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巨匠ピカソ絶賛の〈ヘタウマ〉画家アンリ・ルソーは、小難しいアート理論なしでも楽しめる!

イロハニアート

「絵は難しそう」「美術館はハードルが高い」。そんなイメージを軽やかに跳び越えさせてくれる画家がいます。 アンリ・ルソー(1844‑1910)は、フランスの税関職員として働きながら独学で筆を取りました。「子どもの落書き」と笑われた絵が、のちにピカソや前衛画家を魅了します。 遠いジャングルを一度も見たことがないのに、温室で観た植物と想像力だけで密林を描き切る。この大胆さこそが、ルソーを「素朴派(ナイーブアート)」の代名詞に押し上げた理由です。 彼の絵は、まさに「ヘタ(下手)ウマ(上手い)」なのです。 本記事では、 ・公務員から専業画家へ転身したドラマチックな人生 ・独学だからこそ生まれたユニークな描き方の秘密 ・ピカソも驚嘆した代表作とその見どころ ・実際に日本で原画を鑑賞できる美術館・展覧会情報 をわかりやすく解説します。読み終えたときには「ルソー作品を直に観たい!」と感じることでしょう。 税関吏が描いた“夢のジャングル”を探しに、一歩外へ踏み出してみませんか?

画家になる前のルソー ─ 幼少期から税関勤務まで


アンリ・ルソー『私自身:肖像=風景(1890)』:File:Henri Rousseau - Myself- Portrait – Landscape - Google Art Project.jpg

, Public domain, via Wikimedia Commons.

ラヴァル高校時代と図画・音楽の才能


1844年にフランス西部ラヴァルで生まれたルソーは、配管工の家に生まれます。家は決して裕福ではありませんでした。父の多額の借金で家が差し押さえられるほどの経済難に見舞われます。

ルソーの高校での学科の成績は平均的でしたが、図画と音楽だけは教師の目を引いたようです。校内コンクールで賞を得たと伝えられています。この成功体験が、ルソーの「自分は表現の才能がある」という自負を芽生えさせ、のちに独学で絵筆を取る土台になりました。

司法書士補佐中に不祥事で逮捕。兵役、税関の仕事へ


卒業後、ルソーは地元の司法書士事務所で見習いを始めますが、なんと「友人と金庫の現金を盗む」という不祥事を起こして逮捕されてしまいます。

ルソーは懲役を避けるため兵役を申し出て入隊。服役と従軍の両方を経験するという波乱万丈な人生を送っていました。1863年からの兵役の間にメキシコ遠征帰還兵の南国談義に触れたことが、後年のジャングル絵画のイメージの源になったとされています。

父の死後、ルソーは長男として母を支えるためパリへ移住しました。普仏戦争がはじまってからは、従軍を経験。戦後は入市税関(オクルトワ)職員となります。
安定収入を得た若きルソーは、学生時代に得意であった絵を描くことを思い出したのでしょう。週末にスケッチを重ねる「日曜画家」となりました。ここから、彼の画家人生が静かに動き出します。

独学で生まれた〈ナイーブアート〉とジャングル幻想


アンリ・ルソー『ジャングルの2匹の猿(1909)』:File:Henri Rousseau - Two Monkeys in the Jungle.jpg

, Public domain, via Wikimedia Commons.

ルーヴル模写許可と自己流トレーニング


38 歳のころ、近所に越して来たアカデミー画家フェリックス・クレマンと親しくなったルソーは、クレマンの口利きでルーヴル美術館の模写許可証を取得します。この公的なお墨付きに舞い上がった彼は、名画の前にイーゼルを立て、自分こそが将来の大画家だと信じ込んで筆を動かしました。

もっとも、ルソーの練習法はアカデミックな教室とは無縁です。美術学校へは一度も行ったことがなく、独学で描いてきました。彼の自由な表現は、芸術を「勉強」しなかったがゆえに生まれたのかもしれません。

ルソーは、興味のあるものを巨大化し、人物や建物が「浮く」異様な空間を描いています。自画像である『私自身:肖像=風景』では、自分が背景より大きく、道路が途中で消える場面も。

彼は完全に自己流の「実測コピー」で描いていました。伝統的な遠近法からは外れ、作品にはいびつさが残ります。しかし、その素朴さこそが、後に「ナイーブアート」と呼ばれる魅力へと変わっていったのです。

植物園・図鑑が育んだ熱帯イメージ


ルソー作品といえば、鬱蒼としたジャングルの絵が有名です。しかし実は、本人は一度も熱帯を訪れていないようです。従軍記録からは、彼のメキシコ遠征を確認できません。

ルソーは当時の遠征兵の体験談や植物園の観察から、熱帯のイメージを膨らませました。パリ植物園(ジャルダン・デ・プラント)の温室や図鑑で見た奇怪な植物を組み合わせて「理想の密林」を合成したとされます。

靴と影を描くのが苦手だったルソー。足元は接地せず、浮いて見えました。後年は、足元を葉でびっしり覆い、動物や人物を前後に並べることで遠近感を出したり苦手な部分を強みに変えていきました。

その結果、緑のカーテンは観る者を夢幻的な空間へ誘う仕掛けにもなったのではないでしょうか。温室と紙の上で育った熱帯のイメージは、誰も見たことのない「ルソーのジャングル」として確立されたのです。

サロン落選からアンデパンダン展へ : 評価が逆転していく


アンリ・ルソー:File:Rousseau Joyeux Farceurs Dornac crop.jpg

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1885年官展サロン落選


38 歳で「大画家の仲間入り」を夢見ていたルソー。41 歳の 1885年に、万国博に合わせて国の官展サロンへの初出品を試みます。しかし結果はあっさり落選。この挫折で「国の審査に頼る道はない」と悟ったのかもしれません。

無審査・無賞の舞台で花ひらく


ルソーにとって救いの場となったのが「サロン・ド・アンデパンダン」でした。アンデパンダンでは、出品料さえ払えば誰でも参加できる無審査・無賞の展覧会です。官展サロンが「権威と序列」を守る舞台だとするならば、アンデパンダンは「自由と実験」を後押しする解放区と言えるのではないでしょうか。

ルソーは 1886 年の第 2 回展に『カーニバルの夜』を携えてデビューし、その後ほぼ皆勤で出品を続けます。

批評も多いが大画家からの称賛も


アンリ・ルソー『人形をもつ子ども(1904)』:File:Niña con muñeca Rousseau 01.JPG

, Public domain, via Wikimedia Commons.

サロンで門前払いをくらい、アンデパンダンでようやく作品を公にできたことで、彼の「天然ヘタウマ」な個性が歴史に刻まれることとなりました。

ピカソは「ルソーだけは越えられなかった」と感じていたようです。ルソーの『女の肖像』をみてその価値を直感し、生涯手元に置き続けたという逸話が語られています。

『戦争』はピカソの『ゲルニカ』を着想する際の原点になったという話もあるようです。それほど、ピカソにとってルソーは特別な存在だったのでしょう。

アンリ・ルソーの代表作


アンリ・ルソー『独立100周年(1892)』:File:Henri Rousseau (French) - A Centennial of Independence - Google Art Project.jpg

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『眠れるジプシー女』(1897)


『眠れるジプシー女』(1897):File:Henri Rousseau 010.jpg

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月夜の砂漠で、ライオンがジプシー女性と彼女のマンドリンにそっと近づく。そんな不思議な詩情が漂います。強い輪郭線とほぼ平坦な遠近表現が、画面に独特の静けさと緊張感をもたらしています。
ルソーはここで、砂漠に横たわるアフリカ系のジプシーをオリエンタルな衣装で描きました。彼女の脇にはイタリア製の弦楽器マンドリンと水差しが置かれており、それぞれ異なる文化を象徴しています。交わるはずのないオリエントの衣服とイタリアの楽器をひとつの画面に取り合わせることで、ルソーは自らの幻想世界を際立たせています。

『夢』(1910)


アンリ・ルソー『夢』(1910):ファイル:Henri Rousseau - Le Rêve - Google Art Project.jpg

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アンリ・ルソーが晩年に仕上げた油彩の大作で、ジャングルをテーマにした二十数点のシリーズ中、最も大きく—およそ高さ 2m、幅 3m—迫力あるスケールを誇ります。

画面左端には、若き日にルソーが思いを寄せたポーランド人女性ヤドヴィガが裸でデイベッドに横たわり、蓮が咲き乱れる密林を静かに見やっています。周囲には鳥やサル、ゾウ、つがいのライオン、そして蛇など多彩な動物が潜み、深い緑に満月の光が差し込む情景が広がります。

女性の伸ばした左腕は、月明かりの中で笛を吹く黒衣の蛇使いとライオンへ向けられ、その下草を滑るピンク腹の蛇のラインが彼女の腰の曲線と呼応して、画面に妖しいリズムを生んでいます。

『蛇使いの女』(1907)


アンリ・ルソー『蛇使いの女』(1907): File:Henri Rousseau, known as le Douanier - The Snake Charmer - Google Art Project.jpg

, Public domain, via Wikimedia Commons.

『蛇使いの女』を発注したのはロベール・ドローネーの母、ベルテ伯爵夫人です。

ルソーはピカソに向かい、冗談めかしてこう言ったと伝えられます。「きみはエジプト様式で、私は現代様式で描いているだけのことだ」この言葉通り、作品には斬新な要素が随所に光ります。

どこか不穏なエデンのような密林で、褐色の女神が巨大な蛇を操るかのようです。背後から照らすかのような濃厚な色づかいは、のちのマグリットを思わせます。繊細さと素朴さを併せ持つ輪郭線、そして思い切った左右非対称の縦長画面はとても斬新です。

日本でルソーを観る:所蔵美術館


アンリ・ルソー『戦争(1894年)』:ファイル:Henri Rousseau - La guerre.jpg

, Public domain, via Wikimedia Commons.

◆ポーラ美術館(神奈川)
エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望(1896-1898年)
ライオンのいるジャングル(1904年)
廃墟のある風景(1906年頃)など8点
ポーラ美術館公式HP

◆ハーモ美術館(長野)
花(1910年)
ラ・カルマニョール(1893年)、果樹園(1886年)
ハーモ美術館公式HP
ハーモ美術館公式HP

◆世田谷美術館(東京)
フリュマンス・ビッシュの肖像(1893年)
世田谷美術館公式HP

◆上原美術館(静岡)
両親(1909年)
上原美術館公式HP

◆下瀬美術館(広島)
家族のつどい(1896年)
下瀬美術館公式HP

まとめ


税関吏として平凡な日常を送りながら、想像力だけで密林を咲かせたアンリ・ルソー。遠近法の破綻さえ物語の装置に変え、ピカソやシュルレアリストをうならせた大胆さは、いまも新鮮な驚きを与えてくれます。
日本の美術館でもルソー作品を楽しめるところがあります。実物のキャンバスに近づけば、葉に潜む微かなリズムや、月明かりに溶け込む動物のシルエットなど、写真などでは気づかない細部の様子が見えてくるはずです。
「絵は難しそう」と感じる方こそ、独学で学んだルソーの作品はアートの入口にぴったり。スーツ姿でスケッチ帳を広げた日曜画家が切り開いた“ヘタウマ”の世界は、肩の力を抜いてアートを楽しめるものとなっています。
森へ出かけるような気持ちで美術館の扉を開いてみませんか? ルソーが描いた“夢のジャングル”が、絵画のハードルを軽やかに飛び越えさせてくれるはずです。

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