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東広島の誇り 創業100年を超え今なお活躍し続ける企業を紹介 【第1回】

東広島デジタル

「嘉登屋」の屋号で酒造りを始めたとされる延宝蔵

 東広島市は、江戸時代から、旧西国街道の要所にあたり、江戸期から明治期にかけて創業した事業所は多い。多くの困難を乗り越え、創業100年を超えた今なお活躍し続ける東広島市の企業をシリーズで紹介。東広島市を支えてきた長寿企業の特徴に迫る。(日川、繁澤)

1675年創業 白牡丹酒造株式会社

鷹司家の家紋が酒銘 「明日の活力を」。 酒造りの思いは不変

 今年が創業350年の節目の年。時代の流れとともに、日本酒を取り巻く環境は変わってきたが、「旨[うま]さ」へのこだわりと、酒造りに込めた思いは変わらない。
 関ケ原の戦いで奮闘した戦国武将・島左近の次男・彦太郎忠正の孫にあたる島六郎兵衛晴正が、1675年に「嘉登屋」の屋号で、現在も残る延宝蔵で酒造りを始めた、と伝えられている。
 『一日の働きを終えた者が、一盃の酒に依ってその日の労を忘れ、さらに明日の活動の源泉となるために醸[つく]る』―。晴正は創業時の思いを家訓として定め、現在も白牡丹の経営の指針として受け継がれている。島家では、左近を初代、晴正を4代と数え、現白牡丹酒造社長の島治正氏と、販売元の白牡丹社長の島靖英氏をそれぞれ15代目としている。
 1800年代に入ると、西条四日市は宿場町としての発展とともに日本酒の需要も増加。嘉登屋の名は、京の都にも届くようになり、五摂家の一つ鷹司家から家紋の牡丹にちなんで、「白牡丹」の酒銘を賜った。
 昭和の時代になると、白牡丹は広島を代表する銘柄となり、1939年、株式会社化。設立準備を担った日下盛登が会社の進むべき道を示した。日下の元で機械化と合理化を進め、戦後の復興や経済成長に合わせるように、生産体制の礎を気付いたのが、「白牡丹の3羽ガラス」と評された島英三(14代目社長)、経理を担当した日下雄之助、杜氏[とうじ]の南信一だった。
 英三は、世界的版画家の棟方志功にラベルデザインを依頼。白牡丹のブランディング化に取り組んだ。日下は会社の持続的な成長を数字で可視化した。南は、酒造りの基本となる蒸米の量産化を可能にした「H-MINAMI式加圧蒸米機」を開発するなど、独自の醸造システムを構築した。
 平成の時代を迎えると、アルコール飲料は消費者の選択肢が多様化。市場は大きな変革期を迎えている。日本酒の消費量が落ち込む中、白牡丹では江戸期から続く、伝統的な酒造りを再現した「生酛[きもと]造り」を始めた。治正社長は「長期熟成が可能な生酛造りには、日本酒の魅力を導き出す可能性が眠っている。酒造りの原点に立ち返り、日本酒の復権に挑戦していく」と力を込める。

白牡丹酒造 350年のあゆみ

1675年 島六郎兵衛晴正が安芸国四日市治郎丸で酒造業創業
1839年 鷹司家から銘酒「白牡丹」の銘を賜る
1900年 パリ万国博覧会出品
1939年 法人組織変更のため白牡丹酒造株式会社設立。社長に島博三就任
1971年 社長に島英三就任
1961年 白牡丹株式会社設立
1974年 H-MINAMI式加圧蒸米機導入
1992年 H-MINAMI式自動製麺機導入
2009年 白牡丹酒造社長に島治正、白牡丹社長に島靖英がそれぞれ就任

企業長寿の秘訣

一 、島家の家訓を引き継ぐ
二 、今を大切に創造力を養う
三 、社会への報恩を図る

白牡丹酒造

住所/東広島市西条本町15番5号
電話番号/0120-76-1675

1905年創業 有限会社 お茶の平野園

酒蔵通りにある「平野園」

人と人をつなぐ茶舗 茶道文化の発信拠点に

 西条酒蔵通りの「お茶の平野園」(本社・広島県三原市本町、平野昌明代表)は、三原市で創業した老舗茶舗で今年120年を迎える。
 東広島店は1973年に西条プラザ1階に開き、2016年に現店舗へ移転。宇治・静岡・九州産の茶葉を中心に茶器や菓子、雑貨も販売する。創業時は大八車で粉茶を届け、茶道文化の継承にも尽力。
 東広島店開設時は広島大学移転による茶道の発展を見込み、茶室を併設するよう希望。その後、念願がかない茶室での各流派による茶会や教室に協力し、多くの人でにぎわった。
 長く続けられた秘訣は顧客とのつながり、商品の質を落とさない姿勢、時代に沿った店舗展開だという。酒蔵通り出店の際には、日本文化を発信する拠点と位置づけた。
 今後はオンラインショップ強化や若年層への発信にも注力。本店はカフェや各流派の教室を開き、茶道文化を未来へつなぐ考えだ。

企業長寿の秘訣

一 、顧客とのつながり
二 、商品の質を落とさない
三 、時代に沿った店舗展開

有限会社 お茶の平野園 東広島支店

住所/東広島市西条本町9-19
電話番号/082-423-6481

1917年創業 志和貨物自動車株式会社

地域の雇用を支えてきたことが長寿企業の原動力に

自動車部品の運送柱。宅配事業にも力

 牧尾和志現社長の曾祖父にあたる牧尾寅雄が、広島-東志和間で乗合自動車事業を始めたことが会社の第一歩。当時の村史には「さっそうたる姿は時代の先端を行くものだった」とつづられ、人気を博したことがうかがえる。
 その後、広島県の貨物輸送を請け負い、1955年に株式会社化。今期が70期目を迎える。事業の柱は売上高の6割をになう自動車部品の運送業務。大手部品メーカーから受託し、愛知県と九州を結ぶ中継拠点の役割を担い、各工場・拠点に納品する。この他、食品や機械、化学製品など多様な物品の貨物運送や、生活様式の変化を視野に、消費者向けの宅配事業にも力を注ぐ。
 現在の社員数は120人。牧尾社長は地域の雇用を支えてきたことが、会社を持続してきた原動力になったといい、「今後も時代をリードする企業として変化を恐れず、質の高い輸送を心掛ける」と話す。

志和貨物自動車株式会社

住所/東広島市志和町別府1905-1
電話番号/082-433-2018

1918年創業 株式会社上垣組

上垣組本社ビル

近年はICT(情報通信技術)活用に力

 現社長の上垣健氏の祖父・律夫氏が、呉市で石工の棟梁として組織を立ち上げたのが、会社の出発点。戦後、健氏の父で2代目社長・正氏が故郷東広島市で、ほ場整備を中心にした農業土木中心の施工スタイルで会社の礎を築き、当時、農村地域だった東広島の発展に貢献した。

 転機は、1982年から始まった広島大の統合移転。都市開発型の土木工事に施工スタイルを移行し、社内体制も職人を抱える直営施工から、協力業者を管理し施工する形へと変えていった。2000年代に入ると、公共工事に加え、民間工事の受注にも力を入れるようになった。

 「安全第一」。創業以来、上垣組が最も大切にしてきた言葉。近年はICTの活用にも力を入れる。上垣社長は「東広島のまちづくりの一翼を担っていることを矜持[きょうじ]に、常に地域で求められる会社であり続けたい」と話す。

株式会社上垣組

住所/東広島市西条町田口1437番地
電話番号/082-425-1010

プレスネット編集部

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