【静岡の高校サッカー戦後史Vol.80】浜名が1975、76年度に全国総体へ。2年連続で韮崎(山梨)に惜敗
【浜名⑦】同一校に2年連続惜敗
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
1975年(昭和50年)度の浜名は、前年度優勝校枠で全国総体に推薦出場し、2年連続3度目の優勝を目指した。
閉ざされた連覇への道
初戦(2回戦)は能登川(滋賀)と対戦。キックオフと同時に、吉越利光(浜名Jユース監督)がゴールを狙った。枠は外れたが、相手の度肝を抜くには十分で、完全に主導権を握った。9分、その吉越がCKを生かして先制点をたたき出し、前半、さらに2点をもぎ取った。後半はペースを落としたが、3−0で押し切った。
3回戦は福岡商(福岡、現・福翔)の追撃をかわし、2−1で競り勝って8強入りした。この年度の全国総体は東京都が主会場だったが、サッカーは韮崎市を中心に山梨県で行われた。
準々決勝は地元代表の韮崎が相手だった。前半5分、望月哲也(栃木県在住)のヘディングシュートで先制したが、大声援に後押しされた韮崎の猛追を受け、延長の末、1−2で逆転負けした。「ゴールのすぐ後ろまで大応援団が押しかけ、完全アウェー状態だった」とGKで主将の柴田伸二(本田技研)。連覇への道は、地の利を生かした韮崎に断ち切られた。
1976年度、準々決勝で再び韮崎に…
翌76年度、今度は県予選を突破し、新潟県開催の全国総体に名乗りを上げた。夏合宿はしたくない、との思いで県を勝ち抜いた―とマネジャーを務めた市川弘一(浜名Jユースコーチ)。浜名の夏合宿は熾烈[しれつ]を極めた。その夏合宿は、全国総体に出場した時だけ避けられたのだ。
こうして臨んだ総体本番。1回戦は川島(徳島)を5−0と圧倒、2回戦は高崎商(群馬)に2−1で逆転勝ちした。秋田商(秋田)との3回戦は、安間和仁(ユタカ技研)のシュートで先手を取り、追い付かれたものの、延長の末、しぶとくPK勝ちした。
準々決勝は韮崎と相対した。前年度、やはり8強対決で顔を合わせ、逆転負けした相手である。監督の美和利幸(浜松市南区在住)は「去年の悔しさを思い出せ」と、闘志をかき立てた。
前半9分、鮮やかなパス攻撃から、1年前と同様、望月が決めて先制した。しかし、二の矢がつげず逆転を許す。それでも後半22分、安間の右折り返しを森谷勤(浜松江西中教)がダイビングヘッドで合わせ追い付いたが、直後に突き放され、2−3で涙をのんだ。
「あと1点が遠かった」。2点目をアシストした安間は、同じ相手に屈した35年前をこう振り返った。(敬称略)
1975年度全国総体先発メンバー
GK
柴田伸二
FB
井口敦生
吉越利光
大橋秀昭
中村力
HB
金原伸次
鎌田春芳
野田明義
FW
安間和仁
望月哲也
森谷勤
1976年度全国総体先発メンバー
GK
寺田雅勝
FB
二村安男
吉越利光
柳下正明
山内充
HB
中村力
野田明義
森谷勤
FW
安間和仁
村松利浩
望月哲也