどんを買って帰るくらいおいしくて、誰からも大好評です。讃岐うどんもおいしいけど、徳島も地続きだからうどんがおいしいんです。一方、香川でいちばん好きなうどん屋さんは、まんのう町の山内うどん。薪釜の高火力で麺を茹でる、香川のうどん文化を味わうにはおすすめのお店です。
香川って、日本で有数のため池が多い県です。晴天が多く、川が短く急で、雨が少ないから、稲作のために水を貯めておこうということで、ため池が無数につくられてきました。ただ、雨が少なく米が思うように穫れなかったため、二毛作として小麦の栽培も盛んになりました。小麦はうどんだけでなく醤油の原料にもなります。沿岸では塩もつくられましたが、それも醤油の原料として必要なもの。出汁となるいりこもたくさん獲れました。そんなふうに、小麦や醤油、いりこなどうどんをつくるための材料が近くで手に入れられたため、うどんの食文化が生まれ、讃岐うどんとして発展していったとされています。ただ、近年はオーストラリアなど海外産小麦が主に使われていましたが、最近また讃岐独自の小麦粉でうどんをつくる動きも出てきているようです。「さぬきの夢」は地元の小麦粉を使った讃岐うどんのためにと香川県農業試験場が開発した小麦のオリジナル品種で、それも「リジェネラティブ」と呼べることかもしれません。
ユースケ・サンタマリア主演の映画『UDON』の元にもなった麺通団の『恐るべきさぬきうどん』にも讃岐うどんのことが書かれていると思いますが、1990年代のはじめ、僕に讃岐うどんがいかにすごいかを教えてくれたのはアウトドア編集部時代の同僚の丸亀市出身の女子編集者で、香川はうどんがすごいんだって、『恐るべきさぬきうどん』の麺通団のレポートがすごいんだってと教えられ、そうなんだと思って行ってみたらほんとにすごかった。あの頃のローカルフードやローカルメディアっていう意味でも、香川は図抜けた形で独自の発信をしていたんだなと感じます。
「水窪じゃがた」のコロッケを食べながら思ったこと。
塩江スーパーバザールのところで少し話しましたが、僕は静岡県の「地域のお店」デザイン表彰の審査委員長を務めています。審査員の方は、コスチューム・アーティストのひびのこづえさんや、NPO『クロスメディアしまだ』理事の兒玉絵美さん、空間デザイナーの繁田和美さんが担当されていて、女性3人、男性1人で仲良く仕事をさせてもらっています。いろんな地域へ足を運ぶのですが、その中に水窪(みさくぼ)という地域があります。住所でいうと浜松市になります。
浜松市といえば、新幹線の通る遠州灘を思い描きがちですが、水窪のある北部に隣接しているのは長野県です。知っている方もおられるかもしれませんが毎年1回、綱引きをやって、勝った負けたで県境が1メートル移動するというイベントを行っていて、2014年にはサントリー地域文化賞を受賞しました。
僕はこの水窪がすごく好きで、縁あってこの前、行ってきたんです。JR飯田線の水窪駅があるんですが、静岡の南から行くとかなり距離があります。山間にある林業の盛んな地域で、「水の窪」って書くからかどうかはわかりませんが、突然まちが開けるんです。もちろん高層マンションがあるわけじゃないんですが、天竜川水系の峡谷の中にいきなり優しい風景が広がります。宿場町で、宮本常一さんも『私の日本地図➀ 天竜川に沿って』という本の中で天竜川をのぼるくだりで水窪のことを書いているくらい、民俗学的にも大事にされている地域です。
その水窪の商店街に、『小松屋製菓』っていう代々続くまちのお菓子屋さんがあって、栃もちがおいしいんです。材料の栃の実は水窪でまかなっていて、クリーム栃大福もきびロールケーキもすごくおいしくて、子どもたちは揚げドーナツをそこで食べたりしています。駄菓子と一緒に栃のお菓子が置いてある、いいお店です。
水窪は栃以外にジャガイモも特産で、地域づくりを行っているNPO「こいねみさくぼ」の方が「水窪じゃがた」というジャガイモの畑に連れて行ってくれました。「じゃがた」って、「じゃがたら」「ジャカルタ」がなまった言葉です。ジャガイモは南米のアンデス山脈が原産ですが、ジャカルタがあるインドネシアはかつてオランダの領土で、日本にはそのオランダを経由して入ってきたので「じゃがた」という名前が残っています。原種に近いジャガイモだということで、その種を守っているそうです。ジャガイモは最初、花の鑑賞用で日本に入ってきたという説もあり、水窪じゃがたは珍しく紫色の花を咲かせます。
地域の人たちが大事にしていた固定種みたいなもので、それを使ってジャガイモの蒸留酒をつくったり、いろんなことをされています。最初はキタアカリとか在来の大きなジャガイモを栽培していたんですが、やっぱり地元のものこそ価値があるし、地元のものを残していこうということで、90代の先輩世代から60代の若い世代が「水窪じゃがたを残そう」と活動を始められたようです。有機栽培でつくる水窪じゃがたの畑を間近で見た時、すごくその畑が大事にされている感じが伝わってきました。
水窪じゃがたのコロッケを熱々の揚げたてでいただきましたが、まちの文化の中でジャガイモも変わっていったけれど、やっぱり自分たちのまちに昔からあった水窪じゃがたはこの品種だったわけだから、それをまた盛り上げたいとじゃがたを大事にして、「こいね水窪じゃがた祭り」を開くまでに至っています。お祭りには高校生も来るし、まちからみんなが遊びに来るようなお祭りになっていったっていうのが、これも「リジェネラティブ」な感覚かなと思いました。
僕は水窪じゃがたのコロッケを満喫しましたが、水窪の天然麹菌を使った純米酒もあったので、それを買って帰りました。水窪じゃがたの話をこんなに引っ張っておきながらお土産に日本酒を買うのかとツッコまれそうですが(笑)、その日本酒がすごい透明な、華やかな、それでいて素直な味わいで、それを飲みながら水窪の風景がますます好きになりました。
風の強さや標高も、土地の魅力になる時代が来るかも
春になると秋田へ、関係人口の講座で行くことが多いんですけど、プライベートで行くことも結構あります。僕が秋田に行く大きな理由は、米代川水系があるから。米代川をはじめとした日本海側の川に魚釣りに行くのです。昔は「米白川」と呼ばれ、お米のとぎ汁や代かきをした田んぼみたいに濁った色をしていることがあるのでその名がついたのだと思うのですが、普段はきれいで大きい川です。また、基本的に本流にダムがないので、海と川の行き来がしやすい結果、魚が遡上して海と森を行き来しているのです。そんな自然の循環の中で釣り糸を垂れるのですが、もちろんなかなか釣れません。チャレンジしたり、幸運にも釣れたりとか、そんなことをここ数年間しているのですが、それにも増して能代というまちが最近とってもおもしろいと感じています。
能代は元々、木都だった地域です。秋田杉を米代川の上流の方から、途中にすごい難所があるとイザベラ・バードも『日本奥地紀行』に書いていますが、七座(ななくら)や二ツ井というまちがあって、そこで木を積み、北前船で日本の各都市へ運んだりしていました。その米代川流域が、今また木都として復活しようとしています。木を保管しておく大きなストックヤードもあります。
能代のこれからの強みって何だろうと考えた時、エネルギーが結構大きなテーマになってくるような気もします。海外から持ってくるエネルギーもあれば、自分たちのまちでつくるエネルギーもある。たとえば、米代川の流域圏にある鹿角市は地熱発電に力を入れています。僕は米代川水系マニアなので、鹿角や北秋田市の鷹巣、大館市とか大好きです。大館能代空港と、前にも紹介した秘密のコワーキングスペースがある萩・石見空港は絶対になくならないでほしいと願っています。大館能代空港は、忠犬ハチ公にちなんで8のつく日は秋田犬が出迎えてくれるんです。すごい可愛い秋田犬が、「ようこそいらっしゃいました」みたいな、そういう牧歌的な感じも好きです。
これまでは行政区分で決めていましたが、今は流域の価値が見直されてきて、YAMAPさんも流域の地図をつくったほど、社会の構造を考える時に流域で物事を考えた方が道理なのではないかっていう、そんな動きが見られようになってきています。僕は最上川の若い皆さんから着想を得て「流域関係人口」を提唱しています。川に沿って発展した文化ってあるんですよね。川沿いの文化は上流、下流のどちらかが反駁するというよりは、意外とお互いに共通項があったりするのでいいんじゃないのかなと。大阪・関西万博も基本的には琵琶湖をはじめとした関西の流域圏のカルチャーをしっかり伝えようというコンセプトもあると聞いていますが、流域はこれからますます注目のテーマになっていくんじゃないでしょうか。
能代は流域を集約した秋田県北部を代表する大きなまちという印象ですが、能代が優れているのは木都としての木材の潤沢さであり、それが復活するような仕組みをつくろうとしていること。もう一つは、実はものすごい風が強いまちなんです。風速が10メートルくらいは当たり前のように吹く地域で、東北の日本海側は、山形も新潟もそうですが、秋田もあちこちに風車が立っています。僕は最近、何を豊かさとして見ていったらいいのかなと考えますが、たとえば、yahoo天気予報を見る時、多くの人はたたんだ状態で天気を見ていますが、もうちょっと詳しく見ようと矢印を押すと風速が出てきます。何でも行き過ぎるとマイナスに転じてしまいますが、種子を運ぶためには風が吹くことが大事だし、土や水が入れ替わることも風が作用してるのですから、風の強さみたいなことも土地の魅力として考える時代が来なくもないなと思ったりしています。あと、標高の高さも武器になる可能性はありますね。気候変動の影響で、標高が高めの冷涼な地域の気候が価値あるものになっていくかもしれないからです。
これまではマイナスだと思われていたもの、たとえば森林率が高いとすごい山奥に見られるんじゃないかとみんな心配しますが、それを「森林偏差値」と言って、森林率93パーセントなら偏差値93と考えればいいんじゃないかな。そういうことを強めに言っていく時代になるでしょうね、これからは。風という自然エネルギーの基本みたいなものも、まちの魅力に数えてもいいんじゃないのかな。
昔、アフリカで「風の谷」と言われているケニアのトゥルカナ湖に野口健さんと行ったことがあります。その時、これからは風力エネルギーが自然エネルギーのテーマになる、アフリカは自然エネルギーの宝庫だから先進国との立場も逆転するだろうと言われていて、それで、「どのくらい風が強いのかを調べてこい」と上司から命じられ、家電量販店で最新の風力計を買い、アフリカのトゥルカナ族という人たちが暮らしている地域に行き、買った風力計で調べたら、風速は24メートル。これが当たり前に吹いているっていうのは、確かにエネルギーとしてはすごいなと驚かされました。
そこには、民話なのか神話なのか、「悪い風」と「いい風」があるんだって長老から教わりました。スワヒリ語で風は「ウぺポ」、いいウぺポは恵みを運んでくる、悪いウぺポはヨロと呼ばれ、病疫を運んでくるみたいなことを、僕が日本語で尋ねて、僕の同僚が日本語を英語に通訳してくれて、英語を今度はスワヒリ語に通訳し、スワヒリ語をトゥルカナ語に通訳するという、真ん中に4人くらいの通訳者を挟んで取材しました。「長老にとって、風が吹くことはどういうメリットがありますか?」みたいなことを聞くと、長老は10分くらいかけて話してくれるんです。それをまたトゥルカナ語から逆回転のように順番に訳してもらうのですが、最後、日本語の通訳になると、「風はいいやつだと言っています」というひと言に要約されていて(笑)。この長いやりとりは無駄なんじゃないかと思いながら記事をつくったことを思い出しました。
ケニアの「風の谷」のように、能代の風もまちの魅力だし、北海道の稚内市も風が強いまちですが、それをまちのアピールにうまく使ったり、関係人口や2拠点生活(二地域居住)をするまちを選んだりするときの選択肢として、風や森林、地熱、標高といったものがあってもいいのかなと思いました。前にお話しした漫画『夏子の酒』は、30年前の新潟の米どころが舞台で、土の再生や在来種の復活みたいなことがテーマの一つだったかもしれませんが、今は気候変動という、真っ向からぶつかる敵なのか、あるいは味方なのかわかりませんが、新しい「リジェネラティブ」に対して何か別の大きな要素が時代のテーマとして加わったように思います。
そして最後、能代といえば「吾作ラーメン」です。秋田に何店舗かあります。秋田や能代の人は子どもの頃からみんな食べているソウルラーメンで、これがもうめちゃめちゃおいしい。僕のおすすめは醤油バターラーメン。味噌ラーメンもうまいです。パリッとした白い制服を着た若い人たちや先輩世代がつくっていて、能代に行ったら何はともあれ、朝10時からやっている吾作ラーメンを食べるのは僕的に大事なことなのです。
<このシリーズを最初から読む|サスティナビリティ&リジェネラティブ>
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