アサド政権崩壊で懸念されるイスラム国の再生 ~そもそもイスラム国の歴史とは
アサド政権の崩壊
12月8日、シリアで親子2代で50年以上にわたって権力を握ってきたアサド政権が崩壊した。
多くの中東専門家にとっても予想だにしない出来事であり、大きな衝撃が走った。
しかし、呆気なくアサド政権が崩壊した要因はいくつか考えられる。
ロシアは長年アサド政権を支援してきたが、近年はウクライナ戦争に防衛費や軍事品、兵士を投入する必要に迫られ、シリアの優先順位は低下していた。
シリアを介してイランから支援を受けるレバノンのシーア派勢力ヒズボラも、秋以降のイスラエルとの戦闘で壊滅的な打撃を受け、アサド政権を擁護する余裕はない。こういった要因が考えられる。
今後のシリアでの懸念
では、今後のシリアで何が懸念されるのか。
最大の懸念事項のイスラム国の再生だが、イスラム国はどういった歴史を持っているのか。
イスラム国の前身組織は、イラクのアルカイダ(AQI)である。
AQIは、イラク国内でカリフ国家創設を目標とするスンニ派武装勢力で、2004年4月にビンラディンへの忠誠を誓ったヨルダン人アブ・ムサブ・ザルカウィ(Abu Musab al-Zarqawi)によって設立された組織である。
AQIのテロ活動は2003年のイラク戦争以降活発化し、国連職員のイラクからの撤退を余儀なくされた2003年8月のイラク国連事務所爆破テロ事件や2004年10月の日本人青年殺害事件などは、AQIの脅威を国際社会や日本へ示すものとなった。
その後もAQIによるテロ攻撃は首都バグダッドをはじめ、モスルやティクリート、ファルージャなどイラク北中部を中心に発生し、2005年8月のイスラエル・アカバ湾に停泊中の米軍艦を狙ったロケット発射事件、同年11月のヨルダン・アンマンにおけるホテル爆破テロ事件など、イラク国外にも拡がった。
このように、AQIの活動が活発化した背景には、
① イラク国内における宗派対立の激化と、イラク政府の統治力の脆弱化
② パキスタンやエジプト、シリア、リビアなど周辺各国からのテロリスト流入
③ アルカイダ系組織を支持する国際的なイスラム慈悲団体や、個人からの財政的支援
④ AQIとスンニ派武装勢力における協力関係の構築などの要因
などが考えられたが、その後、米軍やイラク軍によるテロ掃討作戦によってAQIも多くのダメージを受けた。
2006年6月、米軍の攻撃でAQIの指導者ザルカウィが殺害され、2007年には米軍が一部のスンニ派勢力と共に自警組織“「覚醒評議会」を形成し、AQIに対する大規模な掃討作戦を開始した。
これが決定打となり、AQIは組織的に弱体化し、イラクのテロ事件数は2006年から2007年をピークに減少傾向に転じた。
イスラム国の台頭
しかし、米軍のイラクからの撤退以降、AQIから名前を変えたイラク・イスラム国(ISI)が、バクダッドを中心に軍や警察、シーア派教徒を標的としたテロ攻撃を繰り返すなどその活動を再び活発化させ、隣国シリアで生じた内戦を機に、ISIの戦闘員や爆弾専門家らが大量にシリアへ送り込まれた。
ISIの指導者アブ・バクル・バグダディ(Abu Bakr al-Baghdadu)は、ISIとアルヌスラを合併した組織「イラクとレバント地方のイスラム国”(Islamic State of Iraq and Levant)」を自発的に名乗り、活発なテロ攻撃や広報戦略を活発化させた。
その後、ISILはシリア内戦とイラク国内のスンニ派とシーア派の宗派対立などを利用する形で組織と支配地域の拡大を図り、2014年6月にイスラム国の建国がイラク北部モスルで一方的に宣言された。
この動きは世界をテロの恐怖に陥れ、特に欧州では2010年代半ばにかけて大規模なテロ事件が相次ぎ、多くの国が深刻な脅威に直面することとなったのである。
参考 : 『国際テロリズム要覧』他
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部