バンライフに憧れて:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#24
大学生になって間もなく、海外の自動車事情に詳しい方から「バンニング」という言葉を聞いた。近所に住むVWビートル通のTさんがVWデリバンの話をしてくれたときのことだった。アメリカ西海の若い人が商業バンを使いこなしているという話題の中で「バンニング」という言葉を使った。
「バンニング」の意味はコンテナへ貨物を積み込む時に使うが、私たちの会話に昇ったそれは商用車の“Van”に引っかけた言葉で、「バンで旅行する」ことだと教えられた。VWトランスポーターが代表的な素材だとも。まだ、現在のように“ミニバン”というモノスペースの乗用車が一般的でなかった時期の話だ。
Tさんは、「君たちも手頃な価格の中古商用バンを手に入れて、気に入ったスタイルに改造してみては」と勧めてくれた。その時期には、まだドレスアップなどのスタイリッシュな言葉を聞いたことはなく、言葉の意味は“センスのよい改造の勧め”であり、「カリフォルニアの若い人がやっている」とのその一言が、妙に心に残った記憶がある。
見せられたアメリカの雑誌には、VWトランスポーターを使ったバニングが紹介されていた記憶がある。そして、Tさんから私たちが勧められたのは、軽自動車のスバル・サンバー・バンだった。クルマを持つならスポーツセダンか2座オープンスポーツだと、そんなクルマへの憧れを持っていた私たちにとっては、意外な車種選択のアドバイスになった。
サンバーはスバル360から派生した商業車で、「トーションバー式の全輪独立懸架は乗り心地がソフトで、乗用車なみに快適性」であることが推薦の理由だった。空冷のリアエンジンにトーションバーだから、「ポルシェやVWと同じレイアウトだね」とも、Tさんは口にした。
「スタイリングでは、だんぜん最初期型がいいだろうが、けっこう旧いし、現実的には第2世代がいいのでは……」とのアドバイスだった。氏はすでに自身のサンバー構想を練っていたらしく、間もなくブルーグレーのような塗色の第2世代サンバー・バンを入手してきて、リアシートに手を入れるなどして居住性を向上させる改造に着手しはじめ、私たちは毎週末のように氏のガレージに行ってはその作業の進捗ぶりを眺めていた。
著名な会社でプロダクト・デザイナーを務めるTさんは、ビートルのほか洒落た輸入車サルーンをガレージにおさめていたが、サンバーはそこに並んでも遜色のない存在感を持つクルマに仕上がっていった。
ちなみにサンバーの初代モデルはスバル360の開発主任を務めた百瀬晋六氏が手掛けた商用車であり、1960年10月の東京モーターショーで初公開されたのち、翌61年2月に発売された。スバル360はモノコック構造だが、ピックアップの設定もある商用車のサンバーでは専用のラダーフレームを用い、これにスバル360と共通の横置きトーションバー・スプリングとトレーリングアームの四輪独立懸架を組み込んでいる。当時の商用車といえば、前後軸ともリーフスプリングで吊ったリジッドアクスルが一般的であり、前輪が独立式ならいいほうだった。
スバル360よりバネレートは硬められていたものの、“ソフトな当たりの”全輪独立を持つサンバーは別次元であり、「積載物にとってもやさしかった」と言われ、乗員にとっても乗用車なみに快適であった。
実際にTさんのサンバー・バン・スペシャルには何度も乗せてもらったが、それは子供の頃に乗せられていたスバル360と変わらず、車室が広いため開放感では勝っていると思い、たいへん気に入った記憶がある。
サンバー・バンは私たちの心を掴み、商用車を改造して乗用車として使うことの楽しさと意味、可能性をも教えられた気がする。この影響は絶大で、商用バンでのバニングの“かっこよさ”を知った友人のひとりは、サンバーの次にトヨタ・ライトエース・バンで「バンニング」を実践しておられたTさんを口説き落とし、5ナンバーに改造され、市販品のビニール製スライディング・ルーフも備えられたライトエースを手に入れることに成功した。彼はそれまでスポーツセダンと呼ぶに相応しいスバル1100スポーツに乗っていたのだが、一気にバニングに飛び込むという豹変ぶりに私たちは驚き、またその仲間に入りたくなった。
1970年代半ば、私たち仲間5人は、大学生最後の締めくくりとして、3月中旬に卒業旅行として「本州ぐるり旅」に出た。卒業式までに帰ればいい、車中泊は厭わないという気ままな旅程だった。この長旅を快適にしてくれたのは、解体屋で買って来て取り付けた某高級セダンの後席の座り心地だった記憶がある。
自分たちで“造り上げたクルマ”での長旅は、格段に楽しいものになった。世の中に、RVと称されるモノスペースのワゴンがはびこる以前のことであり、私たちは、もしかすると時代の先端を走っていたのだと、いま思う。