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杏里サウンドの立役者!バンドマスター・小倉泰治が感じてきた杏里の魅力とは?〈前編〉

Re:minder

1987年05月02日 杏里のアルバム「SUMMER FAREWELLS」発売日

杏里の作品でサウンド面を担ってきたプロデューサー・小倉泰治


1978年に「オリビアを聴きながら」でデビューした杏里。1983年に発売されたシングル「CAT'S EYE」が初の首位を獲得し、同年に発売されたアルバム『Timely‼』も大ヒットに。ちなみにこの『Timely‼』は近年のシティポップ・ブームで海外のリスナーからも広く支持され、Spotifyでは実に2億回以上再生されているヒットアルバムだ。

1987年に発売されたアルバム『SUMMER FAREWELLS』からセルフプロデュースを開始。その第2弾アルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』(1988年)より、作詞:吉元由美、作曲:杏里、編曲:小倉泰治の3人で作品を手がけるようになる。そんな杏里の多くの作品でサウンド面を担ってきたのが、キーボーディスト、音楽プロデューサーである小倉泰治だ。

7月2日に杏里のベストアルバム『ANRI the BEST blue』、7月17日にスタジオライブアルバム『FUNTIME』Vinyl Edition が発売されるタイミングで開催されるコンサートツアー『ANRI LIVE 2025 TIMELY‼』。現在もコンサートのバンドマスターとして活躍している小倉さんに、これまでに関わってきた杏里の作品についてお話を聞かせていただいた。今回はその前編である。

ディレクションで杏里のレコーディングに参加


ーー 僕(筆者)が杏里さんの本格的なファンになったのが1987年のアルバム『SUMMER FAREWELLS』で、そこからずっと杏里さんのアルバムを聴いてきました。なので自分にとっては杏里さんのセルフプロデュース作品=小倉泰治さんのサウンドということになります。今日、杏里さんと一緒にそれらを作り上げた小倉さんにお話を聞かせていただけるのはとても嬉しいです。と言いますか、小倉さんはあまりメディアに出るタイプの方ではないですよね(笑)

小倉泰治(以下:小倉):僕自身SNSもやっていないので、積極的に何かを発信するタイプではないですね。杏里を通じて、海外の一流ミュージシャンと一緒に仕事をした話は、若いミュージシャンが喜んでくれるので、たまに話すくらいですかね(笑)

ーー 小倉さんと杏里さんの出会いを教えてください。

小倉:1980年代の始めに、角松敏生くんのライブの手伝いをするようになったのですが、そのうちに角松くんが杏里のプロデュースをするという話になり、コーラスアレンジで譜面を書いたり、ディレクションでレコーディングに参加したのが最初でした。

ーー 小倉さんはその頃どんな活動をしていたんですか。

小倉:学生の頃にミューズというバンドを組んでいて、車のMAZDA主催の音楽オーディションで優勝したんです。インストバンドだったのになぜか優勝したんですよね(笑)。そのコンテストはカシオペアがゲストで、当時はフュージョンが流行っていたんだと思います。あとは、もう亡くなりましたが、青木智仁さんという素晴らしいベーシストとクルセイダーズのような4人組バンドも組んでいて、その青木さんが角松くんのバンドに参加するようになったことがそもそものきっかけです。それが23歳くらいの話なので、かれこれ40年以上前の話です。

ーー じゃあ、その頃にレコーディングで杏里さんにお会いしたんですね。

小倉:いや、その時は杏里には会っていないんですよ。その頃、角松バンドが杏里のバックをやっていたのですが、メンバーの友成好宏くんが参加できなくなったので、角松くんが僕に声をかけたんです。その頃は「CAT'S EYE」と「悲しみが止まらない」が大ヒットしている頃で、学園祭やテレビ番組に引っ張りだこだったので、いきなり人気アーティストのバックバンドになったような感じでした(笑)

ーー 杏里さんは大ヒットを出した後、セルフプロデュースのできるアーティストに進化を遂げていったわけですが、小倉さんは杏里さんの成長を一番近くで見てきたわけですよね。

小倉:最初はバックバンドのメンバーとして手伝っていたんですが、そのうちにホーンセクションを入れることになって “キーボードだから譜面書けるよね” みたいな流れで、どんどんサウンド面に関わっていくようになりました。そのうち杏里も僕の音楽性を理解してくれるようになり、徐々にいろいろなことを任せてくれるようになったんだと思います。

杏里の中で大きな心境の変化


ーー 角松敏生さんのプロデュースのあと、小倉さんのアレンジにたどり着くまでの数年間は、杏里さん自身、試行錯誤の時代だったような印象を受けます。1986年のアルバム『TROUBLE IN PARADISE』は井上鑑さんプロデュースによるロンドン・レコーディングでしたが、その半年後にはセルフプロデュース第1弾アルバム『SUMMER FAREWELLS』が発売になりました。その半年間に杏里さんの中で大きな心境の変化があったのでしょうか。

小倉:もしかすると『TROUBLE IN PARADISE』の反動だったのかもしれないですが、元々イメージしていた世界への原点回帰のような部分もあったんだと思います。コンサートでもダンサーを従えてコーラスに振りをつけたり、ビートとビジュアルをつなげた最初の人だと思います。あとは、オメガトライブのメンバーになったジョイ・マッコイが参加したことで、イメージが具体的に動いたのではないでしょうか。

ーー セルフプロデュースというのは客観性を失って、失敗するパターンも多いと思うのですが、杏里さんの場合は商業的にも大成功でした。小倉さんが最初にアレンジを手がけたのはアルバム『WAVE』(1985年)に収録されていた「OVERSEA CALL」ですね。

小倉:彼女の自宅にYAMAHAのCP-80というエレピがあって、それを弾きながら打ち合わせしたことを思い出しますね。当時からすごく信頼していただき、好きなように自由にやらせていただけたことにはとても感謝しています。

ーー セルフプロデュースアルバムの第1弾『SUMMER FAREWELLS』で小倉さんは「CAFÉ 25 VINGT CING」「ボーイフレンド」「MOON IN THE RAIN」「HAPPYENDでふられたい」という4曲のアレンジを手がけていますが、シングルになった「HAPPYENDでふられたい」はヒットしました。

小倉:あの曲はJTのタバコ『サムタイム・ライト』のタイアップもついていたので、わかりやすいキャッチーなアレンジにしたんですが、杏里からするともう少し洋楽よりのアレンジにして欲しかったんじゃないかな…。

明日掲載予定の後編では、1988年リリースのアルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』制作エピソードを中心にお届けします。

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