ネコのいる「瘡守稲荷宮」【駅ぶら】06京王電鉄340 相模原線60
※2023年12月撮影
トップ画像は「京王多摩センター駅」から徒歩10分ほどにある山王下公園近くの階段。右上に赤い鳥居が見えます。
62段の階段を上ると「瘡守稲荷宮」があります。その手前にお地蔵様、右から享保5年(1720)8月造立の岩舟地蔵菩薩、天保6年(1835)6月造立の地蔵尊、慶応2年(1866)造立の無縁地蔵尊。
※2023年12月撮影
「瘡守稲荷宮」正面。
※2023年12月撮影
これが62段の階段。けっこうキツかったです。
※2023年12月撮影
先に「落合山王下自治会」の案内を読みます。かすれていますが、想像で補いながら読みました。それ故に誤読の可能性もありますが、御容赦ください。
※2023年12月撮影
「記
所在地 多摩市落合山王下622番地内
此の場所に祀られて居る稲荷神社、地蔵尊等は多摩ニュータウンの事業用地として昭和42年東京都に買収され、47年4月現在の場所に移転合妃されたものである。
正面の社は瘡守(かさもり)稲荷宮と正一位稲荷宮の2社の合妃されて居る社である。瘡守稲荷宮の創建は元文5年3月(1740)、小泉背清左エ門外22名の氏子により遷宮され、安政4年3月(1857)別々に祀られていた2社を移転前の場所に合妃再建されたものである。
移転前の所在地 稲荷前707ノ4番地
正面入口右側にある石仏は、右より岩舟地蔵菩薩 享保5年8月造立(1720)多摩市内2基有内の1基。
地蔵尊 天保6年6月造立(1835)願主小泉清八氏
無縁地蔵尊 慶応2年11月造立(1866)願主小泉氏
移転前の所在地 山王下584番地
正面境内右側にある石造祠 右より金毘羅宮祠
民話伝説の鶴を祀る祠 願主田中氏(移転前所在地山王下621番地))
弁天祠 年代不詳だが山王下566番地先より移転前の所に移したとの言い伝えである
移転前所在地山王下616番地
昭和60年9月吉日 落合山王下自治会」
「多摩ニュータウン開発事業 山王下地区内宅地造成工事完成
記念碑
東京都南多摩新都市開発本部長〈氏名・略〉」と彫られた石塔。
※2023年12月撮影
ネコは、筆者がここに居る間、近づいてきては、周囲をウロウロしていました。
記念碑の背面に記された細々した経緯が興味深いのです。昭和55年(1980年)に建てられたので文字がかなり読み難いですが。
※2023年12月撮影
鳥居をくぐります。
※2023年12月撮影
境内に置かれた石祠。右が金毘羅宮祠、中央は 民話伝説の鶴を祀る祠。左は弁天祠。
※2023年12月撮影
神様にご挨拶しました。元文5年(1740)の瘡守稲荷宮の小さな社が安置され中には石がいくつか積まれていました。神様の依代でしょうか。
※2023年12月撮影
「瘡守稲荷宮」を去りますが、ネコは名残惜しそうに階段の途中までついて来ました。
※2023年12月撮影
帰路「多摩都市モノレール」が頭上を通過します。
※2023年12月撮影
次回は「京王多摩センター駅」から「京王堀之内駅」にむかいます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)