仏教は、なぜ多様化の道を選んだのか?【世界史のリテラシー:佐々木 閑】
仏教は、いかにして多様化したか──部派仏教の成立
同じ仏教なのに、なぜ宗派によって教えが違うのでしょうか?
釈迦が説いた「自己鍛錬」のための仏教は、いつ、どのようにして部派に分裂し、その後、なぜ「衆生救済」を目的とする大乗仏教に変容したのか。そして、日本仏教が世界で最も「特異な仏教」とされる理由はどこにあるのか。
花園大学特別教授の佐々木閑さんによる『世界史のリテラシー 仏教は、いかにして多様化したか ~部派仏教の成立』は、これらの問いの根源を探り、仏教界の大きな謎に迫ります。
今回は、著者の佐々木さんによる本書へのイントロダクションをご紹介します。
仏教はどのように変容し、どのように多様化したのか
本書は以下の四章で構成されています。
第一章 二千五百年前のインドで誕生した仏教が、釈迦の死後、多数の部派へと分岐し、部派仏教を形成していった過程。
第二章 時を遡り、インドで釈迦が仏教という宗教を開いたときの状況。
第三章 時間的には第一章の続き。部派仏教が定着したインド仏教の世界で、まったく新しい宗教運動として大乗が登場し、仏教が極度に多様化していった様子。
第四章 その多様化した仏教が中国を経て日本に伝わったあと、日本において独自の変容を遂げていった歴史。
歴史的に未解明な事項も多く含まれるテーマなので、すべてを精密に解説することはできませんが、大筋として間違いのない全体像を描写するよう努めました。
これら四章に共通するテーマは、「仏教はどのように変容し、どのように多様化したのか」です。世の中にはさまざまな宗教がありますが、おそらく仏教ほど変容した宗教はほかにないでしょう。
二千五百年前、バラモン教を否定するという姿勢で登場した仏教は、当然ながら釈迦という一個人の思想、世界観を反映してつくられた単一の宗教でした。しかしそれがその後の数百年間で、二十以上の部派に分岐して多様化が進んだのです。釈迦の基本理念は保持しながらも、教義の細部や生活方法のあれこれに関してそれぞれの部派が独自の主張を持つようになり、「並び立つ二十以上の部派が皆、異なる集団だということを知っていながら、それでもそのすべてを正式な仏教世界のメンバーとして承認し合うという、一種奇妙な状況」で多様化したのです。
さらには、それら分岐した部派仏教世界の内部から(どのように現れたかその詳細はいまだ不明ながら)、釈迦の教えとは大きく異なる救済の道を説く集団が現れ、部派仏教と共存する形で新たな仏教運動を展開しました。この新興の仏教運動をのちの人たちは大乗仏教と呼びました。
しかし大乗仏教の内実は、種々に異なる世界観を創成し、異なる救済の道を主張する複数のグループが、各々独立に経典を作成し信奉していくという、複合的な運動でした。大乗仏教自身が多様な世界だったのです。二十以上に分岐した部派仏教の中で、それら部派仏教の教えとは根本的に異なる教義を主張する多数の大乗仏教グループが登場し、部派仏教の多様性と大乗仏教の多様性が重なり合い、影響し合いながらインドの仏教は十世紀初めまで続きました。もうこれだけでも仏教の多様性は、ほかに比肩すべきものがないほどの域に達しています。
そういった仏教が初めて中国に伝わったのは、紀元一世紀頃だとされています。インドで部派仏教がおおよそ成立し、そこに上乗せで大乗仏教のさまざまな流派が次々に生まれつつある、そんな時期です。したがって中国へは、それらインドの多様な部派仏教の教えと、同じインドで順次生み出されつつある種々の大乗仏教とが同じ経路で「仏教」という名の下に流れ込んでいったのです。
そしてこれを受け入れた中国世界は、その複雑怪奇とも思える混成体としての仏教をなんとか合理的に理解しようとして、さまざまな理論、理屈を考案し、「真の仏教とは何か」を模索しました。しかしこの作業は、実際にはインドで歴史的に順次生み出されていった融和困難な多数の思想を、「そのすべてが釈迦の教えに違いない」という誤った歴史観のもとで秩序立てようというのですから、誰もが納得する単一の解答に行き着くはずはありません。
当然ながら、このような作業をおこなった個々人の個性や信条に応じて種々異なる結論が出ることになります。これが今で言うところの「宗派の違い」のもとなのです。極度に多様化したインドの仏教思想が中国へ流入し、それを中国人が再解釈し、ランク付けし、系統化したことによって、ますます多様化が進んだというわけです。そのうえ中国では、もともとインドにはなかった禅宗という新たな仏教が生み出されました。おそらくは、中国社会の中で俗世を離れた知的ライフスタイルを志向する集団がいて、それが仏教の瞑想生活を取り込むことで禅という新たな仏教流派を創成したのでしょう。
こうしてインドで極度に多様化した仏教が、中国に入ってますます混成の度合いを増し、そこに禅宗という中国独自の流派まで加わって、とうとう宗教的アイデアの坩堝のようになった仏教が、六世紀になって日本に入ってきます。日本はそんな仏教をどのように取り入れ、どのように消化していったのか。それを語るのが本書の第四章です。
第四章は、六世紀の仏教伝来からはじめて、最後は第二次世界大戦後の日本仏教の衰退と、未来への展望で終わります。全四章を眺めてみると、古代インドでの仏教誕生から、二十一世紀の日本仏教までの「仏教通史」になっていることがおわかりでしょう。もちろん、限られた紙数で本当の仏教通史など書けるはずはなく、それはあくまで主要なトピックの数珠つなぎにすぎないのですが、それでも釈迦から現代日本に至る仏教の大きな流れを略図として理解していただくのには役立つものと考えています。
「仏教はどのように変容し、どのように多様化したのか」を理解するということは、「なぜ私たちは今、このような仏教世界にいるのか」を理解することであり、そして「今の私たちにとって、仏教はどのような意味を持っているのか」を理解することでもあります。これからますます混迷の度を増すと思われる現代社会で、釈迦がつくり出した仏教の価値観、世界観は重要な視点を我々に与えてくれると確信しています。本書がそのことを理解していただくための一助となるなら幸甚です。
『世界史のリテラシー 仏教は、いかにして多様化したか ~部派仏教の成立』では、「仏教は、どのようにして部派に分裂したのか?」「なぜ、インドで仏教が起こったのか?」「大乗仏教は、どのようにして生まれたのか?」「『時代の要請』によって変容した日本仏教」という4章で、仏教の歴史的な流れを概観していきます。
著者
佐々木 閑(ささき・しずか)
1956年福井県生まれ。花園大学特別教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』『(同)般若心経』『(同)ブッダ 最期のことば』『大乗仏教』『宗教の本性』『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』など。
※刊行時の情報です。
■『世界史のリテラシー 仏教は、いかにして多様化したか ~部派仏教の成立』より抜粋
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