岡田有希子「ファースト・デイト」コンセプトは “六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん”
岡田有希子デビュー40周年!7インチシングル・コンプリートBOX 発売記念コラム vol.1
A面:ファースト・デイト
作詞:竹内まりや
作曲:竹内まりや
編曲:萩田光雄
B面:そよ風はペパーミント
作詞:田口俊
作曲:大村雅朗
編曲:大村雅朗
84年組の岡田有希子は、デビュー40周年
ずっと前からチャンスを待ち続けてきたの
クラスで一ばん目立たない私を
選んだ理由(わけ)は なぜ?
―― 岡田有希子「ファースト・デイト」より
ユッコこと岡田有希子さんがシングル「ファースト・デイト」でデビューしたのは1984年4月21日。そう、今年は彼女のデビュー40周年である。世にいう “84年組” だ。同期は、菊池桃子、倉沢淳美、荻野目洋子、長山洋子、吉川晃司ら。思えば、デビュー時点のユッコは特に目立つ存在ではなかった。その意味ではデビュー曲は彼女のイメージにピタリと合っていた。
実は、筆者もユッコと同じ1967年度の生まれである。当時、高校2年になったばかりの僕は、同学年のアイドルがデビューしたのを知り、ほんの少し親近感を抱いたのを覚えている。思えば、物心ついてからアイドルはずっと年上だった。保育園の時は天地真理に憧れ、小学生に上がるとキャンディーズのランちゃんに夢中になった。中学時代は聖子ファンを自認しつつ、伊藤つかさと伊藤さやかのW伊藤にも触手を伸ばした。みんなお姉さんだった。それが―― 気が付くとアイドルが同学年になっていた。
だが、その時の僕は、“岡田有希子” という存在に、それ以上の関心を持つことはなかった。いや、僕を責めないでほしい。俗に、歴史は縦軸(時間軸)と横軸(空間軸)の2つの視点で見よと教えられる。例えば、日本の戦国時代は、欧州では大航海時代にあたり、ゆえにポルトガルから種子島に鉄砲が伝わり、日本の天下統一が早まったと。同様に、アイドルの歴史も横軸―― 同時代に活躍した他の世代のアイドルらの活躍も俯瞰して見ないと、真実が見えない。
100%のアイドルソングにノックダウンされた1984年
そう、1984年と言えば―― 1月に中森明菜が「北ウイング」で新たなステージへ乗り出し、続く2月は松田聖子が「Rock’n Rouge」をリリース。久しぶりの明るいポップチューンに世の中が華やいだのを覚えている。3月にはキョンキョンが「渚のはいから人魚」で弾け、その100%のアイドルソングにクラスの男子は軒並みノックダウンされたっけ。当時のアイドルの歴史は『ザ・ベストテン』(TBS系)を軸に動いており、84年組に光が当たるには、もう少し時間が必要だった。
そんな中、最初に84年組で “見つかった” のが吉川晃司さんだった。デビューと同時期に封切られた映画『すかんぴんウォーク』(監督:大森一樹)で主役を張り、その挿入歌にしてデビュー曲の「モニカ」がスマッシュヒット。同期で『ザ・ベストテン』に一番乗りすると、2ヶ月に渡りランクインした。
それを追うのは、菊池桃子さんだった。こちらもデビュー前にヒロインを演じた映画『パンツの穴』(監督:鈴木則文)で一躍脚光。更に彼女をイメージしたアイドル雑誌『Momoco』(学研)も創刊されるなど、早くもトップアイドルの波に乗ろうとしていた。
倉沢淳美さんは、既に『欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの!)』(テレ朝系)から生まれたユニット “わらべ” の “かなえ” としてブレイクしており、お茶の間の知名度で同期を圧倒していた。荻野目洋子さんも女優・荻野目慶子の妹というアドバンテージに加え、自身も中学2年でアニメ『みゆき』(フジテレビ系)のヒロイン・若松みゆき役に抜擢され、芸歴で一歩リードしていた。長山洋子さんも子供時代から民謡歌手として知られ、歌唱力には定評があった。
「スター誕生!」の決戦大会で合格
そんな華々しい同期たちに囲まれ―― デビュー時点のユッコが今ひとつ目立たなかったのは事実である。彼女は、高校入学直前の1983年3月末の『スター誕生!』(日本テレビ系)の決戦大会で合格してデビューの切符を掴んだクチ。とはいえ、同番組はとうにピークを過ぎており、視聴率も低迷(結局、83年9月で番組は終了)。彼女の決選大会はテレビ放送すらされず、名物のプラカードの演出もなく、合格通知は高校入学後に電話で知らされる有様だった。
その一方、彼女は素晴らしいスタッフに恵まれた。レコード会社はキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)である。制作を統括したのが、加山雄三&ザ・ランチャーズのベーシストとして鳴らした名物プロデューサーの渡辺有三さんで、彼の下でユッコを担当したのが、ミュージシャン経験のある入社3年目の同社初の女性ディレクター・飯島美織(旧姓) さんだった。年の近い2人はすぐに打ち解けたという。
そして事務所は、松田聖子や早見優らも所属するサンミュージックだ。社長の相澤秀禎さんは温厚な人柄で知られ、新人アイドルは成城にある自宅の2階に住まわせるのが慣例だった。ユッコも相澤一家に優しく迎え入れられたという。実は筆者も1986年の初夏、ユッコのお線香を上げに成城の相澤宅を訪問したことがあり、その際、社長の奥さまの優しさに触れ、心が安らいだのを覚えている。
コンセプトは “六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん”
デビューにあたり、ユッコに付けられたキャッチフレーズは “ステキの国からやって来たリトル・プリンセス” 。そして、デビュー曲は、竹内まりや作詞・作曲の「ファースト・デイト」に決まった。まりやさんの起用は、渡辺有三プロデューサーのたっての希望だったという。
というのも、渡辺Pがユッコを売りだす際、制作陣で共有するコンセプトとして考案したのが “六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん” だった。これ、今聞いても具体的で、物語性を感じるのがいい。幼稚舎上がりの生粋の慶応ボーイである彼は、そのコンセプトを具現化してくれるのは、まりやさんしかいないと、慶応の後輩にあたる彼女に楽曲を依頼したのである。
実際、まりやさんの音楽の原点は、幼少期に慣れ親しんだ60年代の欧米ポップスにあった。ニール・セダカの「カレンダー・ガール」や「すてきな16才」、コニー・フランシスが歌った「ボーイ・ハント」や「渚のデイト」などを浴びるほど聴いた彼女は、大人になってポップなボーイ・ミーツ・ガールの紡ぎ手になった。耳馴染みのいいメロディに、物語性のある歌詞を乗せるのが、まりや節である。
この時点で、デビュー3部作をまりやさんで行く方針は決まっていたらしい。そこで、彼女がユッコのために書き下ろしたのが、「ファースト・デイト」「リトル プリンセス」「恋はじめまして」等々、すべて “ティーンエイジ・ラブ” がテーマの楽曲たちだった。どれもユッコのイメージにピッタリの名曲ばかり。飯島ディレクターはこの先のシングルやアルバムで適宜使うべく、それらをストックする。
ドラマチックな息吹を感じた「ファースト・デイト」
デビュー曲を「ファースト・デイト」で行くと最終的に決めたのは、渡辺プロデューサーだった。マイナー調だがメロディが印象的なのと、詞の世界観が繊細で、物語性を感じるからと。アイドルのデビュー曲と言うと明るいメジャーな楽曲が多い中、それらと差別化する狙いもあったと思われる。何より、やや憂いを帯びたユッコの声質がバツグンに合っていた。彼女が持てる歌唱力を十分に発揮できる楽曲でもあった。
誰にも優しい あなたのことだから
土曜のシネマに 誘ってくれたのも
ほんの気まぐれでしょ
それなのに WAKU WAKU 心騒ぐ
恥ずかしながら、僕が同曲を聴いたのは、デビューから1ヶ月もあとの5月下旬だったと記憶する。ある日、部活の帰り(僕は水泳部に所属していた)、部活仲間とゲームセンターに立ち寄ると、壁に岡田有希子のデビューポスターが貼られていた。それを見たYクンが、僕にこう教えてくれたのだ。
「あっ、この歌、歌詞がバツグンにいいとって」(*博多弁)
歌詞がいい―― 正直、それまでアイドルの楽曲を “歌詞” で聴く習慣がなかった僕は、一瞬「ん?」となった。だが “あの岡田有希子が…” という個人的な思いもあり、早速手に入れて聴いたところ、これが本当によかった。特に2度目のAメロから始まる歌詞にドラマチックな息吹を感じた。
ずっと前からチャンスを待ち続けてきたの
クラスで一ばん目立たない私を
選んだ理由(わけ)は なぜ?
まるで夢みたいよ
僕は、それまでアイドルの楽曲は、主に抽象的なフレーズや台詞で構成され、サビでキャッチーなタイトルを連呼するものだと思っていた。それらがポップなメロディに包まれ、1つの楽曲が完成すると。だが、「ファースト・デイト」は違った。“ストーリー” があったのだ。憧れの人から土曜の午後(※当時は半ドンである)の映画に誘われたクラスで一番目立たない女の子――。そんな彼女の夢心地の “初めてのデイト” の詳細な様子が綴られていた。
たそがれになる頃
少しだけSOWA SOWA
伏し目がちにあなた
"送ってゆくよ" と さり気なくつないだ
手と手が震えて おしゃべりが途切れる
メロディもよかった。マイナー調だが、耳に馴染んで覚えやすい。いわゆる “まりや節” である。思えば、僕らがまりやさんのメロディメークの才能を知ったのは、1982年に河合奈保子に提供した「けんかをやめて」が最初だった。奇遇だが、ユッコ自身も奈保子さんに憧れてアイドルの道を志した経緯があり、この3人の関係性に絶妙な運命を感じる。
10代特有の仕草や心情が、どこか懐かしいメロディに乗せて綴られている「そよ風はペパーミント」
ところで、当時、僕は「ファースト・デイト」のメロディを聴いて、どこか “70年代のアイドルソング” の匂いを感じたが、その解釈は正しかった。そもそも日本のアイドル歌謡は、60年代の欧米ポップスに源流があり、まりやさんのメロディメークもそこを起点としていた。つまり、両者はルーツが同じだったのだ。
そうそう、それで驚いたのが、B面の「そよ風はペパーミント」だった。こちらも、どこか懐かしいメロディメーク。僕はてっきり、これもまりやさんが書いたものだと思っていた。でも、クレジットを見ると “作曲:大村雅朗” とある。えーっと、誰だっけ―― そうだ、聖子さんの「SWEET MEMORIES」を作曲した人だ!(※作詞は田口俊さん)
半袖のシャツ とおりぬけてく青いそよ風が
髪をゆらすのが好き
でもそれよりも あなたがいつも指でこの髪を
からめる仕草が好き
ときめくの
失礼ながら、それは思わぬ収穫だった。「ファースト・デイト」目当てに手に入れたはずが、B面も素晴らしいクオリティ。恋に歩み出した10代特有の仕草や心情が、どこか懐かしいメロディに乗せて綴られている。このクオリティの源泉はなんだろう。当時はそこまで思いが至らなかったが、今なら分かる。それは―― 渡辺Pがユッコを売りだすために考案したコンセプト “六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん” に他ならない。その具体的な設定が、まりやさんを始め、B面を担当した大村さんや田口さんのクリエイティブも導いたのだ。
「ザ・ベストテン」、今週のスポットライトに登場
その日から、僕は岡田有希子―― ユッコに夢中になった。そして神様の贈りものか、同じ週の『ザ・ベストテン』に、彼女は同期の菊池桃子さんと共に “今週のスポットライト” に出演して、デビュー曲を歌った。初めて映像で見る「ファースト・デイト」は、また格別だった。
もしかしたら、アイドルとしての資質は桃子さんのほうが上かもしれない。でも、楽曲のクオリティは間違いなくユッコの方が上回っていると、僕は感じた。アイドルとは本人の資質に加え、歌唱力、そして何より楽曲のイメージが本人と重なって完成する、ある種のキャラクター商品(総合芸術)だとすれば、岡田有希子ほど完璧なアイドルはいないのではないか。
好きよとひとこと いつか打ち明けたい
こんなに切ない気持ち
初めてだから
岡田有希子が大晦日の『輝く!日本レコード大賞』(TBS系)で、84年組のトップを飾る最優秀新人賞を受賞するのは、この7ヶ月後である。
エースは遅れてやって来る、ってね。
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