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1980年代 東京モッズシーンのはみ出しもの【ザ・シャムロック】山森正之インタビュー

Re:minder

1988年05月21日 ザ・シャムロックのファーストアルバム「Who Loves Me?」発売日

スリー・ストーリーズ by Re:minder
ザ・シャムロック ② 1980年代 東京モッズシーンのはみ出しもの【ザ・シャムロック】山森正之インタビュー

ザ・シャムロックがポニーキャニオン時代にリリースしたアルバム4作品のデジタル配信がスタートした。これを記念して、Re:minderでは “スリー・ストーリーズ” と題して彼らの魅力に迫っていきたい。第1話ではバンドサウンドならではの圧倒的なグルーヴと、美しくも絶妙なコーラスワークが織りなす “ザ・シャムロック・サウンド” について記した。第2話ではベース&ボーカルの山森正之に、デジタル配信がスタートしたことの率直な思いと、ザ・シャムロックの “モッズ魂” と “バンド魂” について語ってもらった。

エバーグリーンなものを作ろうという思い


―― 1988年から1990年にかけてリリースされた4作品のデジタル配信がスタート。まず、これについて山森はどう思っているのか。

山森正之(以下:山森):今回、デジタル配信というツールで分け隔てなくみんなが聴けるような環境になったということは、本当にありがたいです。世代を問わず、ひとりでも多くの人に聴いてもらいたいですね。昨日も自分で聴いてみましたが “悪くないな” と。

ザ・シャムロックは僕と高橋(一路)の2人がいて、音楽の好みも少し違うし、やりたいことも違う。それでもひとつになってやっていたから、いろいろなタイプの音楽が入っています。1枚のアルバムの中に、すごくモッズっぽいものだったり、R&Bっぽいものが入っていたり。どんな人に刺さるかは分からないですが、気に入ってくれたら嬉しいですね。

―― ザ・シャムロックのサウンドは時代に左右されない普遍的な魅力が溢れている。

山森:当時からそれを目指していました。高橋と言葉で確認し合ったわけではないですが、エバーグリーンなものを作ろうという思いはお互いにありましたね。やはり、バンドっぽくというのが大前提。流行りのサウンドを取り入れようという考えはありませんでした。1960年代、1970年代リスペクトの僕らなので、その時代のいい音を1980年代、1990年代のバンドで出来たらいいなと思っていました。

メジャーでレコードを出して、ビートルズになりたい


―― ザ・シャムロックの結成は山森が15歳の時。同じ高校で意気投合した山森と高橋が当初目指したのは、ビートルズやキャロルだった。結成1年後にはフジテレビ系バラエティ番組『HOT TV』のバンドコンテストに出場。2代目チャンピオンとなり、弱冠16歳の高校生バンド、ザ・シャムロックの名前は全国に轟いた。

山森:高橋とはお互い新入生で軽音学部で出会いました。高橋が “ビートルズとかロックンロールが好きです” という自己紹介をしたので、こいつだ!と思い、声をかけたのが始まりです。ビートルズみたいなスタイルでということで、高橋と僕のツインボーカル。ジョンとポールのような、キャロルの永ちゃん(矢沢永吉)とジョニー(ジョニー大倉)のようなことが出来たらいいなという構想がありました。

ザ・シャムロックは、ビートルズがプレイしていた1950年代のロックンロールのカバーから始めました。「スロウ・ダウン」なり「マッチボックス」なり、それに「ロング・トール・サリー」も。その辺から始めて、オリジナルの曲を作るようになっていきます。その頃には、英国のモッズ・リバイバルが日本にも伝わってきて、このムーヴメントの渦中にいたザ・ジャムにも影響を受けました。『HOT TV』に出場したのはこの時期ですね。これをきっかけに都内のライブハウスに出演するようになります。

東京モッズシーンでは、はみ出しもの的な存在だった


―― 同時期の東京では、ザ・ブルーハーツやザ・コレクターズを輩出したモッズシーンの動きが活発になっていく。

山森:当時僕らは、日本にモッズシーンがあることを知らずに独自でライブ活動をしていたのですが、ある日このシーンにいた人たちがライブを観に来てくれたんです。1981年か1982年。そして彼らが誘ってくれてモッズイベントに出演するようになりました。そこでザ・コレクターズの前身、ザ・バイクとも知り合いました。僕らはモッズでモッズパンドだという自負はありましたが、ちょっとはみ出しもの的な感じだったかもしれません。パンドでメジャーデビューしたい、デビューして一番になりたいというのが常に念頭にありましたから。その界隈にはザ・コーツ(甲本ヒロト在籍)やザ・ブレイカーズ(真島昌利、篠原太郎、大槻敏彦在籍)もいて、よく共演しました。彼らもモッズシーンには収まりきらない感じでしたね。

―― 東京モッズシーンを経てザ・シャムロックは、1988年にデビューを果たす。

山森:80年代半ば頃にはソニーのSDオーディションに応募もしました。それで気に入ってもらえて、レベッカやエコーズ、爆風スランプたちと『渋谷LIVE INN』などに出演していましたが、デビューに至らずという感じでした。そこにジャグラー(音楽事務所)が来てくれて、ポニーキャニオンからデビューという経緯です。

デビューしてからもずっとモッズ魂とバンド魂を持っていた


―― ザ・シャムロックのデビュー当時はバンドブームの真っ只中だったが、彼らはその渦中とは別の場所にいた印象が強かった。

山森:僕たちは、ザ・ジャムのようなトリオだったのですが、デビュー直前にドラマーが抜けて、僕と高橋の2人になりました。ギターボーカル、ベースボーカルですね。ただ、セカンドアルバム『Real In Love』(1989年)の録音までには、ライブもレコーディングも固定メンバーでバンドとしてやるようになっていました。だけど、バンドブームとは立ち位置が違う感じでしたね。当時は僕たちのようにコーラスを多用するバンドは少なかったので、スタッフはその部分をプロモーション的にアプローチしていったのだと思います。

ビートルズになりたいということは、根本的なところで、自作の曲ですごく売れたいわけです。だから売れる方向にシフトしてくれるのだったら、それでOKでした。やりたいことを制限されたら、それは何か言うかもしれませんが、音楽的には、ディレクター、アレンジャー、プロデューサーたちと自分たちのやりたいことが出来たので。当時は自分達が思ういい音楽を作ることに一生懸命でしたね。

ーー 洗練された美しいメロディと、絶妙なハーモニー。独自性の高いザ・シャムロックの音楽性は、当時の音楽シーンの中では異端な存在だった。

山森:そう見えると思います。だけど、個人的には、そこに “モッズ魂” と “バンド魂” をずっと持っていたので、ワイルドなものとか、アグレッシブなものとかも、自分たちの音楽の中に取り入れたいという思いがずっとありました。その辺りは曲のエンディングで表現していることも多いので、聴いてみて欲しいですね。

ギターはTH eROCKERSの谷さん(谷信雄)、後に 前田さん(前田篤)、ドラムは大島くん(大島賢治 / 忌野清志郎&2・3' S、THE HIGH-LOWS)、キーボード&サックスに日比野さん(日比野信午)というメンバーが固定していたのもサウンド作りに大きな影響を及ぼしています。やはり、高校時代からの友人でもある大島くんがドラムに入ってくれたのは大きいですね。ドラムの音がバンドっぽくなって。そんなメンバーで2枚目を作り、3枚目、4枚目で理想とするバンドの音が出来てきた感じです。

自分が理想とするものが完成したサードアルバム


ーー ザ・シャムロックは1990年に3枚目の『Hello, Hi, How Are You?』、4枚目の『Sometimes It's Better Than Sex』と年2枚のハイペースでアルバムをリリースする。

山森:今考えるとすごいペースでしたね。その中で、サウンドの変化がありましたが、バンドの根本は変わっていません。2枚目の『Real In Love』より3枚目の方が、もっともっとバンド的になっていると思います。このアルバムで自分が理想とするものが完成しました。

『Hello, Hi, How Are You?』は “メンバー5人の音だけでやろう” というコンセプトがあって、そこに集中しました。そして、その流れに少し色を足した『Sometimes It's Better Than Sex』を作りました。いいメンバーが揃ったので、理想的なレコーディングができるようになったんです。

ファーストアルバムの『Who Loves Me?』を出した頃は、僕らもレコーディングに慣れていなかったし、メンバーも揃っていない。そんな状況で、大御所の人にも手伝ってもらって作り上げました。ドラムは山木秀夫さん、ギターとプロデュースは、ジューシィ・フルーツの柴矢(俊彦)さん。ただ、僕らはレコーディングの手法などわからないことが多くあったので正直言うと “もっとこうだったら” という気持ちが当時はありましたね。だけど、今聴くとすごく良いですね。

ザ・シャムロック時代と変わらず、今も前進


ーー そして現在も山森は、ザ・コレクターズのベーシストとして10年以上在籍し、自身のバンドであるオレンジズでも精力的な活動を続けている。

山森:ザ・シャムロックの頃から、自分の根本は変わらず、ずっとその時その時を頑張ってやっています。10代の頃に好きになったものが永遠に好きなので、変わっていないですね。ザ・コレクターズにしても、元々のモッズ仲間だし、近い感覚がたくさんあります。ザ・コレクターズではベーシストなので、ベースが上手くなりたいと思って練習するし、オレンジズでは、いい曲を書きたい歌いたいと思ってやっています。良くなりたいと思ってやっているという部分ではザ・シャムロック時代と変わらないですね。

僕は、常に今がピークだと思っていて、ザ・シャムロックの頃もその時がピーク。これがずっと続いている感じです。これからビートルズになるのは大変だなとは思いますが、自分の中では、以前よりいい歌が歌えたり、いい曲が作れたり、いいプレイができたりしたらいいなと思って続けています。そうやって続けられる環境が今もあるのがすごくありがたいです。

音楽を辞めようと思ったことは今まで一度もないですね。その中でやれるバンドがずっとあったというのが続けてこれた大きな理由だと思います。ザ・シャムロックは僕の15歳から29歳まで。特にポニーキャニオンに在籍していた時期はインプットもアウトプットも充実していて、レコーディングからライブのやり方まで色々学べたし、すごく濃かったですね。

ーー 山森の音楽人生の中で、最も濃い時期に制作されたザ・シャムロックの4枚のアルバムは今もエバーグリーンな輝きに溢れている。ビートルズをルーツとする洗練されたメロディと巧みなコーラスワークはパワーポップ的な解釈もできるだろう。そして内在する “モッズ魂” と “バンド魂” から生まれる圧倒的なグルーヴ。

今回のデジタル配信によって、ザ・シャムロックのリアルタイムを知らない若い世代がどんな反応を示すのかも興味深い。さあ、スリー・ストーリーズの最終話となる次回は、ギター&ボーカルの高橋一路に “ザ・シャムロック・サウンド” に潜む普遍的な音楽性について語ってもらいます。

Information
ザ・シャムロックが1988年から1990年にポニーキャニオンからリリースした4枚のアルバムがデジタル配信スタート!

▶Who Loves Me?(1988年)

▶Real In Love(1989年)

▶▶Hello, Hi, How Are You?(1990年)

▶Sometimes It's Better Than Sex(1990年)

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