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急逝からもう一年。追悼コンサートでも歌われたアリスの「秋止符」を聴きながら、過ぎ行く秋と谷村新司を偲ぶ

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急逝からもう一年。追悼コンサートでも歌われたアリスの「秋止符」を聴きながら、過ぎ行く秋と谷村新司を偲ぶ

「なんでお前は逝ったんだ」という堀内孝雄の悲痛な叫びが、テレビの画面に映った。昨年10月8日に帰らぬ人となった谷村新司の追悼コンサートが日本武道館で9月18日に開催されたが、そのごく一部がニュースでも流された。アリスのボーカル、ギター担当の堀内とドラム&パーカッション担当の矢沢透がステージにあがり、生前の谷村の映像をシンクロさせた特別なコンサートだった。集まったファン約8000人はそれぞれの想いに浸りながらステージを見守った。10月13日には大阪城ホールでのコンサートも無事終わったわけだが、ともに歩んできた仲間がある日突然いなくなってしまう、その無念さは筆舌に尽くし難いことだろう。堀内の叫びが痛々しかった。

 
 私自身は77年10月にリリースされた「冬の稲妻」から彼らの音楽に接した気がする。一人は髭を蓄えたちょっと厳つい感じ、もう一人はアポロ・キャップを深くかぶって顔が見えない。ツートップの後ろで髪を振り乱しながらドラムを叩いている3人は、可愛らしい女の子の名前〝アリス〟とは相反していた。けれども「冬の稲妻」のギター二人のハモリは抜群で、曲の途中に入る「Ha(ハー)」というのが印象的だった。男くさいグループが出てきたと思ったら、彼らのデビューは72年3月で、「走っておいで恋人よ」という、優しい詞と流れるような爽やかなメロディーの〝THEフォーク〟という感じの曲だったことは後で知った。

 
 グループの誕生を振り返ると、70年大阪で万博博覧会が開催されたころに遡る。それは大阪が一瞬で変わった時期でもあり、彼らが本格的に音楽の道に進むことになった分岐点でもある。大阪の大学生だった谷村は、「ロック・キャンディーズ」というフォークグループのリーダーをしていた。万博のステージでアマチュアバンドとして参加し、のちにアリスも所属する音楽プロダクション「ヤングジャパングループ」を設立した細川健と出会う。細川に誘われ北米横断ツアーに参加した谷村は、同じくツアーに参加していた矢沢透と意気投合した。堀内孝雄も京都の大学でアマチュアバンドのボーカルをしていたが、谷村に誘われ、矢沢が合流することを前提にメンバーに参加。72年5月、奈良市での公演から3人そろった「アリス」が誕生したのである。因みにグループ名の「アリス」は、北米横断ツアーの時、目にしたロサンゼルスのレストラン「Alice」のロゴがかっこよく、プロになるのだったら、「Alice(アリス)」という名前にしようと決めたそうだ。

 デビューはしたものの、しばらく陽の目を見ない時期が続く。「特急の停まる市の市民会館にはほとんど行った」というほど地道なツアー活動を続けたが、1000人収容のホールに20人、2700人収容の大きなホールでは観客が200人足らずといった状況で、今では笑い話になるがプロの道は容易ではなかった。

 
 谷村はメジャーになる前から、深夜放送のDJを続けていた。毎日放送では京都出身で旧知の仲だった、ばんばひろふみと一緒に「ヤングタウン」、その後文化放送の「セイ!ヤング」に出演し話題になっていった。下ネタを連発させた二人の軽妙なトークに、心を鷲づかみにされた男子も多かったようだ。谷村は一週間のうち2日は深夜放送、残りの4日間がコンサートというスケジュール。水曜日の「ヤングタウン」が終わったあとは、大阪の実家の近くに借りている部屋に帰るのが習慣だった。ひっそりと静まり返った部屋のこたつの上には、サンドイッチと熱いお茶が入ったポットが置かれていた。それは谷村の父親が息子のために用意したものだった。そしていつか自分も親になることがあったら、せめてサンドイッチくらいは買ってやりたいと、谷村のエッセイ『何処へ……』に書いてあったが、当時の状況は映画の一場面のようだ。

 その後、関西のカレッジ・フォークで人気グループだったウッディー・ウーの「今はもうだれも」をアップテンポでカバーしたことを契機に、「帰らざる日々」「冬の稲妻」「涙の誓い」「ジョニーの子守歌」「チャンピオン」「秋止符」「狂った果実」とヒット曲を連発した。ライブ活動とDJを続けたことが実を結んだのだ。

 
 谷村の訃報を目にしたとき、まっさきに思い浮かんだのが「秋止符」だった。「秋止符」は、作詞・谷村新司、作曲・堀内孝雄の17枚目のシングルである。アリスの「別れ」をテーマにした他の曲は、どちらかというと逞しい男性のイメージが強く勇気が湧いてくるのだが、「秋止符」は、別れを悲しむ女性の心の傷がしみじみと伝わってくる。左利きの恋人の文字を右手でなぞる女性の諦めきれない恋心が描かれ、あの夏の日に何があったのだろうと聴くものは想像を掻き立てられ余韻が残こる。何よりも「終止符」と書かず「秋止符」という宛て字にしたタイトルも美しいメロディも見事だ。そして深まってゆく秋が一層彼女を切なくする。

 秋は人恋しくなることを、いにしえの歌人たちも歌に残した。小倉百人一首のなかでは柿本人麻呂が「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」と詠んだが、まるで「秋止符」のヒロインの気持ちのようだ。

 
 ヒットを連発した78年には日本武道館で3日間にわたり「アリス武道館ライブ’78~栄光への脱出~」を開催した。これは日本人アーティストとしては初めてだった。そして81年8月23日、北京の1万人が入る工人体育館でもコンサートを開催したのだ。前年の80年には「ガンダーラ」などのヒットで知られるゴダイゴも天津市で「第一回中日友好音楽祭」に出演したが、中国での単独コンサートはアリスが初めてだった。観客たちはコンサートに慣れておらず、静かに行儀よく座っているだけだったが、最前列に座っているメインゲストの鄧小平氏の前にギターをもって歩み寄ると、鄧小平氏が立ち上がり頭の上で拍手を始めた。そうすると会場の1万人が一斉に立ち上がり、日本でみるコンサートの盛り上がりになったという。さらに、03年中国でSARSが流行した時には撲滅コンサートを催し収益の一部を寄付した。翌年には、上海音楽学院から招聘され人材育成にも貢献するなど、中国との縁が深い。中国には、「井戸を掘った人を忘れない」ということわざがあるが、谷村の訃報は中国でも大きく扱われ、強面の外相、王毅氏からも哀悼の意が送られた。アリスは、日中友好の懸け橋にもなっていたのだ。

 
 アリスの活動とともに谷村はソロ活動でも力を発揮した。山口百恵に提供した「いい日旅立ち」(78)やソロシングル「陽はまた昇る」(79)、「昴―すばる─」(80)などスケールの大きな曲がヒット。どちらかというと演歌の要素の強い堀内とは路線が離れ、81年11月の後楽園コンサート後、アリスの活動は休止することになったが、「解散」とは言わなかった。3人が還暦を迎えた2009年に再始動し、22年の50周年記念ライブでは、ここからスタートして10年続けようと誓ったばかりだった。

 美意識の高い谷村は、療養中の姿を仲間にも見せようとしなかった。快復を信じていた矢先、突然訃報が飛び込んできたと、盟友のばんばひろふみはラジオで語っていた。谷村は輝いたまま「我は行く」とばかりに、空の彼方に逝ってしまった。しかし彼の遺した名曲は日本のみならず国境を越え中国でも愛され続けることだろう。

 秋の夜長、アリスの一連の曲に耳を傾けてみたい。当時聴いたときとはまた違う感傷が湧いてくるかもしれない。

文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫

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