大宮遺跡がありました【駅ぶら】06京王電鉄422 井の頭線53
※2024年3月撮影
トップ画像、「大宮八幡宮」の「北神門(赤門)」を出て、「善福寺川」に下りて行きます。
左側に「東京都指定史跡 大宮遺跡」の石碑などが立っています。
※2024年3月撮影
東京都教育委員会の案内板には以下の記載がありました。
「東京都指定史跡 大宮遺跡 指定 昭和54年3月31日
昭和44年7月から8月にかけて杉並区教育委員会が実施した発掘調査によって、弥生時代終末期の方形周溝墓3基が近接して発見されました。〈中略〉第1号墓の主体部から軟玉製の勾玉1個とガラス小玉12個、周溝中から底部穿孔の弥生式土器10個体、第3号墓の周溝中からは弥生式度来2個体がそれぞれ出土しました。
本遺跡で発掘調査された方形周溝墓群は、都区内で初めての発見の事例であり、方形周溝墓の主体部から豊富な玉類が出土したこと、主体部上に封土が認められたことは、同時代の墓制を研究する上でも極めて学術的価値が高いものとして注目されています。
平成18年3月1日 東京都教育委員会」
そう言えば「北神門(赤門)」の鳥居横に大きなパネルがありました。
※2024年3月撮影
「大宮八幡宮」による「大宮遺跡」のパネルです。上の東京都教育委員会の案内板とほぼ同じ内容。しかし、次の部分が加えられています。
※2024年3月撮影
「この遺跡は、大宮八幡宮の旧社殿地とほとんど重なり、この一帯が聖域とされていた古代からの信仰がのち大宮八幡宮の創建につながったと思われます。大宮遺跡は、発掘後埋め戻されましたが、出土品の一部は当宮清涼殿に展示してあります。」
「善福寺川」に下りて赤い橋を渡ります。
※2024年3月撮影
2012年(平成24年)に散歩した時は、架け替えられる前の緑色の橋でした。
※2012年3月撮影
「八幡橋」です。
※2024年3月撮影
橋の上から上流方面。川沿いに荻窪まで歩いたことがあります。
※2024年3月撮影
こちらは下流側。方南町の北東で「神田川」に流れ込んでいます。
※2024年3月撮影
場所は異なりますが「善福寺川」沿いの桜。2012年(平成24年)3月の写真。
※2012年3月撮影
次回は「和田堀公園」を散歩します。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)