【グッと!地球便】青森県佐井村 18歳で漁師を目指し、岐阜県から移住した息子へ届ける家族の想い
今回の配達先は、青森県。高校卒業後、ひとり青森の秘境に移り住み、漁師になった家洞昌太さん(26)へ、岐阜県で暮らす父・雄一さん(57)、母・恭子さん(52)が届けたおもいとは―。
タラ漁の最盛期 全国的に有名なタラを求め、荒れる津軽海峡へ
昌太さんが暮らす佐井村牛滝地区は、青森空港から電車とバス、タクシーを乗り継いで約4時間。四方を山と津軽海峡に囲まれた秘境で、約100人いるこの地区の住民のほとんどが漁業に携わる漁師の町だ。
冬になると産卵のために陸奥湾へやってくるマダラは濃厚な白子が獲れることで全国的にも知られ、村の漁師にとってタラ漁の最盛期である12月・1月が1年のうちで一番の稼ぎ時。この2か月間は、昌太さんも朝6時からほぼ毎日荒れた津軽海峡へ向かう。多い時には1つの網で3000匹も獲れるといい、水深約60メートルから重い網を引き揚げるのはかなりの重労働。それでも昌太さんは、「キツいけど、魚が好きだから。魚を一番に見られるのが楽しい」と語る。
午前10時に港へ戻るとマダラの出荷作業に取り掛かり、すべてが終了すると、親方の家で昼ご飯を食べるのが佐井村に来て8年続く日課だ。
きっかけはおじいちゃん 漁師になるため「漁師縁組」で岐阜から青森へ
昌太さんは2017年に高校を卒業すると、18歳で佐井村に移住。漁師縁組をへて2022年、親方の会社に就職した。
「漁師縁組」とは漁師になりたい人材を募集して育成し、定住してもらおうという取り組みで、佐井村が技術の習得や生活を支援する事業。昌太さんは漁師になる方法を調べていたときにたまたま漁師縁組を知り、この村にやってきたのだった。
漁師になった一番のきっかけはおじいちゃん。幼い頃、両親が共働きだったため、愛知県犬山市にある祖父母の家で多くの時間を過ごした。周囲は田んぼや川ばかりだったので、さまざまな生き物を捕まえて遊んでいたが、中でも面白くて惹かれたのが、祖父と行った釣り。しかし、昌太さんにとって最愛の祖父は、昨年急逝する。あまりにも急な出来事だったため、最期のときに立ち会うことはできなかったという。
ある日昌太さんは、青森中の漁業関係者が集まる交流会に出席するため青森市へ。それぞれの地域の取り組みを審査する大会で、漁師縁組の活動について発表するという。最も優れた発表者は東京の全国大会に進出できるとあって、牛滝地区全員の期待がかかる中、昌太さんは岐阜から佐井村に移住して漁師になるまでを紹介した。
新規参入が難しいといわれる漁師の世界に、漁師縁組という独自の制度を利用して飛び込んだ昌太さん。「ここまで育ててくれたということもありますし、もっと仕事ができるようになって恩返しできれば。周りの若い人とも協力して、自分なりにできることをコツコツやっていきたい」と、自分を受け入れてくれた佐井村には並々ならぬ思いがある。そんな熱のこもった発表は見事、優秀賞に選ばれた。
実は、母・恭子さんが初めて昌太さんから漁師になると聞いたのは、高校の三者懇談のときで、突然のことに驚きを隠せなかったという。ただ、父・雄一さんは「俺はやる、という強い意志が見えたので、『じゃあ頑張ってこい』と言うしかなかった」と送り出した経緯を明かす。それから8年が経ち、今の生活を見て安堵した様子だが、恭子さんはひとつだけ、祖父について「ずっと昌太のことを気にしていた。地図まで買って一番行きたがっていたので、この姿を見せたかったというのだけが心残りです」と残念がる。
たったひとりで青森の秘境へ移り住み、漁師の世界で奮闘する息子へ、両親からの届け物は―
18歳でたったひとり青森の秘境へ移り住み、漁師の世界へ飛び込んで奮闘する息子へ、届け物は両親特製のアルバム。そこには漁師を志すきっかけとなったおじいちゃんと昌太さんの姿がたくさん収められていた。
母の手紙には、親として今も応援と心配の感情が入り混じっていることが率直に綴られ、昌太さんは「普段こういう話は絶対しないので、こう思ってくれていてすごくありがたいです。より一層頑張らないといけないし、今まで以上にしっかり気をつけて、安全に仕事をしていきたいなと思います」と力を込める。そして「自分はやっぱりこの仕事に誇りを持ってるので、今更逃げたり、違うことをしたりっていうのは今は考えていない。なので、これからも皆さんに恥じないような仕事、ずっとこの漁師という仕事を続けていきたいなと思っています」と決意を新たにするのだった。