悪露の異常を相談せず退院、産後7日目に大量出血!子宮復古不全の疑いが…
3人の子どもたちと格闘しながら、在宅ライターをしている“あしださき”です。3人産んだ今では、“困ったらいつでも周りの力を借りる”と決めていますが、1人目を妊娠・出産した26歳の頃は、妙に気負い過ぎていました。
今回は1人目出産直後の“悪露のトラブル”は「もっと早く誰かに相談していたら」と当時の失敗を反省しています。
お産直後、具合の悪さを「これが普通」と高をくくる
私の初めての妊娠生活は順調な経過で、臨月に里帰りし、初産にしては時間もかからず非常に安産でした。(微弱陣痛で促進剤を使用しましたが)
無事大仕事を終えて部屋で休むという頃に、今回の異変の予兆が出てきました。生んだ直後は興奮していて気付かなかったのですが、なんだかとても具合が悪いのです。しかし、初産のため、「お産をした後、こんなに具合が悪いものなのか?」という疑問を誰かに相談すらできませんでした。
具体的な症状
● 吐きそうなほど気持ちが悪い
● 体を起こしているのがつらい(横になってもつらい)
● 食事を取れない(出産当日の食事はほぼ残したような状態)
やはりこの時、看護師さんや医師に相談していれば良かったと思います。
深夜のトイレで、巨大な「何か」を産み落とす
私はひたすら横になって、具合の悪さに耐えるしかありませんでした。助産師さんから「トイレは我慢しないで」と言われていましたが、動くと吐きそうだし、めまいがひどくて立ち上がれないので、お産のあと1度行ったきりトイレは我慢していました。
いよいよ我慢ができず、深夜に恐る恐る立ち上がり、手すりにしがみつきながらトイレへ向かいました。立ち上がった時、生理2日目のようにどっと血液が出る感じがありましたが、悪露が出産直後は多いと聞いたので、まだ驚きませんでした。
そして腰を下ろした瞬間、「ボトッ!」と何かが便器の中へ落ちていきました。自分の中では、胎児を1人産み落としてしまったような感覚でした。恐怖感と焦りが頭を駆け巡って、思考が完全に停止してしまいました。
テニスボール大の血の塊!なぜ相談しなかったのか
落ちたものをよく見ると、それはレバーのような血の塊で、テニスボールほどの大きさでした。「これは良いものではなさそう」と直感的に分かりましたが、なぜかその場で看護師さんを呼ぶこともせず、トイレに落ちた物体をそのまま流してしまったのです。
次の朝の問診で、血の塊が夜中に出たことを申告しました。看護師さんの反応は普通で、「産後、よくある事なのかも」と勝手に納得していました。
しかし正直に言えば、これ以上自分の体に面倒な検査や痛い処置をしたくないと思っていて、私がわざと軽い調子で申告していたのもあると思います。
産後7日目の大量出血でようやく現実に向き合う遅さ
異常な血の塊は1度だけで、無事に退院しました。しかし数日後、意外な形で医師に真実を告白しなくてはならなくなりました。
退院後の新生児との生活は想像よりずっと過酷で、すでにヘトヘトでした。そんな産後7日目に突然、鮮血の悪露がジャーっと流れ出して止まらなくなりました。どんどん流れる血液が便器を真っ赤に染めました。
これは明らかに異常だと思い、すぐに産婦人科へ。そして泣きながら医師と話をしました。「何か産後に気になっていた事はない?」と言われ、あのテニスボールがすぐに思い出されました。それを正直に話すと、“子宮復古不全”の疑いがあったと言われてしまいました。
今回の悪露の異常と、入院中の血の塊に直接的な関わりがあるかは不明なものの、「異常を感じていたなら早い段階で相談して欲しかった」と医師に言われました。
定期的に経過を診てもらい、その後、悪露は減っていきました。今回のことで、「異常を放置しない」、「自分で勝手に判断しない」、「小さなことでも相談する」、「つらいと訴えることは恥ずかしくない」、この4つのことを教訓として学びました。
子育て中は、1人ではどうにもならない時がよくあります。そんな時迷わずヘルプを求めることができるかどうか。そんな大切な子育てのスキルを得るきっかけになった出来事でした。
[あしださき * プロフィール]
高校の担任からも「楽観的な性格」と評され、とにかく楽観思考の3児の母です。物事はあまり複雑に考えず、元気なわが子に会えればそれが安産だと思うタチ。主にママ業、時々在宅ライターを兼務中。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。