<文句言わず食べなさい>私「夕飯は湯豆腐といんげんの胡麻和えだよ」家族全員「いらない」
「出されたものは文句を言わずに食べる」ママたちが一生懸命料理したものに対して、ママスタコミュニティでもよく見かける言葉です。 しかし今回ママスタコミュニティにあがった投稿には、「出されたものへの文句」が多く寄せられました。そのメニューとは……?
『娘「今日の晩ごはん何?」 私「湯豆腐といんげんのごま和え」 娘「えー! いらない。友達と食べてくるからお金ちょうだい!」。 旦那「今日の晩飯何?」 私「湯豆腐といんげんのごま和え」 旦那「俺帰り食って帰るから晩飯いらない!」。もう晩御飯作るの嫌』
投稿者さんのお家の夕飯は「湯豆腐といんげんの胡麻和え」なのだそう。それに対する家族の反応に、いつものママスタコミュニティであれば「出されたものに文句を言うなんて!」とママたちのお怒りの声が集まりそうですが……?
美味しそう!私も食べたい!……だけど?
『私が食べたい。最高じゃん!』
『湯豆腐といんげんの胡麻和えか、いいなぁー。食べに行きたい!』
『旦那なら「胃腸に優しいな!」って喜んで帰ってきそう。ま、そんな日もあるよね』
まずはごくごく少数派ではありましたが(笑)、投稿者さんの献立に賛同してくれたコメントです。温かい湯豆腐は、身体を温めてくれると同時に、どこかホッとする存在でもあります。1日の疲れた身体にしみわたる……投稿者さんもそう思ったのかもしれません。しかし?
『私は好きだよ。でも家族受け悪いから他にもなんか作る』
「家族受けが悪い」とコメントをしてくれたママたち。なぜ「湯豆腐」は家族受けが悪いのでしょうか? ママたちのコメントは核心へと迫ります。
そのメニューはちょっと……旦那さんと娘さんの気持ちも分かるな
『湯豆腐といんげんの胡麻和えのみ? それなら私でも嫌だわ』
『ご主人、一日働いて帰ってきてそれだけだったら辛いと思うわぁ。育ち盛りの子どもも、そのメニューはテンション上がらないと思うわぁ。そのメニューで満足するのは年寄りだけかと』
夕食のメニューが「湯豆腐といんげんの胡麻和え」のみであることに異論を呈するママたち。湯豆腐は疲れた身体をほっこり癒してくれる存在になるかと思いきや、一転「それだけでは満足しないメニュー」との指摘が相次ぎました。
『うちのじいちゃんの酒のつまみだ!』
お酒を飲みながらチビチビ食べるにはもってこいのメニューというコメントも。「湯豆腐」自体が家族受けが悪いということではなく、あくまでも夕食のメインを張るというよりも、「副菜」の立ち位置であることをママたちは強調します。
「湯豆腐」はメイン料理にならない!?
『どっちも好きだけれど、一緒に出されたら「他にオカズないの?」って言ってしまいそう』
『子どもの頃、湯豆腐ってテンション下がったわ』
実際に子どもの頃に湯豆腐が出てテンションが下がったというコメントも見受けられました。湯豆腐が嫌いということではなく、「湯豆腐がメイン」だとテンションが下がるのだそう。
『米が進まんやろ』
『てゆーか、メイン作り忘れていますよね?』
そこには一貫して「湯豆腐では白飯が進まない」という思いが伝わってきます。
『湯豆腐も冷奴もサイドメニューでメインじゃないから、うちは何か他のオカズも出すな』
「湯豆腐」と聞くと大きなお鍋で食卓に出るイメージなので、メインになるのでは? と思ってしまいそうです。しかし他の「豆腐メニュー」に置き換えてみるとどうでしょう。「湯豆腐」も「冷奴」も料理の温度の違いこそありますが、素材は一緒。でも冷奴をメインのおかずにして白飯を食べることは少なそうですし、何より物足りなく感じる人が多いことでしょう。「湯豆腐といんげんの胡麻和え」に対して苦言を呈してしまう家族の気持ちも分かる気がします。
家族の言い方はさておいて……ですが。
賛否分かれるママたちの意見
『メニューを聞いて食べないって言うなら、私なら「翌日から自分で作れ!」って言って食事の支度をやめちゃう。お金ちょうだいって言われても1円も渡さない』
『出された食事に文句つける人が多いのね、ここは』
少数派ですが「出されたものに文句を言うな!」とコメントを寄せたママもいました。食事は毎日のことです。メニューを考えて、買い物をして、調理をして、食べさせて、後片付けをする。「食事作り」という言葉の中に、たくさんの工程が詰まっています。それを毎日こなしている投稿者さんに対して、家族の態度は失礼なのでは……? というコメントには、頷くしかありません。
『働き盛りの男の人や若い人には少しあっさりしたメニューだなとは思う』
『腹立つけれど、このメニューだけだったらその気持ち分かるよ』
家族の態度はもちろん良くはないけれど、「湯豆腐といんげんの胡麻和え」だけという夕食のメニュー自体にももう少し改善点はあったのでは? とママたち。たしかに美味しそうなメニューであるものの、働き盛りの旦那さんや、成長期の娘さんからすれば物足りないのかもしれません。投稿者さん自身ももう少しメニューの改善をして、それでも文句を言われたのであれば……怒るのはそれからでも遅くはないのでは? というコメントが溢れます。
投稿者さんの献立、何をどうすれば良かった?
投稿者さんの献立に対して、ママたちがアドバイスを寄せてくれました。
『うちもよく湯豆腐するよ。でも豆腐だけじゃお腹いっぱいにならないから鶏肉を入れたりしてる。私は薬味いっぱい用意して豆腐だけにしたいんだけど、旦那も子どもも薬味いらないってタイプだし』
『これに何かしらメインとなる肉系のメニューを追加すればバランスいいと思う』
『白米じゃなくてキノコの炊き込みご飯なら嬉しい』
『冷凍餃子でいいから焼いて出して』
『お刺身とか天麩羅とか別に用意するなら、まだいいけれど』
『唐揚げとか、フライとかプラスしてあげて。肉だよ、肉!』
豆腐オンリーの湯豆腐ではなく、他にも野菜や肉、魚などをプラスすればボリューム感がアップします。他にも白飯が進むような、メイン料理となるお肉やお魚などのたんぱく質を。それもなければ、せめて白飯ではなく炊き込みご飯にするなどの工夫が必要だったのでは? とママたちからのコメントが続きます。それに対し投稿者さんは……?
『昆布から出汁を取っているし、ポン酢を昆布の出汁が出たお湯で割って豆腐を食べたら美味しくないですか? それにいんげんのごま和え、ふりかけもあるし、私は全然これで満足なんですけれど。湯豆腐は他のを入れると雑味が出て、豆腐に鶏や魚の臭いがつくし、出汁の昆布本来の旨味が楽しめないです』
と、あくまでも「湯豆腐本来の味」を味わいたいと思い、食卓に出したようです。するとママたちから、核心を突くコメントが届きました。
家族に「食事を作るということ」とは?
『「私」はね』
『湯豆腐が美味しいとか不味いの問題じゃないんだよなぁ』
『家庭のごはんってさ、自分だけじゃなくて食べる人の好みにも合わせるものだと思うよ』
『料理作る人が「私の満足」「私の気分」を軸にしていると、家族は少し気の毒だね……。もし家族の好みに合わせようといろいろ努力しているのに、気に入らないとかわがまま言われたら萎えるし「文句言うなバカ」って思うけれど、投稿者さんの考えは、それとは少し違わないかな?』
たしかに料理を作るのは投稿者さんです。投稿者さんの好みを料理に反映させること自体は何の問題もありません。しかしそれ”だけ”だと、それをそのまま受け取らなくてはならない家族に寄り添えていないのでは? とママたちは指摘します。
『作る相手の年齢や活動内容によって必要な栄養素とかエネルギーとか考えている? 投稿者さんは豆腐とインゲンだけで足りる活動量なのかもしれないけれど、外で働いたり学校生活送ったりしている人に必要な栄養素やエネルギーを考えたら、「湯豆腐にインゲン胡麻和え」としか答えられないような夕飯は酷よ』
食事には、活動に必要なエネルギーを補う役割があります。1日に必要なエネルギー量は年齢や活動量によって異なってきますが、投稿者さんの旦那さんと娘さんはおおよそ2,200kcalが必要かと思われます。単純に3食分で割ったとしても、1食あたり700kcalちょっと。豆腐は100gあたり56kcal、ゆでたいんげんは100gあたり25kcalであることを考えても、「湯豆腐といんげんの胡麻和えだけのメニューでは物足りないと思うことは、決して悪くない」というコメントにも「なるほど」ですね。
『料理は誰かのために作るもの。それを食べて「美味しい」って喜んでくれることが嬉しい。そういう気持ちで今日も頑張ろうっと』
家庭における料理とは、家族の笑顔のためにするものなのかもしれませんね。もちろん毎日毎日家族の好きなものを出さなくてはいけないということではないですし、栄養面や食費などを考慮する必要もあるでしょう。日々献立を考えるのは大変ですが、それでも家族のために料理を作るということは、家族の笑顔も作るということ。そして笑顔で囲む食事は身体だけでなく心の栄養にもなるのでは……そんなことを考えさせられた投稿でした。