【ミリオンヒッツ1994】最大セールスを記録した松任谷由実のアルバムには暗い影が忍び寄る
ワールドミュージックに傾倒した90年代のユーミン
1980年代後半から1990年代にかけて、ユーミンのアルバムはバブル経済とリンクするようにメガヒットを記録していた。1990年のアルバム『天国のドア』は日本人初の200万枚を売り上げ、さらに1991年のアルバム『DAWN PURPLE』は初動でミリオンを記録するという快挙を成し遂げている。
90年代のユーミンはワールドミュージックに傾倒しており、『天国のドア』に収録の「満月のフォーチュン」「時はかげろう」「残暑」などは、ワールドミュージックのエッセンスがたっぷり入ったアレンジが特徴的だ。次作『DAWN PURPLE』に収録の「インカの花嫁」は、ユーミンが南米ペルーのマチュ・ピチュを訪問した際、インカ帝国の皇帝に仕えた女性 “太陽の処女” にインスパイアされた1曲だという。
また、ユーミンが “イタリアン・ツイスト” と命名し、キャリア最大のヒット曲「真夏の夜の夢」を収録したアルバム『U-miz』にも、アメリカの南西部に先住するナホバ族をテーマにした「HOZHO GOH(ホジョンゴ)」という曲が収録されている。
ユーミン最大の売上になった「THE DANCING SUN」
今回ご紹介する『THE DANCING SUN』は、1994年11月25日に発売されたユーミン最大の売上枚数を記録したオリジナルアルバムで、「Hello, my friend」「春よ、来い」といった2大ミリオンヒットが収録されている。タイトルの『THE DANCING SUN』はインディアンの部族が行う自然復活と和平祈願の最大の儀式である “サン・ダンス” に由来している。
ユーミンのアルバムには毎回しっかりとしたコンセプトが掲げられていたが、このアルバムに関しては表立ったコンセプトはなかった。しかし、タイトルとジャケットのアートワークだけで、どこか遠い国の祈祷のような神秘的なマインドを感じる。ジャケットを手がけたのはアーティストの横尾忠則で、打ち合わせだけでも2年間かけての制作だったそう。
アルバム発売とほぼ同時に開催されたコンサートツアー『INTO THE DANCING SUN』のコンサートグッズにも、ジャケットをイメージしたイラストが使用されており、筆者も当時、スウォッチやネクタイなどのグッズを購入したのを憶えている。
ユーミンからの “時代への警告” でアルバムはスタート
『THE DANCING SUN』が発売された翌年の1995年。1月には阪神大震災、3月には地下鉄サリン事件などもあり、バブル崩壊後の日本に暗い影が押し寄せていた。そんな世の中を予見していたかのようなロックナンバー「Sign of the Time」でアルバムはスタートする。
恋人たちのすれ違いを歌った内容ではあるが、ユーミンからの “時代への警告” とも深読みをすることができる。アルバムの1曲目にはポップで軽快なナンバーが収録されることが多いのだが、「Sign of the Time」のようなマイナーコードのロックナンバーが収録されるのはとても珍しい。コンサートで頻繁に歌われる曲ではないが、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018』に出演した際に、オープニングナンバーで歌われたのはこの曲である。
キリンラガービールのCMソングとして起用された「GET AWAY」
2曲目に収録されている「砂の惑星」はワールドミュージックのエッセンスが色濃く出た1曲だが、ドラマ『私の運命』の前期主題歌として起用され、ドラマと共に話題になっている(後期主題歌は「命の花」)。「砂の惑星」はコンサートではエキゾチックな演出で歌わることが多く、2003年の『YUMING SPECTACLE SHANGRILA Ⅱ〜氷の惑星〜』や、2018年のツアー『TIME MACHINE TRAVELING THROUGH 45 YEARS』での大掛かりな演出で観客を魅了した曲だ。
3曲目の「Good-bye friend」はドラマ『君といた夏』の挿入歌に起用された曲で、サビのメロディは「Hello, my friend」と同じだが、まったく印象の違う1曲になっている。アイルトン・セナへの鎮魂歌として作られた曲としても有名である。
4曲目の「Bye bye boy」はあまりクローズアップされることのない1曲だが、ユーミンらしいポップな失恋ナンバーだ。彼の心変わりを “ゆるせない” と言いながらも、それでも好きな気持ちが揺れ動く主人公の心情が描かれている。
5曲目の「GET AWAY」は、キリンラガービールのCMソングとして起用された1曲だが、荒井由実時代の「きっと言える」や「中央フリーウェイ」を彷彿させるような非常に難解なコード進行だ。しかし聴いている人にはその難解さを感じさせないところはさすがユーミン!ちなみにキリンラガーのCMソングは「情熱に届かない〜Don't Let Me Go」「無限の中の一度」「二人のパイレーツ」に続く起用になる。
苗場プリンスホテルCMソングとして起用された「Oh Juliet」
6曲目はミリオンセラーになった「Hello, my friend」。ドラマ『君といた夏』の主題歌に起用されユーミンの代表曲だ。Spotifyにおける松任谷由実のトップトラックは断トツでこの曲なので、若いリスナーからも広く愛されている1曲ということだろう。
7曲目の「RIVER」はほとんどクローズアップされない曲だが、筆者はこのアルバムの中でこの曲が一番気に入っている。8曲目の「Lonesome Cowboy」と共に、どこか暗い影を忍ばせたこの2曲はクローズアップこそされないが、当時のユーミンの精神世界を垣間見れる重要な曲かもしれない。
9曲目の「Oh Juliet」は苗場プリンスホテルCMソングとして起用された曲だが、それまでに「届かないセレナーデ」「Man In the Moon」「タイム リミット」「ミラクル」が起用されており、それに続くタイアップ曲だ。
そして、アルバムのラストを飾るのは「春よ、来い」。もはや国民的な1曲となったこの曲はひとり歩きをし、ユーミンが目指すところの “詠み人知らず” の曲として遠い未来に口ずさまれることだろう。
その後もユーミンのワールドミュージックへの探求は続き、次作のアルバム『KATHMANDU』で頂点を迎えることになる。アルバムには、大ヒット曲『輪舞曲(ロンド)』をはじめ、ワールドミュージックのエッセンスたっぷりな楽曲が収録されている。
混沌とした世界情勢の現代にフィットする「THE DANCING SUN」
90年代のユーミンは、三菱自動車、西武グループ(苗場プリンス)、キリン等の大企業が
バックアップしており、“ユーミン” という存在がもはや巨大プロジェクトのひとつになっていた。しかし、そんなプレッシャーをものともせず毎年ミリオンセラーを連発し、半年に渡り続くコンサートツアーを継続していたのだから、精神的にも体力的にも相当負担だったと思われる。
出る杭は打たれるとはよく言ったもので、当時ユーミンへのバッシングも相当酷かった。昨年、ユーミンのラジオ番組にゲストで出演した小室哲哉のことを “戦友” と呼んでいたが、90年代のメガヒット時代をトップで戦ってきた2人にしかわからない苦悩があったはずだ。
今回ご紹介した『THE DANCING SUN』は、ユーミン最大の売り上げになったオリジナルアルバムではあるが、全体的にどことなく暗い影が忍び寄る作品だ。世紀末に向けて世の中の暗いムードが反映されていたのかもしれないが、90年代は現代に比べればまだ元気な時代だった。むしろこの『THE DANCING SUN』は混沌とした世界情勢の現代にフィットする、こんな時代だからこそ今一度じっくり聴いていただきたい作品だ。