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崖に古墳、穏やかな水辺に驚く。市川~松戸の真間川・江戸川の景観【「水と歩く」を歩く】

さんたつ

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子どもの頃、江戸川区小岩の江戸川土手で父とよくキャッチボールをした。友だちと柴又の江戸川土手で四つ葉のクローバーを探したこともある。子ども時代に江戸川土手で遊んだ思い出はあるのだが、江戸川を越えて千葉県側に行ったのは、柴又から矢切の渡しに子どもだけで乗り対岸でやることがなく途方にくれた一度だけだった。葛飾区に育った私にとって、江戸川の対岸は近いけれど川で隔てられた別のまちだった。荒川の向こうの墨田区にはよく遊びに行っていたので、荒川はそこまで境界と感じていなかったのだろう。都県境を越えるのは少し勇気がいることだったのかもしれない。今回はそんな近くて別のまち、市川・松戸を歩いた。

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散歩の達人 2025年3月号

大特集は楽しくなりすぎる新しさ、ニュー・下町へ!「松戸・金町・亀有」。特別付録『松戸・金町・亀有 地元密着ベーカリーガイド』付き。第2特集は日本酒の王道、ここにあり。「年中燗酒主義」。

「真間の手児奈伝説」ゆかりの地を歩く

都内から京成線に乗り江戸川を越えて2駅目、市川真間(まま)駅からスタートする。

大正3年(1914)、京成電気軌道(現・京成線)が江戸川駅から延伸し、市川鴻之台駅(現・国府台〈こうのだい〉駅)、市川新田駅(現・市川真間駅)が開業する。当時は終着駅だったが、翌年の中山駅(現・京成中山駅)開業により途中駅となり、大正10年(1921)市川真間駅と改称された。開業当時、駅周辺には菊人形で有名な京成直営の遊園地「東華園」や創業者・本多貞次郎の邸宅もあり、京成電気軌道の中枢とも言える場所だった。

駅北側の市川市医師会の敷地内には、「本多貞次郎君寿像」と書かれた石碑がある。

「本多貞次郎君寿像」と書かれた石碑。

医師会館の隣には橙色の屋根が印象的な古い洋館のような建物が見える。昭和4年(1929)に京成電鉄社員倶楽部として建てられたものの竣工後まもなく葛飾瓦斯(現京葉ガス)の本社屋として使用され、1945年から個人宅となっているそうだ。

市川真間駅ホームからの眺め。

上野を起点とする京成本線は、台東区、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区といった東京のいわゆる“下町”と呼ばれる地域を走り、江戸川を渡って千葉県に入る。都内の区間は低地を走るため平坦な風景が広がるが、江戸川を渡る時にまず目に入ってくるのは里見公園や和洋女子大学などがある国府台の台地だ。車窓から見える地形の変化からも、東京都から千葉県に入ったことを実感する。

市川真間駅の北口を出て真間銀座通り、市川真間通りを経由して市川手児奈(てこな)通りを北に進むと真間川が見えてくる。気のせいか川沿いに建ち並ぶ住宅も、東京の下町と比べると敷地面積に幾分余裕があるように感じられる。市川ゆかりの文学者についての解説板などもあって、閑静な文教地区といった印象を受ける。

真間川に架かる手児奈橋。

市川手児奈通りや手児奈橋の名称からもわかるように、この辺りは万葉集にも詠まれた「真間の手児奈伝説」ゆかりの地だ。真間川を渡りしばらく歩くと右手に手児奈霊神堂(れいじんどう)がある。手児奈はその美しさから多くの男性に結婚をせまられ、誰かを幸せにすれば他の誰かを不幸にしてしまうと思い悩み、真間の入り江に身を投げたと伝えられている。その手児奈が祀られているのが手児奈霊神堂だ。

手児奈霊神堂。

以前手児奈霊神堂を訪れた時、ちょうど近くの小学校の下校時間と重なり、ランドセルを背負った学校帰りの小学生数人が境内のお地蔵様に駆け寄って、たわしか何かでゴシゴシ洗い始めるという光景を見た。地域の小学校でそのような指導が行われているのか、あるいは自発的にそうしているのかわからないが、今年の正月に初詣に訪れた際にも子どもたちがお地蔵様を洗っていたのを見た。

どこの街を歩く時もたいていその土地に古くからある神社や寺院をお参りすることにしているのだけど、それは私が特別信心に篤いわけではなく、車寅次郎が旅先で商売を始める前に地元のテキ屋の親分に挨拶するような、他人の“シマ”にお邪魔させてもらうための仁義に近い感覚だと思っている。

手児奈霊神堂のお地蔵様を洗う子どもたちを見たときも、私は手児奈の伝説が語り継がれてきた土地にお邪魔しているのだと感じた。

境内に古墳も!? まさに「真間」にある真間山弘法寺

手児奈霊神堂のすぐ北側には真間山弘法寺(ぐほうじ)がある。天平9年(737)行基菩薩が求法寺(ぐほうじ)として建立し、のちに弘法大師によって伽藍(がらん)が造営され弘法寺に改められたという。何より驚くのは、境内までの急な階段だ。

写真では伝わりにくい階段の角度。

市川市は下総(しもうさ)台地の南端に位置する東葛(とうかつ)台地と行徳(ぎょうとく)低地から成り立っていて、海抜15〜30メートルほどの高さの台地上には国府台、国分(こくぶん)、曽谷(そや)、若宮などのまちが広がる。真間は国府台の台地が低地に接する場所に位置しているので、急な斜面や崖が多い。「真間」の地名は「崖や急な斜面」を意味すると言われているが、弘法寺の急な階段はまさに「真間」を表す風景だ。

階段を上って振り返ると市川市中心部が見える。

弘法寺の境内には古墳があり、標柱には「全長四三メートルの前方後円墳で、築造年代は六世紀後半から七世紀前半と推定されています。台地の崩壊で現在は半壊状態になっています」と書かれている。

なんとなくこんもりとしている場所があるくらいにしかわからないが、周辺の法皇塚(ほうおうづか)古墳、明戸(あけど)古墳、丸山古墳などとともに国府台古墳群と呼ばれているそうだ。

弘法寺古墳。
中に入ることはできないけど、この辺が古墳?

弘法寺の高台から下る坂道もなかなか急で、両側の崖を見ると、再び「真間」の地名を思い出す。

写真では伝わりにくい急な下り坂。

ヴォーリズ建築に水神社、真間川から国府台へ

再び真間川が流れる低地に戻り、川沿いを歩く。右手にかわいらしい教会が見えてくる。千葉県教育委員会のウェブサイトによると、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)の設計により1955年に建てられた日本福音ルーテル市川教会会堂で、国登録有形文化財に指定されているそうだ。ヴォーリズの建築というと「大丸心斎橋店」の印象が強く関西に多いイメージだったが、このような市川の静かな住宅地に建つ教会を設計していたとは知らなかった。白い鐘楼(しょうろう)と丸い窓が真間川沿いの景色に馴染(なじ)んでいる。

真間川と国府台の台地とヴォーリズ建築。

真間川を西へ進むと江戸川との合流地点が見えてくる。ここまで来ると市川真間駅の隣の国府台駅が近い。

川の上を走る松戸街道と、その向こうに見える江戸川土手。

真間川の終点、江戸川との合流地点の脇に水神宮があった。東京東部にも水害防止を祈願するためと思われる水神社がいくつかあるが、江戸川縁に佇(たたず)むこの水神宮もおそらく同じような由来かもしれない。

真間川河口の脇にある水神宮。

真間川河口から少し戻って松戸街道を北に進む。松戸街道周辺は国府や国分寺が設置され古代から交通の要所として栄えてきた。今は和洋女子大学や千葉商科大学、国立国際医療研究センター国府台病院など教育機関や病院が建ち並ぶが、明治から終戦までは軍隊が駐屯していた。戦後、軍用地が国立病院などに転換されたことから現在のように教育機関や医療機関が集まる場所になったそうだ。

街道沿いを歩いていると、赤とクリーム色の配色がおしゃれなマンションが目に止まった。
市が設置した地図にも「文化の街かど情報」として“軍隊の街”についての記述がある。

「江戸俯瞰の地」。里見公園から東東京を見晴らす

松戸街道を左に折れてしばらく歩くと里見公園の入り口が見えてくる。15世紀にこの地に国府台城が築かれ、16世紀には里見氏・後北条氏による2度の国府台合戦の舞台となった。

園内には詩人・北原白秋が暮らした建物「紫烟草舎(しえんそうしゃ)」が復元されている。大正5年(1916)の夏から1年ほど、江戸川区小岩にあったこの離れで創作をしていたという。江戸川の改修工事のため解体されたが、市川市が所有者からの提供を受け、白秋が小岩に住む前に暮らしていた真間に近いこの地に復元されたそうだ。

紫烟草舎。

公園の南斜面下には高台では貴重な湧水「羅漢(らかん)の井」がある。高台にある国府台では井戸を掘るとなるとかなりの深さを掘らなければならず、飲用水を得ることが困難だった。弘法大師が発見したとも言われ、『江戸名所図会』にも井戸の周りに集まる人の様子が描かれている。ただし現在は「飲料には適しません」と丁寧に断り書きがある。

羅漢の井。

園内を高台の縁に沿って北に歩いていくと左手に突然風景が開ける場所があり、木々の間から東京の低地一帯を見晴らすことができる。普段自分が暮らす街を川の対岸、しかも高台から見るという経験は新鮮だ。江戸時代、国府台城が「江戸俯瞰の地」であることを理由に廃城になったことを考えると、現在この場所から東京を見渡す視線は、統治する者にとって脅威となりうるものだったのだろう。

東東京を一望できる。
高所の展望台のように眺めの解説板まである。

園内にはその他、明戸古墳石棺や市川市最高標高地点の碑などがあり、古墳付近の地形の凹凸も楽しめる。

市川市最高標高地点は30.1メートル。
明戸古墳石棺。

「辻切り」と、穏やかな水辺がある「幸せな公園」

里見公園から出ようと脇の道に出ようとしたら、ふと気になる掲示物を見かけた。近くにある国府台天満宮では毎年1月17日、悪霊や悪疫が地区に入るのを防ぐため、地区の四隅に藁(わら)で編んだ大蛇を飾る「辻切り」と呼ばれる行事が行われているらしい。「左手の公園出口を出たら、左に曲がり階段をおりていくと、右の木に悪霊を追い払うという〇〇(おそらく赤字で書いた大蛇の文字が消えている)がいます」と書かれていたので指示通りに行ってみることにした。

さ〜、見つかるかな?
見つかった。

階段を下りると、右の木におそらく大蛇だったであろう藁が吊り下げられていた。この日は1月初旬だったため、今年の「辻切り」が行われる直前だった。1年間地区を悪霊から守ってくれたためにこのような姿になったのだろう。今行けば1月17日に新しく作られたばかりの大蛇が見られると思う。

里見公園を後にして松戸街道に戻り、そこからさらに東へと進む。次第に下り坂となり、坂を下り切ったところにじゅん菜(さい)池緑地がある。この辺りはちょうど高台と高台に挟まれた谷津(谷戸)のような地形になっていて、谷間の底にあたる場所にかつて国分沼と呼ばれる沼があった。蓴菜(じゅんさい)がよく採れることから蓴菜池とも呼ばれていたが、昭和初期に何度も干上がり蓴菜も絶滅、戦後地元の人たちから元の姿を復元してほしいと要望を受けて現在のじゅん菜池緑地が整備されたそうだ。

画像生成AIに「幸せな公園の画像」と入力するとこの光景が出てくるのではないかと思う。

この日は週末の午後ということもあり、近所に住んでいると思われる人たちが多く散策しに来ていた。走り回る小さな子どもを追いかける親や、運動のために歩きに来たであろう年配の夫婦とすれ違う。天候も良く、水辺には穏やかで幸福な時間が満ちている。

幸せな公園2。
幸せな公園3。

松戸街道を北上し、北総線矢切駅へ向かう

じゅん菜池緑を後にして、再び松戸街道に戻る。松戸街道に出るまでの道は上り坂になっていて、改めてじゅん菜池が高台と高台の谷間にあたる場所にあったことを思い出す。

松戸街道を北に進み、北総線矢切駅に向かって歩く。途中変な時間におなかがすいてしまったので、何か軽く食べられるものを買おうとコンビニに寄った。あんまんを1個買って店の前で立ったまま食べ、舌を若干やけどしたまま松戸街道沿いを再び歩く。この辺が市川市と松戸市の境になるため、道路に掲げられた標識には片面に「これより松戸市  安全運転お願いします」、もう片面に「ここまで松戸市  安全運転ありがとう」という安全運転へのお願いと感謝の言葉が書かれている。

これより松戸市。
これまで松戸市。
近くには式場病院がある。

その近くに「式場病院」の看板が出ているのを見つけた。精神科医で創設者の式場隆三郎は民藝運動や山下清を後援したことでも知られている。東京深川の怪建築「二笑亭」についての記録『二笑亭綺譚』の著者としても有名だ。看板を見て思わず「おお、あの式場だ」と思ってしまった。後で調べたところ病院の敷地内には式場隆三郎家住宅があり、登録有形文化財(建造物)に認定されているらしい。こちらもいつか訪れてみたい。

しばらく歩くと左手に奇妙な形をした建築物が目に入る。近づいてみると円筒形の塔のような建物で、手前の柵にある看板には「栗山配水塔  登録有形文化財  土木學曾選奨土木遺産  登録有形文化財(建造物)」と書かれていた。昭和12年(1937)に建てられ、現在も現役で利用されているそうだ。真間川沿いのルーテル市川教会といい式場隆三郎家住宅といい、市川〜松戸は住宅地に突然何食わぬ顔をして「登録有形文化財」が現れる。

栗山配水塔。

しばらく配水塔を眺めたあと、再び松戸街道に戻る。北総線矢切駅近くの松戸街道沿いの風景はこんな感じだ。

少し前方に向かって下り坂になっている。
矢切駅前。

連載の第2回で訪ねた八潮の時もそうだったが、東京近郊のこうしたなんでもない風景に心を惹(ひ)かれる。

先日、写真家の大山顕さんが登壇する東京湾の埋め立て地についてのイベントに参加した際、大山さんが国木田独歩の『武蔵野』について「独歩は『武蔵野』を地理的な範囲としてではなく都市と非都市が衝突する場所を意味する言葉として使っていた。そのような意味では埋め立て地も『武蔵野』だ」というようなことを話していたのだけど、これを聞いて、私がこれまで興味を抱いてきた土地や風景もある種の「武蔵野」だったのかもしれないと気づいた。

実際独歩は『武蔵野』で「亀井戸の金糸堀のあたりから木下川辺へかけて、水田と立木と茅屋とが趣をなしているぐあいは武蔵野の一領分である」「東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があって武蔵野に相違ないことは前に申したとおりである」と書いている。東東京も独歩にとっては“武蔵野”だったのだ。

「都市とは?」「非都市とは?」「その境界とは?」と考えれば話はもっと複雑ではあるものの、自分自身の関心が都市の中心部よりも周縁的な場所に偏りがちなのは確かで、この連載第1回の佃島・月島・晴海、第2回の花畑・八潮と、埋め立て地や都県境を歩いてきた。今回の市川・松戸もそうだ。水辺を歩くということは、河川や海など水の流れによって別の場所とつながる際(きわ)を歩くことでもあり、それゆえ周縁・境界的な性格を帯びる土地とも重なるのかもしれない。

矢切駅前ロータリー。右手の碑には水上勉旧居跡と書かれている。

矢切駅に着くと、地下の駅構内に矢切の渡しで実際に使用されていた舟が展示されていた。いったいどうやって運び込んだのだろう。ちなみに矢切の渡しの船頭さんは世襲制らしい。葛飾区民なので柴又側からしか舟に乗ったことはないけど、矢切側から乗るのも面白そうだ。

陸で見る舟は迫力がある。

[追記]

2025年1月28日に埼玉県八潮市で道路陥没事故が発生した。「水と歩く」「『水と歩く』を歩く」第2回取材時に事故現場の近くも何度か歩いたので、報道の映像を見てすぐに「あそこだ」とわかった。

下水道使用の自粛呼びかけなど、地域や周辺自治体の人々の生活にも負担がかかる状況が続き、隣接する足立区や葛飾区、その他いくつかの自治体でも八潮市の住民が無料で銭湯を利用できるように開放する動きもあった。

一度歩いただけで、その街は知らない街ではなくなる。街の名前を聞けば駅前ですれ違った人々の姿や、立ち寄った店で聞こえてきた会話を思い出す。八潮を歩いた記事が公開されたその1週間後に事故が起きたことはまったくの偶然ではあるものの、八潮の風景に魅力を感じ、読んだ人にもいつか足を運んでほしいと思って記事を書いた以上、その後の出来事についてもここで言及しておきたかった。

行方不明となっている方の発見と現場で救出作業を行う方たちの安全を願うとともに、1日も早く周辺住民のみなさまの生活が元に戻ることを祈っています。私はまた八潮を歩きに行きます。

取材・文・撮影=かつしかけいた

【参考文献・URLなど】

市川市公式Webサイト「市川市景観基本計画」
https://www.city.ichikawa.lg.jp/cit01/1111000044.html

中津攸子監修『写真で見るわがまち市川』郷土出版社
https://www01.hanmoto.com/bd/isbn/9784863752566

市川市公式Webサイト「市川・真間界隈」
https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1551000030.html

明里「「旧京成電鉄社員倶楽部」京成市川真間駅と京成の深い歴史一市川真間(10)」Deepランド
https://deepland.blog/icikawamama-keisei/

千葉県公式HP「日本福音教会ルーテル市川教会会堂」
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/q111-007.html

三井住友トラスト不動産HP「このまちアーカイブス  千葉県  市川・浦安 1:「下総国府」の造営と自然景観~」https://smtrc.jp/town-archives/city/ichikawa/index.html

市川市公式Webサイト「里見公園」
https://www.city.ichikawa.lg.jp/gre04/1111000001.html

根岸英之「明治時代から大正時代の国府台公園(里見公園)」いちかわ発見伝 アーカイブ
https://ichikawahakkenden.jimdofree.com/20240708/

市川市公式Webサイト「じゅん菜池緑地」
https://www.city.ichikawa.lg.jp/gre04/1521000002.html

市川市公式Webサイト「式場隆三郎」
https://www.city.ichikawa.lg.jp/library/db/1003.html

松戸市公式HP「地域の水道を支え続ける貴重な近代遺産「栗山配水塔」」
https://www.city.matsudo.chiba.jp/matumado/h29/kuriyama_event.html

2.5 architects 「地先リサーチクラブ」2025年1月24日 会場:『YAU CENTER』ゲスト:大山顕
https://www.instagram.com/p/DE6TUmQSABJ/?igsh=MXFzZmw5aWw4b3R6dQ==

国木田独歩『武蔵野』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/329_15886.html

「矢切の渡し〜現在〜」
https://www1.edogawa-u.ac.jp/~tokim/00edogawakufw/kumno3.htm

かつしかけいた
漫画家・イラストレーター
葛飾区出身・在住の漫画家・イラストレーター。2010年代より同人誌などに漫画を発表。イラストレーターとしても雑誌や書籍の装画などを制作する。2021年よりWebコミックメ ディア「路草」にて『東東京区区』を連載中。

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