松尾豊の弟子・今井翔太が語る「理系人材の終焉」で問われる能力
ものすごいスピードで進化する生成AIの影響で、理系人材の価値が下がる、いわゆる「理系人材の終焉」がまことしやかに囁かれている。
東大・松尾豊研究室出身で、著書『生成AIで世界はこう変わる』(SBクリエイティブ)がベストセラーになっているAI研究者の今井翔太さんもXでこうポストした。
「AIを使えば大体みんなすごいことができる」世界線では、これまで理系人材が提供してきた専門的な知見や技術の需要が低くなる。では一体、どんなスキルが求められるのか。若きAI研究者に、生成AIの最新動向と未来予測をもとに、論じてもらった。
AI研究者,博士(工学,東京大学)
今井翔太さん(@ImAI_Eruel)
1994年、石川県金沢市生まれ。東京大学大学院 工学系研究科 技術経営戦略学専攻 松尾研究室にてAIの研究を行い、2024年同専攻博士課程を修了し博士(工学、東京大学)を取得。人工知能分野における強化学習の研究、特にマルチエージェント強化学習の研究に従事。ChatGPT登場以降は、大規模言語モデル等の生成AIにおける強化学習の活用に興味。生成AIのベストセラー書籍『生成AIで世界はこう変わる』(SBクリエイティブ)著者。その他書籍に『深層学習教科書 ディープラーニング G検定(ジェネラリスト)公式テキスト 第2版』(翔泳社)、『AI白書 2022』(角川アスキー総合研究所)、訳書にR.Sutton著『強化学習(第2版)』(森北出版)など
少し勉強したくらいじゃ、まず勝てない
━━生成AIの発展により、理系人材の立場が危うくなると言われています。今日は理系人材の行く末について、今井さんの考えを伺いたいです。その前に、生成AIの現状と課題、今後数年の見通しから伺えますか?
今の生成AIの言語性能は、東大の大学院生と同レベルです。ここでいう言語性能にはプログラミングも含みます。プログラミングは、生成AIの中でも特に応用が進んでいる分野。ということは、ちょっと勉強したくらいのエンジニアでは現時点でもまず勝てません。
とは言っても、まだハルシネーションの問題はあります。プログラミングにおいても誤った出力をすることが起こります。これは生成AIの基盤技術であるニューラルネットワーク、大規模言語モデルという仕組みで、そもそも解決できるかは明らかになっていません。
なので、出力されたコードを最終的に確認する役割を担う、一定ラインを超えたエキスパート人材の需要は残るでしょう。
少し未来的な話をすると、生成AI単体の出力ではなく、生成AIが外部ツールを使うといった例も出てきています。
例えば、生成AIが勝手にブラウザを開いて必要なドキュメントを参照し、それを元にコードを書き、エラーが出たら自分で解決し、プログラミングの結果を図にして人間に提出する。こういったものがすでに登場しています。今年の春ごろに出てきたAIエージェント「Devin」という技術がそれです。
プログラミングの補助技術も発展が続いています。例えば、GPT-4レベルの生成AI「Claude3.5」には「Artifacts」という補助機能があります。「こういうプログラムを出したい」とプロンプトを入力すると、プログラムを出してくれるだけでなく、同時にそのプログラムを実行した結果や機能なども示してくれます。
逆に、Xの画面をスクショに撮り、それを渡して「同じものを作ってくれ」と言えば、その場で必要なコードを出し、UIも示してくれます。あとはコピペするだけでXと同じものを作ることができる。こういったことがすでにできるようになっています。
なので、この記事を読んだエンジニアが「これはまずいぞ」と普通に勉強したとしても、単純なプログラミング能力では絶対に勝つことはできません。プログラミング分野での発展は今後も続きます。純粋なプログラミング能力で追いつくのは無理です。これは間違いありません。
ただし、AIは「人間の心理」までは配慮できない
━━「最終確認するエキスパート人材のニーズは依然として残る」というのは、どのくらいのレベルを指していますか?
中級レベルでいいと思います。なぜなら、プログラミングの性質上、ある程度までは実行環境でエラーを検出してくれるからです。人間が仲介しなくても既にある程度のセーフティ機能が備わっている。人間が確認するのはそのあとなので、他の分野に比べると「これが間違っている」と分かる確率が高いのです。
中級者と言っているのは、外部のドキュメントを自分で参照し、エラーが何だったのかを突き止めるくらいの能力を持っている人。プログラミングに関して言えば、いわゆる理系ガチガチの人材とまでいかなくても必要とされるでしょう。それどころか、今後は理系で一般的に学ぶこと以外の能力が非常に重要になってくると思います。
━━具体的には?
僕の手元に『Googleのソフトウェアエンジニアリング』(O’Reilly社)という本があります。Googleといえば世界のエンジニアリングの親玉ですから、すごいことが書いてあるはずです。
ところが中身を見ると、純粋なプログラミングのことはほぼ書いていない。むしろ、非常に人間的なことばかり書かれています。
一言で言うなら、コミュ力。人間の心理的なことを考慮してエンジニアリングをしよう、と言っています。こうした本は他にもたくさんありますが、書いてあることは概ね「人間の心理」の話です。大規模なソフトウエア開発は、基本的にチームでやるものです。これはGoogle以外の企業もそうですし、研究の実装でもそう。そして、チームでやるときにプログラミング能力が問題になることはほぼありません。大規模な開発は、人間的な能力を駆使した共同作業です。他の人間がどう思うか。ドキュメントは分かりやすいか。こうした人間の心理的なことを考えて、チームとして作業することが求められます。エンジニアに「コミュ力が重要」などというと反発する人がいますよね。僕も昔はそうでした。ですが、特に今後生成AI時代が発達すると、間違いなく不可欠な能力になると思います。先ほど紹介したAIエージェント「Devin」にも人間の心理に配慮した作業はできません。ゆえに、中期的に見ても、AIに置き換えられるとは思い難いですね。「体系的知識」の価値は失われない━━これほどまでに生成AIが浸透した要因の一つには自然言語を扱えるようになったことも挙げられます。今井さんもXで「AIを使えば大体みんなすごいことができる」と仰っていました。確かに「プロンプトさえ書ければすごいことができる」とみんなが言っていますし、実際、入力さえすれば、すごいことができます。ですが、自然言語で何かを聞くためには、そもそも自分が何を聞きたいのかを理解していなければなりません。そのためには前提として、その分野についてある程度体系的な知識を持っている必要があります。それがなければ、自分は何を考えるべきか、何が問題なのか、何を聞くべきかさえ分かりません。僕は職業エンジニアではないですが、Webサイトを作ることはあります。UIを作ろうと思ったら、ボタンがどうとか、こういうパーツがどうとかを考える必要があります。ですが、僕にはそのパーツの名前が分からない。分からないのでChatGPTに「こんな感じの」とあいまいに指示をするのですが、全然ダメです。聞けさえすれば解決するのですが、僕には聞けなかった。それは体系的な知識がないからです。
生成AIは使う人の知識に依存して性能が変わるAIです。例えば画像認識だと、小学生が使っても自分のようなAI研究者が使っても、同じものが出てきます。将棋のAIもそう。今のAIなら誰が使っても藤井聡太さんにほぼ100%勝てます。ですが、生成AIは違います。その分野に対する体系的な知識、これはものすごく専門的な知識でなくてもいいと思いますが、ある程度のものを持っていないと、プロンプトを入力することができません。━━その意味では、理系の課程を学ぶ意味がなくなるわけではない?大学などで理系とカテゴライズされているもののカリキュラムは、専門家が監修し、非常に長い期間をかけて「これは間違いなく体系的知識として役立つ」と厳選されたもの。こうした専門的な教育を受けることなく、体系的な知識を身につけるのはなかなか難しい気がしますから、その意味では、理系の課程が価値を失うわけではないと思います。とはいえ、理系の課程自体も今後、いろいろと変わる気がします。スタンフォード大学などでは1年単位でホットな技術が取り入れられ、授業内容は柔軟に変わります。これまでの日本はそうした動きが比較的遅かった印象ですが、生成AIの波を受けて、それくらいのことが起きるのではないか、起きてほしいと思っています。「自分はこの先も変わり続けるのである」━━となると、今井さんの考えでは、生成AIの発展が「理系人材の終焉」をもたらすわけではない?そもそも論で恐縮ですが、僕自身は、大学で文系・理系を分けていること自体がおかしいと思っています。少なくとも僕が、自分をそのようにカテゴライズすることはありません。自分をわざわざ「理系人材」などと括る必要があるでしょうか?生成AI時代に必要なのは、理系だの文系だのと括るのではなく、「自分は変わり続けるのだ」という気持ちを持つことです。僕は今、AI研究者として偉そうなことを言っていますが、この先には自動研究の流れも来ると思います。実際、つい先日、研究プロセスの大半を自動でやってくれる「AIサイエンティスト」という技術がSakana AIが開発しました。こうした技術が進むと、今僕がやっている研究業務の大半がAIで置き換えられるかもしれない。でも僕はそれでもいいと思っています。そうなれば僕はAI研究者以外の道も検討するかもしれません。AIにできないところを集中的にやればいいし、自分が変わればいいじゃないか、と。いつ、何が変わるかははっきりとは分かりません。ですが、すごい変化が起きてしまうことだけは確実です。「その度に自分は変わるのである」という気持ちを持ち続けることが、非常に重要だと思います。
「当時のポケモンのレーティングバトルで7位だった時の写真です」(今井さん)理系人材は「売り方」「トーク術」を侮っちゃいけない━━以前松尾先生にインタビューした際にも「AIについて考えるとは、人間を知ることだ」というお話がありました。だとすると理系だけ、文系だけのアプローチでは足りないというのも納得です。はい、実際、松尾先生から技術的なことを教えられたことはほぼないです。むしろ、「哲学が重要だ」とか「死ぬほど考えないとダメだ」といった話とか。他にも「言語とは何か」「コミュニケーションとは何か」など、エンジニアリング的なことはおそらく一回もなく、非常に人間的なことを教えられた気がします。
僕自身は「人間学の博士になる」と言ってきました。昔から「人間のことを知る」「そもそも人間はどういう気持ちで動くのか」といったことにめちゃくちゃ興味がありました。AI研究はジャンルとしては認知科学の一分野ですから、人間に詳しいのはある意味では当たり前。ですが、繰り返しになりますがそれ以外の分野、コンピュータサイエンスやエンジニアであっても「人間を学びましょう」と言いたいです。心理学とかのかっちりした学問でなくてもいい。メディア学、広告学、マーケティングなどからも学べることがあるはずです。理系、学問をやっている人は「売り方」とか「トーク術」みたいなものを馬鹿にする傾向にあります。しかし、それらは第一線の人が人間を相手にしつつ得た知見なので、貴重です。もちろん、これだけだと実力なき者が絡め技でのさばるようなことになるので論外ですが、プログラミングなどの技術が身に付いていることは前提として、そういうものが上乗せされた理系人材こそが、これから活躍するのではないでしょうか。それは生成AIではどうにもならないはずなので。━━どうにもならない?ならないです。なぜなら人間には答えがないから。統計的に「こういう心理の傾向がある」といったことは言えると思いますが、さらに深いところ、人に対する合わせ方、柔らかさというのは生成AIにはありません。そもそも生成AIのダメなところは、人間に忖度しすぎなところです。僕が院生時代、松尾先生のクローンを作ろうとしたことがあります。ファインチューニングを頑張って。ですが、全然ダメでした。━━何がダメだったんですか?これを読んだら先生に怒られるかもしれないですが、松尾先生の良さは適度な厳しさにあると思っています。適度と言っても、指導されている身としては時に理不尽と思うほどの厳しさなのですが。おそらく松尾先生は、厳しくしたことに対する反発力まで考慮に入れている。「こういうきつい言い方をしたら、反発して力を発揮するだろう」などというように。ですが、これは生成AIには無理なんです。無理というのは、技術的に無理ということです。AIを開発する際には、僕の専門分野である強化学習を使って、サービスレベルのモデルの場合には大半の場合、アライメントを行います。人間の価値観に則って、暴力的な言動を封じ込めようとする。そのプロセスで「反発がどう」というのも意図的に排除されているように見えます。そういうところまで含めた「人間のことを知る」というのは、生成AIでは難しい。━━けれどもそこに松尾先生、ひいては人間の良さがある、と。だいたい何カ月も経ってから気づくのですが。最近も3年前に言われたことについて「あれは正しかったな」と思うことがありました。具体的には「今井くんは世界のことが全然分かってない」と飲み会の帰りにぽろっと言われたんです。僕としては「東大の松尾研に入った人間だ」という自負があったので、当時は反発したのですが。博士課程を終え、いろいろな仕事をするようになった今「正しかったんだな」と気づきました。そういうスパンで、人間の本質を見抜いて、あえて厳しいことを言うというのは、AIにはできないと思います。理系であれ、文系であれ、そうした「人間の心理」をついた思考や行動ができる人、どんな時代がやってこようと「変わり続ける」覚悟を持った人が活躍できるのではないでしょうか。文/鈴木陸夫 編集/玉城智子(編集部)【書籍紹介】話題の生成AI、どこまでなにができる?
AIって結局、どんなしくみで動いているの?
最新テクノロジーで私たちの仕事は奪われる?
AIで働き方や生活がどう変わるのか知りたい…
そんな不安や疑問、そして未来への興味関心に応える
今井翔太さんの著書『生成AIで世界はこう変わる』(SBクリエイティブ)がベストセラー中!
●目次
第1章 「生成AI革命」という歴史の転換点――生成AIは人類の脅威か? 救世主か?
第2章 生成AIの背後にある技術――塗り替わるテクノロジーの現在地とは?
第3章 AIによって消える仕事・残る仕事――生成AIを労働の味方にするには?
第4章 AIが問い直す「創作」の価値――生成AIは創作ツールか? 創作者か?
第5章 生成AIとともに歩む人類の未来――「言語の獲得」以来の革新になるか?
特別対談 松尾豊×今井翔太 生成AI時代に求められるスキルとマインドとは?
今井さんよりコメント
:東大での活動で得たChatGPT等の言語モデル、拡散モデル、マルチモーダル、エージェント活用、労働/文化の影響の全知見を載せました!更に、師であり政府AI戦略会議座長の松尾豊教授との「師弟対談」も収録しています。ぜひご一読ください。