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曽我部恵一×椿正雄が語る下北沢とレコード愛。「世界全体の音楽の好みの傾向は、誰よりも俺たちが知っている」

さんたつ

下北レコード8フラッシュ・ディスク・ランチ

40年以上の歴史を誇る老舗『フラッシュ・ディスク・ランチ』の店主・椿正雄さんと『CITY COUNTRY CITY』オーナー、サニーデイ・サービス曽我部恵一さんが初対談!下北沢と音楽、そしてレコードと深く関わってきた二人が熱く語り合う。『散歩の達人』2025年1月号掲載の対談をWeb限定ロングバージョンでお届けします!

椿 正雄

1958年、下北沢生まれ。82年に中古レコード店『フラッシュ・ディスク・ランチ』を開業。『レコードコレクターズ』(ミュージック・マガジン)で連載を行ったり、アナログ盤洗浄液を手掛けるなど、幅広く音楽に関わる。

曽我部恵一

1971年、香川県出身。92年にロックバンド、サニーデイ・サービスを結成し94年にメジャーデビュー。2004年に自身のレーベル「ROSE RECORDS」を、2007年にはオーナーを務める『CITY COUNTRY CITY』を開き、下北沢に根付き活動している。

ただのお店というだけじゃない魅力があった

『フラッシュ・ディスク・ランチ』店内。

——(早速、地元トークに花を咲かせる姿を見て)お二人は親しいご関係なのですね! 出会いはいつ頃ですか。

曽我部 1991年くらいですかね。レコード屋は渋谷に行くことが多かったんですが、下北沢の『フラッシュ・ディスク・ランチ』(以下『FDR』)に行ってみようとなって。高校生の頃『ミュージック・マガジン』に掲載されていた椿さんの手書きの広告がとても好きで。ただのお店というだけじゃない魅力がありました。当時はネットもないし、下北沢って街がそもそもどういうところか分からなかったので、どんな店なのかも想像がつかない感じでした。最初に行ったときはとにかくジャンル問わずレコードがたくさんある店だなという印象でした。

椿 初めて来てくれたのはお店が広くなってからかな?

曽我部 昔は今の半分くらいの広さだったんですよね。その頃に行っていると思うな。

椿 広くしたのは何年だっけな(笑)。95年くらいだったと思います。当時は狭くてもっとレコードが密集していた。

曽我部 人が入るとけっこうギュウギュウだったという記憶があります。

—— 椿さんが『FDR』を始められたきっかけを教えてください。

椿 大学1年生のときにレコード屋でバイトを始めたんです。その店はもともと大阪のレコード卸の直営店で「DUN」という店。店長の古谷さんはカントリーが好きな方で、当時は自分と真逆の趣味だと思っていたんだけど、店内で聴いているうちにある時フッと自分に入ってくるときがありました。古谷さんにはいろいろな音楽を教えてもらいましたね。

そして、あれは78年だと思うんだけど、ボビー・コールドウェルが1stを出して、店長の古谷さんがこれは売れると200枚くらい頼んでね。他のお店は少量で発注しているからどこも品切れ、どんどんうちの在庫が減っていった。それがかっこいいなと思ったのが最初ですね。

曽我部 なんと、偶然ですが僕も昔そのLPを『FDR』で買ってますよ!

椿 そこからお客さんが喜んで買うのは楽しいってことで夢中になって、大学を辞めて社員になったんです。意気揚々と古谷さんの下で働くつもりだったはずが、東京に卸の営業所ができてそこに配属されたんです。しばらくすげえ腐ってたんですけど、そのときの卸の経験は今でも役立ってますね。

—— その後、82年に下北沢に『FDR』を開かれた。

椿 渋谷の『マンハッタンレコード』はアメリカで買い付けているということで有名で、実際欲しいレコードが多かった。アメリカに行けばいいレコードが安く揃うと思って会社も辞め、2カ月間、アメリカに行き60本くらいライブを見てレコードを何百枚か買ってお金を使い果たして、帰ってきてバーテンをしていたところを、お前何やってんだと言われて、じゃあちゃんと仕事すればいいんだなと。店を始めることにしたって感じですね。

—— それが24歳のときなんですね。

椿 計画的なタイプじゃない(笑)。2回目の買い付けが一番大変だった。お金がなくて移動中にパーキングエリアで車で寝たり。車の免許もね、あっちで取ったんです。

『フラッシュ・ディスク・ランチ』店内の良音の秘訣はギターアンプ「ローランドJC」用スピーカー。

—— 下北沢に店を開いたのは、どうしてですか。

椿 最初、渋谷で探したんですよ。当時『タワレコ』ができてレコード好きはみんな行っていた。でも家賃が高くていっそ地元ならって。大変な目に遭ったとしても我慢できるんじゃないかと。

曽我部 小学校も下北沢ですか?

椿 代沢小です。

—— 文字通り生まれも育ちも! では、曽我部さんの『CITY COUNTRY CITY』(以下『CCC』)はどのように生まれたのでしょう。

曽我部 『CCC』店長の平田さんは昔『ディスクユニオン』にいた人で、スゴく仲が良かった。彼は下北でレコード屋として独立したいという話をずっとしていて。この街でやるんだったら夜はバーをやって、昼間はレコード屋さんをやってみたら? みたいな話をしたんです。そしたらなんとなく、じゃあバー担当を……と、一緒にやる話になっていました。

『CITY COUNTRY CITY』店内。

—— 下北沢でお店をやっていて気づくことなどありますか?

曽我部 どこのお店もそうかもしれないですけど、『CCC』は外国人の方が本当に多い。意外と海外のレコードを買っていきますね。ヨーロッパの人たちはダンスミュージックの12インチが好きみたい。アジアの方はシティポップですね。

椿 多分、世界の全体的な音楽の好みの傾向って誰よりも俺たちが知ってるよね。

曽我部 確かに。そうかもしれません!

アメリカで車を覚え、バンも購入。『フラッシュ・ディスク・ランチ』の買い付け方法とは?

—— レコード店は買い付けが大変そうですよね。

曽我部 レコード屋の話を聞いているとやはり買い付けが好きな人と嫌いな人、向き不向きがあるみたいですね。椿さんは好きですか?

椿 俺は好きなんだよ。車も向こう(アメリカ)で覚えました。

曽我部 えっ?

椿 最初にアメリカに行ったときに免許を向こうで取ったんです。日本人のドライビングスクールがあって、スクールと言いながら学校ではない。車で来てくれて、助手席にハンドルを挿す穴とブレーキが付いててね。それで郊外で練習するわけです。

曽我部 僕も向こうで免許を取った友達の話を聞いて、なんじゃそれって思っていました。アメリカではトラックを借りるんですか?

椿 最終的には自動車を持っていましたね。最初は乗用車で次にステーションワゴン。1.5tの大きなバンも持っていました。大体ロスに行くのですが、少し遠くのパーキングがあって長期とめておいても安いんですよ。

曽我部 それはお一人で行かれるんですか?

椿 基本はそうですね。以前はあちらにも家を借りていて、アメリカ人のディーラーとシェアしていました。多いときは年に10回近く買い付けに行っていました。

曽我部 西海岸オンリーですか?

椿 最初はロス以外にもサンフランシスコ方面などに行っていたのですが、だんだんロスでこなさないといけないことが増えてしまって。いっぱいレコードを持っているディーラーさんがいるから、そこで徹夜で作業したりしてね。

曽我部 そういうときのお会計はどういう方式なんですか? まとめ買いですか?

椿 まとめてだったら話が早いんだけど、俺が値付けをしていく。その作業に時間がかかるんですよね。

買ったレコードを大切にしてくれることがうれしい

『FDR』は、映画『PERFECT DAYS』のロケ地としても話題。そのせいでこんな張り紙も。

—— 下北では91年にライブハウスの『SHELTER』がオープンしています。

曽我部 90年代というともう30年以上前だ! もっと古いのは『ロフト』ですかね。

椿 最初は『ロフト』。その後もいろいろな店ができていった。レコード店だと『レコファン』が81年で『イエローポップ』も81年かな。うちが82年。そして『ディスクユニオン』が83年。

曽我部 音楽好きがもともと多いですよね。遊びに来る人も住んでる人もそう。

椿 俺よりもちょっと上ぐらいの世代にも金子マリさんなどミュージシャンが多かった。実は、ベーシストも多いよね。あと、照明屋さんもいた。下北沢照明部と言われていたんですよ。携帯がない時代は「明日出られる照明さん誰かいない?」って飲み屋に電話が来た(一同、驚き)。

—— 70、80年代にすでに音楽好きが集まる素地があったんですね。曽我部さんも2004年にレーベル「ROSE RECORDS」をこの街で設立されました。

曽我部 自分の住んでいる街で仕事したいなと思ったんです。居心地の良さというか、ちょっとした下町っぽさもあるけど、僕には文化的な街。文化に携わる人たちが暮らしてて、ごはん食べたり飲んだりしてる。そういう方たちが毎晩どっかで何かをやってる。住んで長いけど、いまだに下北に憧れみたいなものがある。

椿 下北沢の人にはレイヤーがあるんですよね。一番ボトムになっているのは、朝に街を掃除している、まさに地元の人たち。その時間帯しか見ることができないレイヤーですね。そういう人たちも今70、80代くらいになってるからあんまり出歩いていないけど、本当の下北沢のネイティブは誰かっていうとそういう方々なんです。その次に古いのが文化的な人たちかなあ。

曽我部 なるほど。そういうことですね。先ほどお話に出た照明屋さんやベースの人たちがまさにそのレイヤーですね。

『フラッシュ・ディスク・ランチ』店内。

—— 素敵ですね。最後に、改めてレコードの魅力をお聞かせください。

曽我部 レコードが好きだから僕は自分の曲もアナログで出したいし、新譜もレコードで買いたいと思っています。なるべく手元に持っておきたいんです。

—— 椿さんはいかがでしょう。

椿 店を始めるとき、資金の問題で自分のレコードは断腸の思いで全部売ったんです。友達にうちに来て買ってもらって。そのときからもうレコードを買う人の気持ちは少しずつ分からなくなっていった。

曽我部 レコードを売る方ってみなさん自分では持たないと言いますね。それがプロだと僕も思っていて。命をかけて売ってるというと大げさですけど、めっちゃリスペクトしてるんですよ。

椿 さっきの話は後日談があって、10年以上経って友達の家に行ったらそのレコードを見つけたんです。俺が売ったときとほぼ同じ状態で。それを見たときはうれしかったですよ。大事にしてくれてるんだなっていう。

曽我部 うわー! いい話ですね。

—— レコード愛を感じました。

椿 ……最近、俺ってレコード好きなのかなって思うことがあるんだよ。ウチでボロいレコード買ったことないでしょ?

曽我部 ああ、確かにそうですね。

椿 あれは直してるんです。レコード1枚の針飛びを2時間くらいかけて直して値段2000円とかで売ったりしている。時間に見合わないことをしているのは分かっているんだけど、つい。

曽我部 おお〜!

椿 手を掛けずに安価で売った方がいいよなと思うんだけど、気がついたら直してる。自分でもよく分かんないですよ。ちゃんと聴けるものを2000円で買ってもらったほうがいいと思って。

曽我部 うんうん。

椿 レコード愛を感じますと言われて、全然こっちはうなずいてない(笑)。でも、もしかしたら、そうなんだろうなって。

曽我部 最高のお話を聞かせていただきました!  ありがとうございました。

『フラッシュ・ディスク・ランチ』

もともとは今の広さの半分だったという店は、90年代中頃、隣が空き家になったことを受け増築。解体屋以外の作業は自分たちでDIYしたというから驚きだ。「毎日いるところが嫌な音だと嫌じゃない」と椿さん。スピーカーひとつにも物語があるように、長く下北沢を見守ってきた店には、そこかしこに想いが宿る。

12:00~20:00、水休。
☎03-3414-0421

『CITY COUNTRY CITY』

曽我部さんが店長の平田立朗さんとともに始めたレコード店兼カフェバーはオープン以来、多くの音楽好きに愛されてきた。「アメリカの方がアメリカのレコードを買っていく。それだけセレクトを気に入ってもらえているのかも」と、曽我部さんが話すように、海外からの注目度も高い。もちろんサニーデイ・サービスのアナログ盤も買えちゃいます!

12:00~22:00、水休。
☎03-3410-6080

取材・文=半澤則吉 撮影=井原淳一
『散歩の達人』2025年1月号より(一部加筆)

半澤則吉
ライター
1983年福島県生まれ。ライター、朝ドラ批評家。町中華探検隊隊員。高校時代より音楽活動を続けており、40歳を迎えた今もライブハウス、野外フェスに足を向けることも多い。

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