『夢をかなえるゾウ』のガネーシャも、『嫌われる勇気』もそう。自己啓発本における対話形式の大きなメリットとは。
生きるため、はたらくための教科書のように使っている人もいるし、どことなく「俗流の哲学本」みたいに敬遠している人もいるのが「自己啓発本」。これについて語り合おうと、座談会が開かれました。
『嫌われる勇気』の古賀史健さん、『夢をかなえるゾウ』の水野敬也さん、『成りあがり』(矢沢永吉著)の取材・構成を担当した糸井重里。そして『14歳からの自己啓発』の著者である自己啓発本の研究者、尾崎俊介さん。にぎやかな、笑いの多い座談会になりました。第9回。自己啓発本における対話形式の大きなメリットのひとつは「野暮を書けること」?
尾崎
自己啓発本の定番に「メンターとトレーニー」というのがあって、教える人と学んでいく人がいるわけです。
そのときのメンターって、だいたい異世界から来るんですよ。アメリカやヨーロッパの自己啓発本だと、アラブとかインドとかからくることが多いんです。
水野さんの『夢をかなえるゾウ』のガネーシャも、まさに日本人にとって異世界であるインドの神様で。それありきで書かれたのかなと思ってました。
水野
いやもう、さっき言ったみたいに、めちゃくちゃ安易だったんです(笑)。
だけどキャラクターを作っていくじゃないですか。‥‥意外と合ってくるんですよ。
僕、『夢をかなえるゾウ』シリーズの3冊目を書いたあとぐらいのタイミングで、初めてインドに行ったんですね。
現地の美術館みたいなところに行ったら、音声ガイドから聞こえてくるインドのガネーシャの説明が、僕の書いたガネーシャ像と、ほぼ一緒だったんです。
糸井
へぇー。
水野
お腹出てて、お菓子持ってて。シヴァに首切られて、頭を植え替えられて。僕自身、自分がずっとイケメンとの戦いを繰り広げてきた過去があるんで、「ガネーシャ、魂は美しいのに、顔だけ変なのを乗っけられてねえか?」みたいなイメージだったんですけど、まさに似たような話でもあって。
ネットで調べたときに出てこなかった部分でも、いろいろ共通点があったんです。
だからそれこそ、ユングの集合的無意識じゃないですけど、そういう無意識が選ばせてるのは否定できんなって。
尾崎
面白いね。
水野
このシリーズ、いま5冊出てますけど、ガネーシャの物語がどんどん書けてしまうのは、たぶん「人間の不安を癒すための具現化ルート」のバリエーションが、そんなにないからかなと思ってます。
糸井
「対話型のメンターがいて」って、もう古代からですよね。
尾崎
王道ですね。
『嫌われる勇気』の哲人と青年というのも、ソクラテスの問答ですよね。
古賀
そうですね。
糸井
思えばそれは漫才とも言えますね。つまり、言っちゃダメなことをどんどん言う人がいて、もう片方が「いや、それはこうだよ」っていう。
そのやり方って、すごい得なんですよ。1人で喋るなら変なことを言えないけど、2人いて相手の発言に「違う違う!」なら、先回りもできるし。
水野
あと自己啓発書の気持ち悪さって、「自分が教祖である」「私が成功しました」と自分で語る構造にもあると思うんです。
だからキリストの話も弟子が語りますし、ブッダも弟子がいて、親鸞にも唯円(ゆいえん)がいて、そういう人が語ってる。
たぶん、そこに別の人がいないと、ちょっと気持ち悪いんですよ。人間って「お前嘘ついてない?」みたいなことを思う気持ちがあるから、ツッコミ役であり、ナビゲーターみたいな人がいてほしいというか。
糸井
ああ、なるほど。
古賀
そこで2人いるとツッコミもできるし、説明的なことも、野暮な反論も、全部言えちゃうんですよ。
尾崎
「野暮なことが言える」って、すごいですね。
糸井
たしかに。「野暮」というキーワードはいいですね。
いろんな表現って、野暮なことを言わないようにすごく気をつけてるじゃないですか。だけど歌謡曲も演歌も、ものすごく野暮なことをけっこういっぱい言うわけです。「♪愛しても 愛しても あゝ他人(ひと)の妻」とか。
野暮を聞かせる説得力って、その意味とはまた別のところにあって。
古賀
うん、うん、うん。
糸井
いや、野暮の話したいなあ。一周まわって憧れますよね。自己啓発本って、全体に野暮ですよね。相田みつをもそうですよ。
水野
そうですね。
尾崎
自分のことになりますけど、僕は結局、野暮が書けないんですよ。だからこんなふうに、まとめる本になっちゃう。
古賀
あぁー。
尾崎
小説とか、物語性をつくろうと思ったら野暮な人を登場させることになりますけど、そこは才能で、できる人とできない人がいるんです。
古賀さんも水野さんも、野暮な人を登場させつつ、対話で物語をすすめられる才能があるんですよ。たぶん僕にはそれがない。だから羨ましいわけね。
この本もきっと対話編で書けてたら、もっと売れてたわけですけど(笑)。
糸井
急いでやると野暮は書けるよね。
尾崎
あ、そうですか。
糸井
僕らは「早くみんなに伝えたい」「大急ぎで伝えたい」「そこでホームラン打たなきゃ」みたいな場所で仕事してるから、そのなかで野暮が出やすいような気はするんです。
尾崎先生は研究者という立場だから、野暮が混じりにくいところはあるのかなと。
尾崎
ああ、なるほど。
糸井
あと僕は歌謡曲でも、はからずも野暮が混じっちゃった歌が大好きで。
たとえば阿久悠さんの歌詞って、上手なものはもちろん感心するんですけど、ときどき野暮がつい混じってるものがあって、そういうのがまたいいんですよ。
前川清さんの『恋唄』とか「♪人前でくちづけたいと 心からそう思う」という歌詞ですけど、これ、とんでもなく野暮ですよね(笑)。「心からそう思う」って入れちゃダメでしょう?
古賀
冗語(じょうご)みたいな。
糸井
そうなんです。
だけどそういう隙のある歌詞を「♪心から~」って歌われると、めちゃくちゃ伝わってくるものがあるんですよ。
テクニックとかよりも、「言わざるを得なくて出ちゃうもの」が面白いというか。僕自身もいま、そういう表現をやりたくてしょうがない場所にいて。
「好きなんだからぁ!」って何回も言うのがロックンロールですけど、あれも超・野暮だと思うんですよ。だけどその野暮をみんなが許すのが、ポピュリズムで。
古賀
小説でも、純文学って野暮を書けないんですよね。エンタメ、ヤングアダルト小説、自己啓発本とかになると、どんどん野暮が入ってくる。
糸井
ちょっと前の韓国ドラマって、もっと野暮だったんですよ。「どうしてこんなに都合よく(笑)」みたいなことだらけで。「だって嘘話でしょ」みたいな開き直りがあって。
だけどそれも、野暮なほうが面白いんですよね。「たまたま相手が通りがかったことで、すべての物語がうまくいく」みたいな展開とか、みんなそういうのが見たいんだったら、それはやればいいじゃん、みたいな。
尾崎
ああー。
糸井
だけどそういう「野暮だけどいいじゃん」みたいな表現って、やっぱり昔のほうがやれていた気がして。
いま、野暮については自分自身も「やれる? やれない?」のすごくゆらゆらしてるところにいるから、「今回これなら野暮をやれるな」という機会があると、すごく嬉しいんですよね。
(出典:ほぼ日刊イトイ新聞 「自己啓発本」には、かなり奥深いおもしろさがある。(9)野暮なことを書くための方法。)
古賀史健(こが・ふみたけ)
株式会社バトンズ代表。1973年、福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年に独立。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、ダイヤモンド社)、『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)など。構成に『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など多数。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。編著書の累計は1600万部を数える。
水野敬也(みずの・けいや)
1976年、愛知県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。著書に『夢をかなえるゾウ』シリーズほか、『雨の日も、晴れ男』『顔ニモマケズ』『運命の恋をかなえるスタンダール』『四つ話のクローバー』、共著に『人生はニャンとかなる!』『最近、地球が暑くてクマってます。』『サラリーマン大喜利』『ウケる技術』など。また、画・鉄拳の絵本に『それでも僕は夢を見る』『あなたの物語』『もしも悩みがなかったら』、恋愛体育教師・水野愛也として『LOVE理論』『スパルタ婚活塾』、映像作品ではDVD『温厚な上司の怒らせ方』の企画・脚本、映画『イン・ザ・ヒーロー』の脚本など活動は多岐にわたる。
尾崎俊介(おざき・しゅんすけ)
1963年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻後期博士課程単位取得。現在は、愛知教育大学教授。専門はアメリカ文学・アメリカ文化。著書に、『14歳からの自己啓発』(トランスビュー)、『アメリカは自己啓発本でできている』(平凡社)、『ホールデンの肖像─ペーパーバックからみるアメリカの読書文化』(新宿書房)、『ハーレクイン・ロマンス』(平凡社新書)、『S先生のこと』(新宿書房、第61回日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『紙表紙の誘惑』(研究社)、『エピソード─アメリカ文学者 大橋吉之輔エッセイ集』(トランスビュー)など。