50年前の名曲を再定義!ボブ・マーリー「ノー・ウーマン、ノー・クライ」は連帯の歌?
ジャマイカが生んだ不世出のロックスター、ボブ・マーリーの代表曲
泣かないで 愛する女(ひと)よ
これ以上泣かなくたっていいんだ
ほら、泣くんじゃない 俺の可愛い女(ひと)
もう涙はいらないさ
ジャマイカが生んだ不世出のロックスター、ボブ・マーリーの代表曲「ノー・ウーマン、ノー・クライ」。冒頭、タイトルと同じフレーズが4回繰り返される。
ノー・ウーマン、ノー・クライ
ノー・ウーマン、ノー・クライ
ノー・ウーマン、ノー・クライ
ノー・ウーマン、ノー・クライ
通常の英語とは違ったジャマイカ流の言い回しで、最初のノーは強調の “No”。後ろのノーは “Don’t” の意味だ。
上の和訳は、ボブの歌を聴きながら筆者が意訳してみたけれど、こんなにシンプルなフレーズなのに、Webを検索してみると十人十色、さまざまな訳があって実に興味深い。ウーマンをすべての女性と捉えれば女性解放の歌とも受け取れるし、となればまた別の訳もあるだろう。この曲は聴く人の立場によっていかようにも解釈できる自由な歌なのだ。
ロンドンで収録されたライブバージョンが有名
「ノー・ウーマン、ノー・クライ」はもともと、ボブ・マーリー&ウェイラーズが1974年10月にリリースしたアルバム『ナッティ・ドレッド』に収録された曲。だが世に広く知られているのは、1975年7月にロンドンのライシアム・シアターで収録されたライブバージョンだ。このライブバージョンは翌8月にシングルとして発売され、世界中でヒット。12月発売のライブアルバム『ライブ!』にも収録された。
このライブバージョンが世に出て、今年でちょうど半世紀。これまで何百回と耳にしているけれど、何度聴いても飽きないし、ボブが歌い始めたときに客席から自然と湧き出る歓声も曲の一部になっているのがすごい。そして、レゲエのリズムがリスナーを何ともいえない多幸感へと誘う。そんな曲ってなかなか出逢えない。
ボブ・マーリーが生まれ育った、トレンチタウン
ーー その先も訳してみよう。
今でもよく覚えてるぜ
トレンチタウンの公営団地で庭に座って
ジョージが丸太に火をくべて
夜通し燃やしてた
それでコーンミールのお粥を作って
みんなで分け合って食べたよな
歌詞に出て来るトレンチタウンとは、ボブが生まれ育った街のことだ。ボブ・マーリーはイギリス軍の大尉だった白人の父と、アフリカ系ジャマイカ人の母の間に生まれた。出生時、父は61歳で母は16歳。両親はすぐに離婚し、父はやがて姿を消してしまった。それでも養育費だけは送っていたが、父は70歳で亡くなったため、ボブの母親は無一文に。母子で流れ着いたのがジャマイカの首都・キングストン郊外にあるトレンチタウンだった。
ここは低所得層が暮らす街だが、独自の文化があり、さまざまな才能が生まれている。この「ノー・ウーマン、ノー・クライ」の作詞・作曲者としてクレジットされているヴィンセント・フォードも、ボブがトレンチタウンで出逢った人物だ(クレジットはヴィンセントに譲っているが、ボブもかなり曲作りに関わっているといわれる)。
母とともに公営団地に移り住んだボブは、貧しいながらもアメリカから流れてくるラジオで音楽を聴き、団地に住む若者たちを集めてバンドを結成。ミュージシャンへの道を歩んでいった。ボブの音楽の原点はまさにトレンチタウンにあり、このパートは自分の出発点を再確認したものだ。
ボブ・マーリーの包み込むような温かい歌声
ーー 続く歌詞も興味深い。
移動するのは足だけが頼り
だから自分で歩いて行かなきゃ
でももし、俺がいなくなったとしても
大丈夫、すべてうまくいくさ
最後に “大丈夫、すべてうまくいくさ”(Everything's gonna be all right)と8回繰り返されるフレーズも聴く人を励ましてくれて、ボブ・マーリーの包み込むような温かい歌声で歌われると胸にグッと来る。
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト
その前の “俺がいなくなったとしても”(But while I'm gone)はボブの死を暗示しているようだが、己の信じる道を行けば、必ず報われるときが来ると彼は言う。
思うにこの曲、歌詞の上で “泣かないで” と呼び掛けているのは “ウーマン” に対してだが、ボブが本当に呼び掛けている対象は女性だけではないはずだ。虐げられていたり、不当に抑圧され、搾取されている人々すべてに対するメッセージではないだろうか? この曲は、苦しい立場にある人たちに呼びかける “連帯の歌” だと思うのだ。
今こそ聴かれるべき曲「ノー・ウーマン、ノー・クライ」
ボブ・マーリーがこういう曲を書いた背景には、ラスタファリアニズムの思想がある。ジャマイカはそもそも、この地を征服したスペイン人が原住民を力ずくで排除し、アフリカ人を奴隷として連れてきた歴史がある。ボブの母親もその末裔だ。世界中の黒人を、救世主であるジャーが救い、約束の地・ザイオンに導いてくれるという思想運動がラスタファリアニズムだ。
そして、その思想運動と音楽活動の両方を支えたのが、音楽のパートナーでもあった愛妻・リタ夫人で、「ノー・ウーマン、ノー・クライ」も、彼女の存在なくしては生まれなかっただろう。ボブには婚外子がたくさんいたが、リタはボブが他の女性との間に作った子どもも引き取って分け隔てなく育てた。これもまた “連帯” だ。
ボブは敬虔なラスタファリアンだったがゆえに、刃を自らに向けてはいけないという教えを忠実に守り、足の指に悪性腫瘍ができたときに切断を勧める医師に従わなかった。結果的に命を縮めることになったが、ボブにとっての音楽活動は、ラスタファリアニズムと表裏一体であり、だからこそジャマイカの政治闘争に巻き込まれ、銃撃を受けたりもした。
よく、“音楽に政治や思想を持ち込むな” と言う人がいるが、ボブの場合は両者は不可分であり、心の奥底から湧き上がる自分の思いを歌詞にし、曲をつけ、歌うことが、自分のすべきことだという使命感があったように思う。そして彼は独特の温かみがある歌声の持ち主であり、メロディメーカーでもあった。社会の分断が進み、ヘイトがはびこる今こそ、連帯を呼び掛ける「ノー・ウーマン、ノー・クライ」は改めて聴かれるべき曲だと思う。