「昭和の武勇伝付き合うか」問題から見えてくる、盛り場へ行く目的
突然ですが、賛否分かれるお話です。スナックなど夜の店で隣り合う年配のお客さん、じいちゃんたちの「武勇伝に付き合うか、付き合わぬか」問題です。
俺は昔、石原裕次郎と飲んだ
私の場合の結論から言うと、気持ちに余裕があるときなら、付き合います。相当長く聞くようにしていますし、むしろ楽しく聞かせてもらうこともあります。誰かツレがいて、限られた時間でそちらといろいろ話したいときなら、ほどほどでやんわり切り上げてもらうように持っていきますが……。
過去にありませんか? 真実1割、誇張9割の「昭和の武勇伝」を聞かされたご経験が。
「俺は昔、石原裕次郎と飲んだことあるんだが、俺のほうが酒が強かった」
「学生時代、靴箱をあけたらラブレターがどさどさっと落ちてきてな」
「ケンカして5人に囲まれたが、全員ねじふせて突破してやった」
「1週間は寝なくても仕事できたもんだ」
こうした系統の話に加え、下ネタ満開の武勇伝も多分に含まれてきますが、本連載にはあまりふさわしくないので、割愛しましょうね。
武勇伝経験から見えてきた、東京の右と左
さて長年聞いているうち、含蓄や教訓より自慢の成分が多い話のほうが、自分は面白く感じることに気付いてきました。なんというんでしょう、聞き手を何かの理屈で説得したいというより、じいちゃんが自分より若い衆にカッコいいと思われたい、というストレートな思いがジンジン伝わってくる、後者がかわいらしく感じさえするようになりました。
こうした武勇伝経験、東京でいうと——自分の経験だけでの話ですが——右側のほうが出くわす率が高く、左側ではあまり出会いません。私が武勇伝を嫌いでないのは、この地理的な偏りからも理由が見いだせそうに思いました。
左側で出会うじいちゃんたちは、私の経験だと、話しかけてきてくれるとき、私の趣味趣向などをなんとなく聞き出し、それに合わせて豊富な知識で話をしてくれるケースがかなりありました。サブカルに造詣が深いじいちゃんが多いのも東京の左側で私が驚いたことです。
こうした趣味の話題を適度な深度でいじってもらって、クスりと笑い合ったりするのももちろんなかなか面白いひとときだと思っています。
しかし、東京右側。
上野、浅草、錦糸町あたりで飲んだ夜を思い出すと、ずっとずっとそちらへ惹かれてしまう自分がいることに気付きます。
特に上野などは、昔、郷里で飲んだくれてたおっさんたちと同じような空気感をもった人にたくさん出会えました。ひとことで言えば、「北関東感」があるのですよ!
「俺はよう、まぁ自分で言うのもなんだけど——」
と枕ことばを一応はつけつつも、ご自分の武勇伝を堂々7回くらいはループして語ってくれます。最後、「な。俺もなかなかのもんだろ」と同意を求めてくるじいちゃんもいます。小粋なことを言おうと操作していないんです。ただ俺を知ってほしい、と叫んでいるんですよ。なんとなく、わかっていただける方もいるんではないでしょうか?
あ、ちなみにですが、7回ループ武勇伝を受け止められるのは「極端に距離をつめてこない、どこかシャイな爺ちゃん」に限りますよ。そうでない人は東京の右左、上だろうと下だろうと関係なく、まあ結構しんどい……。
いやな思いも併せ呑む
この経験からひとつのことが見えてきます。
盛り場へ行くのは、知り合いと遊ぶ、とか面白い街角を眺め遊ぶ、という目的もありますが、やっぱり、どこか他人の叫びと自分の内部のどこかの部分を共鳴させてみたいから、という欲求が、自分のなかにあるんだろうな、と。
じいちゃんに限らず、他者を遮断してしまって、安全な、自分や仲間うちだけの楽しみセットを外に持ち出して社交飲食店で飲むのが、あんまり自分は好きではないのでした。たまにいやな思いもしますが、それも併せ呑むのが他者と交わること、ではないでしょうか。それに、甘えてくるじいちゃんたち、どこか他人の気もしないのです。
そう、まだ中年なのに、酔うと同じ話をすでに5回はするようになった私も、「いつか行く道」、と思うのです。
文=フリート横田
※写真は本文と直接関係ありません。
フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『横丁の戦後史』(中央公論新社)。現在、新刊を執筆中。